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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

SACDの音 [2]

2007年09月15日 15時43分48秒 | PC+AUDIO
 先日購入したもう一枚がSACDがアシュケナージがチェコフィルを振ったマーラーの7番で、これはエクストンというレーベルから出ているものだ。エクストンはこのところアシュケナージを中心にして、良い録音のディスクを頻発しているレーベルで、江崎というエンジニアが録音は仕切っているらしいが、日本のレーベルだけあって調度デンオンあたりに近い、ホールの響きをまるごと収録したような音調(ワンポイントでは明らかにないが)である。デッドで近接した楽器群が非現実的なパノラマの演出する昔のグラムフォンやデッカ調のハイファイ録音で育った私としては、この音はあまりにも自然すぎ、優等的なバランスが勝ち過ぎていて、イマイチおもしろみに欠ける気がしないでもないのだが、この「まるでホールで聴いているかのような音」は心地良くないはずはない。某オーディオ誌上で10点満点をとっていることが納得できる素晴らしい音である。

 さて、このディスクにはCD層がないので、SACDとの聴き比べはできないが、おそらくもっとグレード高いキカイでかけたら、特にホールの残響みたいなところはもっと雰囲気豊かに再生されるのではないかと思う。SACDの良いところはなんといっても高域成分にあるワケで、やっぱりそのあたりを期待させる音ではある。ただ、まぁ、このディスク、CDはHDCD盤として出ているので、この盤に限っては、むしろそちらのディスクをラックスで再生した方が断然期待できそうなのだが....。
 それにしてもSACDは高い。一枚3~4,000円はする。思わずCD創世記の頃を思い出す価格で、一枚2,000円くらいなら、つべこべ考えずに買えたりする私でも、さすがに「これはオレにとって本当に必要なソースか?」なんて、ちょいマジで考えたりしてしまう。まぁ、これは私にとっては良いことなのかもしれないけれど....。

 で、いくら音が良くても演奏がつまらないんじゃ、話にならないワケだがこのアシュケナージとチェコ・フィルの演奏は、良くも悪しくも中庸。大きな破綻もないが、とりたてて際だった個性も感じられないってところ(彼の弾くピアノのキャラと全く同じね)。
 マーラーの7番は、マーラーの交響曲の中ではもっとも「とりとめがなく、散漫な構成に感じられなくもない曲」であって、演奏によっては、真ん中に配置された叙情的な2つの夜曲とシュールでやたらとテクニカルなスケルツォと、両端のケバケバしい楽章とがどうもバランス悪かったりするワケなのだが、アシュケナージの演奏はこのあたりは差異を際だたせず、割と統一感をもたせ一貫した演奏になっているあたりは買える。が、反面どれもぬっぺりとして、この曲が内包する情報量みたいところも相殺してしまっている感もあって、やっぱりこのあたりがこの曲の演奏の難しさというところなんだろう。(2002年1月3日(木) 14時34分)
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李心潔(リー・シンチエ)/ 愛像大海

2007年09月14日 22時21分10秒 | 台湾のあれこれ
 李心潔(リー・シンチエ)は、マレーシア出身だが、台湾でシャンプーのCMだかなにかでデビュー。その後同じく台湾のアイドルグループ、キラキラ美少女(少女標本)のメンバーとして活躍したりしているから、私的にはこの人「台湾のシンガー」である。本作は彼女が2000年に出した、おそらくソロ第2作である。彼女は1976年の生まれだから、本作がリリースされた時、既に23,4才だった訳だが、ジャケの写真を見ても、やっている音楽を聴いても、ほとんど10代後半というイメージである。それも正統派のアイドル路線という訳ではなくて、そこはかとなく「アーティスティックなシンガー的な雰囲気のアイドル」という感じなのがおもしろい。日本でいったらデビューしたての頃の中谷美紀みたいな感じ。もっとも李心潔の方がもっとはつらつとしたイメージだけど。

 1曲目は懐かしい風情すら漂うウェストコースト風なアコスティック・バラード。彼女の声は明るく澄んでいて、テクニック的には稚拙だけれど、想いが伝わってくるような情感があって、まずはこの曲でぐっと引きこまれる。2曲目のタイトル・チューンは一転してテクノ風なポップ・チューンで、アコスティック・ギターとアコピのアルペジオ、飛び散るシーケンス・パターン、それにストリングスが奏でるチャイナ風なエキゾシズムをスパイスに、最高にキャッチーに仕上がりを見せる。このアレンジ、おそらく坂本龍一をお手本にしているのだろうが、本家顔負けのハイブリッドなセンスと李心潔のはつらつとした、瑞々しいボーカルのおかげで、単なるエピゴーネン以上の仕上がりとなっているのはさすがだ....と、まぁ、こんな感じで、それ以降の曲も正統派バラード、ニュー・ウェイブ風なリズミックな曲と、このアルバム全体も非常に素晴らしい出来。どうして、他のアルバムをフォロウしなかったのか、今聴いても不思議になってしまう。

 ちなみにこの人、今は女優さんとして大成功しているようで(台湾のシンガー、ターシー・スーに限らずこのパターン多いような)、ベルリン国際映画祭で最優秀新人女優賞とか、香港台湾の映画賞を総なめにしているらしい。ネットで最近のお姿を拝見したら、はつらつとしたカワイコちゃんから、ぞくっとするような美人さんになっていた。
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CHICAGO V

2007年09月13日 11時04分12秒 | ROCK-POP
 1972年発表の5作目。それまで2枚組アルバム3作、それまでの総決算ともいえるライブ・アルバムは4枚組という大作を出した後の初シングル・アルバム、シングル・カットされ大ヒットした「Saturday In The Park」という曲の存在などから、このアルバム、その後大幅に強まるポップ、AOR的な方向へ路線変更をした作品というのイメージがあったのだが(おそらく巷の評価もそうだと思う)、実際聴いてみると、それほど方向転換した印象はなかった。

 なにしろ1曲目の「A Hit By Varese」はノイジーに始まる、なにやらB級ブリティッシュ・ロックを思わせるオルガンをフィーチャーした5拍子の曲で、「おいおい、何がポップだよ」という感じだし、6曲目の「While The City Sleeps」はインスト指向の強く、ダイナミックなブラスがふんだんにフィチャーされけっこうたヘビーな作品なのである。
 ポップな曲としては、2曲目の「Now That You've Gone」、7曲目のご存じ「Saturday In The Park」といった曲になると思うが、前者のいかにもウェスト・コースト然としたコーラスなどは、別段新機軸という訳でもなく、1作目から聴かせてくれていたし、後者のAOR的なセンスはアルバム中ではむしろ例外的な感じすらあるのだ。

 ともあれ、先に上げた4曲あたりを両極端にして、残りの全ていかにもシカゴらしいというか、70年代初頭の「ニュー・ロック」の香りがプンプンする4曲になっている。シングル・カットされた5曲目の「ダイアローグ」のはつらつした活気はもちろん、3曲目「Now That You've Gone」のくどさやしつこさ(テリー・キャス!)....といって悪ければ、音楽的情報量の濃密さのようなものは、70年代然としたの高カロリーな雰囲気が充満していて、初めて聴くのに妙に懐かしい。クロージングを飾るパラード「Alma Mater」のムードも本当に懐かしい。なんだか、フレアのジーンズをはいたロングヘアーの若者が新宿をたむろしている風景を思い出してしまう(笑)。

 ちなみに、ボーナストラックとして収められた3曲のうち「ダイアローグ」のシングル・ヴァージョンを除く2曲は、このアルバムがいかに無駄を省いてコンパクトにまとめたかがよく分かる「捨て曲」である。おそらくシカゴはこのアルバムを作るにあたっても、2枚組分のマテリアルを用意して、そこには「シカゴIII」までの作品にあったような垂れ流し気味の大作はカットしたことを伺わせるのだ。逆にいえば、そのくらい彼らは変わっていなかったともいえるのもしれない。
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安倍首相辞任

2007年09月12日 23時04分21秒 | others
 小泉時代の「モノをいう毅然とした政治家」というイメージはひたすら後退して、後半はひたすら右往左往している感の強かった安倍首相だけど、最後はサープライズというか唐突でしたね。体調問題、麻生&与謝野との確執、自らの政治資金問題とか、早くもいろいろ出ているようなだけど、確かになんか裏でもありそうな結末です(しかし痩せましたねこの人、小泉首相も頭真っ白になりましたが、あれは5年かけた結果です)。

 それにしても、この1年間のマスコミの安倍首相に対するネガティブ・キャンペーンは酷かった。国民投票法とか教育基本法改正とか安倍首相のやろうとした(あるいはやった)ことで論ずるべき問題は他にあるはずなのに、それをほぼ置き去りにして(あるいは手法の問題に矮小化して)、もっぱら取り上げることといったら、どうでもいい失言、年金の技術的問題、政治資金のディテール、参院惨敗後はいつやめるのか?みたいな刹那的な話題ばかりをヒステリックに阿鼻叫喚して、叩いていたという感じがするのは私だけでしょうか?。

 政治家に向かって、大局に立ってものを見ろみたいなことを自らはいうクセして、己のやっていることは、俗人が感情的に飛びつきそうな、扇情的な言葉狩り、魔女狩りモドキのオンパレードではお話になりません。マスコミ批判はいつもの世もあるし、結局これが国民を写す鏡なのだといわれれば、そうかもしれないとは思うけれど、すべてがワイドショーでいいのか?とつくづく思った安部政権の1年でした。
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SACDの音

2007年09月11日 23時40分35秒 | PC+AUDIO
Wayback Machineというサイトは、その合否はともかくとして、事実として昔存在していたホームページを観ることができます。そこで昔の自分がやっていた掲示板のUrlを入れてみたら、けっこうあれこれと懐かしい書き込みがでてきました。以下は2002年1月2日(水)23時06分に投稿したもののようです。当時ニュー・メディアとしてSACDが出始めたばかりだった頃に書いたもののようです。

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 我が家のDVDプレイヤーは、パイオニアのDV-S747という最新鋭機である。このキカイは凄い何故かというとその対応フォーマットの広さにあって、CD,DVD,DVDa,VCD,CDV,CD-R,CD-RW,MP3....そして、なんとSACDまでかかってしまうのだ。買値で7万円くらいの代物故に、SACDがかかるのはまぁオマケみたいなもんだろうが、それでもかかるものかかるのだ。これをオーディオ馬鹿の私がほおっておくこともあるまい。

 ってなワケで、ジャシンタという女性ジャズ・ボーカリストの2枚目と、アシュケナージがチェコフィルを振ったマーラーの7番の2枚を購入してきた。ちなみに前者はマルチディスクだから、CD層もあって普通のCDPでもかかる(日本ではSACDというとそれ専門のディスクばかりだが、海外ではハイブリッド・ディスクがノーマルなのである)。これを利用して便利だとジャシンタのディスクでCD層とSACD層で聴き比べてみたのだが....
 
....しかし、CDとSACDの差ってのはこんなもんなのか....ってのが正直な印象。DV-S747って定価で99800円だから、純粋なCDPとしての実力はまぁ、998クラスより一段落ちるくらいのもんだろうと思うのだけど、やっぱこのくらいだと、ショップで聴き比べた時のような「その差歴然!」ってなワケにはいかんのか。もちろん、差は確かにある。余韻とか、音場感、あと抜けみたいなところは、やっぱ情報が多いんだろうなと思う。しかし、そんなに変わらないんだよなぁ。当たり前っちゃぁ、当たり前だけど、約10万のパイオニアのプレイヤーでかけたSACDの音は、50万円のラックスのCDPの音には到底かなわない。聴き比べした時、「おいおいどっちがSACDだい?」とか思ったもんね。

 つまるところ、SACDの「良さ」を甘受するには、単なる予感に過ぎないけれど、やっぱ最低でも25万クラスのプレイヤーが必要なんじゃないだろうか、ソニーならば777ESあたり。昨年後半からソニーは数万円代~10万クラスまでかなりラインナップをそろえてきたが、このあたりじゃ、その音の良さに月の裏側までぶっとんでいくにはちと苦しいような気がするんだけど。

 もっとも、ソフト側の問題というのもあるかもしれない。なんせCDは20年くらいかけて音を磨いてきたワケだし、最近だとHDCDなんかわずか数年で飛躍的に音が良くなっていったワケで、SACDもその器に相応しい音づくりをしていけば、プレイヤーに関係なく一定の「良さ」を甘受できることになるのかもしれないが....。

 ついでに書いておくと、SACDはマイナー・レーベルを除けば、出しているのはソニーだけという現状があったが、な、なんとユニバーサルも本年はSACDに進出するらしい。ユニバーサルといえば、グラムフォン、フィリップス、デッカを擁したクラシックの宝庫であって、ここからヴィンテージ・ソースが次々にSACD化されれば、このメディアもかなりはずみがつくような気もする。少なくともオレはSACDの専用機買うな。ってなワケで、オレの新年SACDレポートざんした。


CODA:雲行きの怪しくなってきたDVDaはさっさと映画専門にして、オーディオはSACDに統一してほしいもんだ。

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記憶によればこの記事を書き込んだ翌日、SACDの音ってのはこんなんじゃないはずだぁとばかりに、私は秋葉原にまで赴いて、デンオンのSACDプレイヤーを購入したような記憶があります。これもけっこう短命なプレイヤーでしたが。
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ディクスン・カー/火刑法廷

2007年09月10日 20時41分52秒 | Books
 昨年の11月にディクスン・カーが創元社から大量に復刻されたのを知り何冊か買い込んだのはその時書いたとおりだが、実はこれらの本は-いつものことながら-ほとんど読んでない。ちょっと前にその中から「アラビアンナイトの殺人」を取り出して来て、バックの中に入れて折りをみては読んでいたのだが、あまり先に進めず、そのまま放り出してしまった。この話、千夜一夜物語をよろしく、三人の登場人物が各々の視点で遭遇した事件について語り、一夜を徹してそれを聞いていたフェル博士が夜も明けてきた頃に、3人の話を基に事件を解決するというストーリーである。

 私の場合、最初に読んだ時は別段たいした話だと思わなかったが、再読以降に、舞台仕立てのおもしろさ、伏線の張り方の巧妙さなどなど、じっくり楽しめたりする場合が多いので、この作品も再読した時に、視点によって語られる事件の様相がまるで異なるという「羅生門」的状況にいたく興奮した覚えがある。ただ、今回はそこに至るまでのファースがかったストーリーがちんたら進むので、今回は興が乗らなかったようだ。こうした初読はたいした印象がなく、再読しておもしろさを知ったといえば、カーの場合、「火刑法廷」も忘れ難い。

 この作品はカーにして珍しくフェル博士などの名探偵が出てこず、自分の奥方が魔女なのではないかという設定やオカルトっぽい雰囲気も濃厚で、その不可解な設定もいつも通りけれん味がある。それが後半登場する探偵の推理で一気に解決するカタストロフィはカーのいつもやり口だが、この作品の場合、この後一段どんでん返しが用意されているのも楽しめるところである。それまでの伏線とは違った伏線が浮かび上がってくる仕掛けになっているのがいいのである....などと書いていたら、むしろこっちを読みたくなってきた(笑)。先日、古本屋で幸運にも見つけてきたところなので、こっちを先に読んでみるか。
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ブラームス セレナード第1,2番 他/マッケラス&スコッティッシュCO

2007年09月09日 15時46分39秒 | ブラームス
 ブラームスのセレナードという作品は、往年の大指揮者にとっては、内容的に大ブラームスの作品にしては「軽すぎて身のない作品」だと思われたのだろうか、交響曲や序曲、変奏曲などに比べ、ほとんど取り上げられることがなかった。ただし、アバドとかケルテスといった戦後世代あたりの指揮者あたりになると、この作品のもつ淡いロマン性だとか、BGM的な流麗さのようなものに独特の価値を見いだしたに違いなく、マーラーのように急激な勢いはないけれど、ここ四半世紀くらいブラームス作品の中ではじわじわと人気が上がり、それなりに様々な指揮者にも取り上げるようになっていると思う。

 このマッケラスとスコッティッシュ室内管による2曲のセレナードを収録したアルバムもそうした一枚である。同コンビによるブラームス交響曲全集とほぼ同時期に収録されているから、アーティストも発売元も、いわば全集の補遺のような位置づけだしのかもしれない(交響曲と同等とはいかないとしても、ブラームスの看過できない管弦楽作品としてとらえていることがよくわかろうものである)。演奏だが、ほぼ交響曲全集と同様のコンセプトで演奏されているといってもいいと思う。弦がやや薄目にバランスした分、他の楽器の動きがいつもより明瞭に聴こえてくる結果、やけにフットワークの軽いギビキビとした印象を受ける演奏だが、かといってケルテスやアバドのようにシャープなリズムで押しきったようなものでなく、イギリス的な中庸さと、新古典派的なドライなところが、妙に入り交じっているところがマッケラスらしいところなのだろう。

 ともあれ、この2曲、先日、4手のピアノ版を聴いて以来、オーケストラ版もあれこれ聴いている最中だが、昨日、出張で市原に赴いた時に、車中ではもっぱらこの曲を流していたのだけれど(ちなみに演奏アバドとベルリンのもの)、まだまだ暑いとはいえ、そろそろ秋めいてきた田舎の風景とこの音楽は本当に合い、「なんていい曲なんだろう....」と思いながら、車を運転していて、そうだ、マッケラスとスコッティッシュ室内管の演奏とか購入してあったよな....などと思い出したので、さっき聴いてみたところである。
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ヘンリー・マンシーニ/ティファニーで朝食を

2007年09月08日 21時33分01秒 | サウンドトラック
 半年くらい前にマンシーニの私家版ベストをつくった時、「これでようやく一通りの名曲は押さえたから、後は個々のアルバムをじっくりと聴いてみようか」などと思って、その直後にマンシーニの実質的デビュウ作である「ピーター・ガン」関係の2枚だけはレビュウし、アルバムもしこたま買い込んであるのだけれど、新ウィーン、シューマン、ボサノバとあちこち寄り道しているうちにすっかり中断してしまっていた。私の場合、なにしろいろいろな音楽を聴いているせいで、系統立てて(私の場合、クロノジカルに聴くとということが圧倒的に多いのだが)に聴いていこうというシリーズは、最初は意欲満々、その後中断してしまうことが多いのだが(笑)、マンシーニもそうなりそうなので、とりあえず忘れないために1枚だけレビュウしておく。

 このアルバムは、もちろんヘップバーン主演の名作「ティファニーで朝食を」のサントラである。マンシーニは「ピーター・ガン」で注目され、この後「ミスター・ラッキー」の音楽も手堅くまとめているが、やはりマンシーニが映画音楽の花形として一躍シーンに躍り出たのはこの「ティファニーで朝食を」ということになるだろう。オシャレなジャズ系の音楽を映画に持ち込むというのは、「ピーター・ガン」以来のテクニックだが、それに加えてここでは、「ムーン・リバー」という、美しい旋律をもった魅力的な主題曲を作りだしたところが素晴らしかった。なにしろこの曲は出た時点で、問答無用にスタンダード化していたし、私自身、そのスウィートで可憐なメロディーはそれこそ何度聴いても飽きないし今でも新鮮に響く、アカデミー賞を獲得したのも当然といえる。ついでにいえば、この作品、映画の性格もあるが、ラテン風味やサロン風なアコスティック・サウンド、ストリングス、そして主題曲でもフィチャーされるコーラスなど、従来のジャジー路線からかなり音楽の幅を広げているのも特徴だと思う。
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ロジテック ネットプレイコントローラ

2007年09月07日 21時28分01秒 | GAME
 PS2でゲームをする時....というか、最近はもっぱらFFXIをやる時だが、とにかく私はロジテック社製のネットプレイコントローラという代物を使っている。オンラインゲームというのは、チャットをしながらゲームをプレイするので、キーボードは必須だしと私はごくごく最初の段階から、パソコンのキーボードをコントローラ代わりに使うのは眼中になく、この小型のUSBキーボードの両サイドにコントローラ機能がついた、通称キボコンを膝の上にのってけて使っていのだ。
 ところがこのキボコン、既に2年以上使っているせいか、最近コントローラ部分が壊れたのか、ケーブルの内部で断線でもしたのか、キャラクタの動かす時、妙につっかかるようになってしまった。実はこの現象大分前から発生してはいたのだが、たまに出るくらいでしばらく使っていれば元通りになったので、だましだまし使ってなんとかはなっていたが、2週間ほど前にいかんともしがたい状態となったので、新たに購入しようとしたところ、なんとこれは製造中止になっていた。アマゾンなんかだと、製造中止をかぎつけた商魂たくましい人が法外な値段で新品を販売してはいるのだが、1万5千円とかじゃ、手が出ない。
 という訳で登場するのが、ネットオークション(笑)。中古だが送料込みで5千円若で購入して、今はこれを使っているのだが、これもいつ壊れるか知れないので、実はもうひとつオークションで購入してしまった(明日あたり来るのだろうか?)。こちらは3000円くらいだったが、これでもうしばらくはキボコンによるゲームプレイができそうだ。。
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デビッド・アーノルド/007 カジノ・ロワイヤル

2007年09月06日 23時00分26秒 | サウンドトラック
 これまでのシリーズとは思い切ってリニューアルした感のある007シリーズだが、音楽はこれまで通りデビッド・アーノルドが担当している。従来からのトーンを引き継いでいるのはキャスティングではジュディ・ディンチのM、そして音楽面でのアーノルドのみといったところだが、まぁ、このあたりはすべてリニューアルしないあたり、ぎりぎりのところでバランスをとったというところなんだろうか。まぁ、音楽面でいえば(最近の映画界のことはよくわからないけれど)、こと007シリーズの音楽に関して、デビッド・アーノルドがほぼ完全にジョン・バリーの後継に収まっていて、余人をもって代え難いというところもあるのだと思う。

さて、このサントラだが、これまでと趣向が違うのは、なんといっても主題歌の入っていないことだろう。なにしろ全25曲、全てデビッド・アーノルドによる音楽なのである。今回の主題歌は「リビング・デイライツ」でのa-ha以来、実に久々の男性ボーカル、歌うのはクリス・コーネルなのだが、何故だかこれが入っていないのだ。クリス・コーネルといえばオルテナーナティブ系の元サウンドガーデンのメンバーだったこともあり、このあたりはアーノルドの音楽嗜好とも一致していそうなので、意図的にアルバムからはずされた訳でもないだろうが、やはりアルバム序盤に歌が入っていないのは従来とは違ったイメージではある(個人的には今回の主題歌ちと冴えない印象があったので入っていなくても、なんてこもないが、主題歌を目当てにしている人はさぞやがっかくりくることだろう)。

 音楽的には、とにかく007のテーマがでてこない。暗示するようなところはあるのだが、あの懐かしいテーマがはっきりと現れるのは、「007が誕生した最後のシーン」の後のクロージング・タイトルの部分なので、作品のサンセプトは音楽の方も一貫しているという訳だ。まぁ、ある意味でアーノルドとしては本作こそはじめて007シリーズの音楽を自力で勝負したというところかもしれないが、12分にも及ぶマイアミでの飛行機爆破テロを阻止するシークエンスの音楽など、アブストラクトなオーケストラ・サウンドとテクノ風味の融合など、なかなかの聴き物になっている。とはいえ、「二度死ぬ」とか聴いたことがあるようなフレーズをつい使ってしまうのはご愛嬌だが....。 
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台湾の夜市は今....[2]

2007年09月05日 17時01分02秒 | 台湾のあれこれ
 先月ちらっと話題に出たこの一年で2回も訪台した、職場の同僚から送ってもらった写真である(無断転載してしまおう-笑)。くわしいことはわからないが、看板の文字からすると士林夜市らしい、先般の話だと、士林の夜市はどまんなかにあった飲食店が、駅近くのビルに移動したみたいなことを聞いたのだが、この写真を見てようやくイメージがつかめた。予想としては、その昔リニューアルした日本の御徒町みたいなもんかと思っていたのだが、どちらかといえばビルの空き倉庫をそのまま屋台街にしたみたいな雰囲気感じで、なるほど台湾だとこうなるかという感じだ。さすがに、施設は小綺麗になり、闊歩する人たちも昔に比べてオシャレになっているような気もするのだが(笑)、けっこう士林の雰囲気は残っている。うむ、安心した。
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PAUL McCARTNEY / Unplugged-The Official Bootleg

2007年09月04日 22時39分26秒 | Beatles
 ポールも今年で65歳なった。65歳といえば会社も定年になって、次の職場もそろそろご苦労様という感じで、名実ともに隠居する年齢である。つまり、もう立派な老人な訳だが、音楽的には隠居するどころではなく、「Memory Almost Full」という新作も出たことだし、きっとまたワールドツアーなんかもやるんだろう、音楽家としてはお世辞でもなんでもなく現役である。そんな意気軒昂なポールであるが、やはり音楽的にみると、80年代の終盤から90年代前半あたりが、最後のピークだったのではなかったろうか。私は最近のポールの作品をほとんど聴いていないし、直近の「Chaos and Creation in the Backyard 」や「Memory Almost Full」はけっこう傑作という声も聞くから、まぁ断言はできないとしても、話題性といい、ある種の華やかさといい、音楽の勢いといい、やはり90年前後あたりにはとち及ばないのではないかと思う。

 このアルバムはポールの最後(?)の大傑作「Flowers In The Dirt」と、これまた佳作といってもいい「Off The Ground 」の間に発表されたアンプラグト・ライブで、当時の絶好調ぶりがアコスティック・サウンドという側面から表現された好作品だと思う。曲はオールディーズ、ビートルズ、ソロとバランスよく選ばれていて、個人的には最初のソロ・アルバム「マッカートニー」から「Every Night」「That Would Be Something」「Junk」といったかなり渋い曲が選ばれているのが聴きどころにだと思う。この時期のポールはライブでビートルズの作品を解禁したことがけっこう話題になっていたが、「マッカートニー」というアルバムは、どちらといえばレア・ビートルズ・トラックスみたいな色彩の強い作品だったから、これもまたある意味解禁といういう意味合いがあったのではないかと思う。

 演奏はポール自身はもちろんだが、彼の意を十二分な汲んだと思われる優秀なバンドメンの演奏が素晴らしく(ウィングスなどより数段良いのではないか?)、この時期のポールが音楽的にアクティブになってなれたのは、エルヴィス・コステロとのコラボレーションとかいろいろな理由が考えられるが、ひとつはやはりこのプロフェッショナルなバンドを手に入れたということもあると思う。ともすればダレがちなアンプラグド演奏でも、ルーズそうでいて節々にキレがあるのは、ニュー・ウェイブ以降にプロになったミュージシャン特有のシャープさがあるからだろう。
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私の愛機 [13]  Esoteric X-50w(CDP)

2007年09月03日 14時30分30秒 | PC+AUDIO
 実をいうとこれは愛機にならなかったCDプレイヤーである。前にも書いたけれど私はこれをラックスのD-10をリプレースしてこれを購入した。見るからに重厚な漆黒の筐体は、実際25kgはあろうという代物で、まさに鉄の固まりそのもの、ひとりで持ち上げてラックにいれ、更に底面にある4点のスパイクを受け皿の位置を合わせるのに、ずいぶんと苦労した記憶がある。ティアック(エソテリック)がつくったVRDSというメカニズムを採用したCDプレイヤーは購入したのは、実はVRDS-20という機種が最初で、これが初めてではないのだが、なにしろこの機種は当時「究極のCDトランスポート」といわれたP-0の普及版といった見方もされていたし、50万以上という価格も目がくらんで(笑)、私自身、最後のCDプレイヤーとして購入したのだった。

 ところが、実際聴いてみるとこれがどうもしっくりこなかった。筐体のイメージが強烈なせいでそう思ったところもあったろうが、とにかく音が武骨で愛想がない....という印象だったのである。もちろんVRDSというメカニズムによる極限まで音を読み取ったかのような解像度や、きりりと締まっているがズシンとくる低音のコシといったところは、いかにも現代的なHiFi感があったものの、私にはちとハードボイルド過ぎたというか、ちと測定器でひろった音を聴いているような味気なさを感じてしまったのだ。
 そんな訳で、このプレイヤーは約2年弱ほど使ったが、愛着を感じないまま、再びD-10にその座を譲ったが(この間にユニバーサル・プレイヤーでCDを聴く機会も増えた)、年月が経てばまた聴こえてくる印象も違ってくるのでは....と、実はこの機種売り払ったりせず、プチプチにぐるぐる巻きに自宅に保管されている。もう4,5年も聴いてない訳だけれど、今聴くとどう感じるのだろうか。
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007 カジノ・ロワイヤル

2007年09月02日 23時17分50秒 | MOVIE
 という訳で、ボンド役がブロスナンからダニエル・クレイグのスウィッチし新生007シリーズの第1作。31日に一通り観て、以降あちこちを拾い観しているところなのだが、配役が替わってところもさることながら、内容そのものが大幅にリニューアルしているのが、良くも悪しくも印象的だ。この作品ではジェームス・ボンドがダブル・オーの称号をもらった直後から始まり、現在ではすっかり確立されたボンド像か出来上がるまでのストーリーを描いており、いつものボンドとはかなり違うイメージが活躍するのは、ある意味ショッキングですらある。なにしろ全編を通じて傷だらけ、泥まみれで、ムーアやブロスナン時代の軽妙洒脱さといったものはほとんどなく、ハードでヴァイオレントなアクションの連続で、007というよりは、なんだか「ダイハード」を観ているような気になるのである。

 内容的にもこれまでの定石をけっこう打ち破っていて、冒頭のガンバレルなし、タイトル前の派手なアクション・シーンがなくモノクロな殺しのシーン(この後にガンバレルがでる)。マニー・ペニーとQは登場せず(!)、アクション・シーンでは中盤の旅客機爆破テロの阻止やラストのベニスのビルが倒壊するあたりは見せ場にはなっているものの、ストーリー的にはカジノの緊迫したやりとりが最大のハイライトとなっている点、あと、ラストで悪役と対決しないストーリー展開などなど、とにかくこれまでのパターンを一旦リセットし、ハードにゴリゴリ押した印象が強いのである。
 これはストーリーが「プレ007」だからこうなったのか、配役が替わったからそうしたのか、はたまた制作サイドのリニューアルの意図がそうさせたのか、当方にはよくわからないところもあるのだが、明らかにこれまでの007とは断絶した作品になっているのは確かだ。

 私など正直いってブロスナンのスマートで軽妙なボンドをもう1,2作くらいは観たかった人なので、ダニエル・クレイグのボンドはちと違和感がないでもないが、新生ボンドという点に関しては、ことブロスナンについても最初は大きな違和感を覚えたので、もう1作くらい観れば慣れてしまうような気もする。ただ、それにしたってこのダニエル・クレイグが今後、嫌みなスノッブ趣味で悪役を煙にまく、あのボンド像を演じるのかと思うと、現時点で「うーん?」と考えてしまう。
 ちなみに作品そのものは上出来である。監督はブロスナンの第1作でもメガフォンをとったマーティン・キャンベルで、カジノのシーンも含めてシャープで弛みない演出できりりとまとめている。
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レーガー ヒラーの主題による変奏曲 他/デイビス&バイエルン放送響

2007年09月01日 23時25分57秒 | クラシック(一般)
 確かCDの初期に購入したアルバムで、オルフェオ・レーベルの初期のものだったように思う。よりによってどうしてこんなにマイナーなレーベルのしかもレーガーの作品を収めたアルバムを買ったのか今となってはさっぱり覚えていないのだが、6月に取り上げたケーゲルとフランクフルト放送響との管弦楽曲集といい、レーガーという人は昔から気になっている作曲家ではあったのだろう。このアルバムには「変奏曲の大家」たるレーガーの代表作(らしい)、「ヒラーの主題による変奏曲」とフィルアップとして「舞踏組曲」の2曲が収録されている。

 さて、メインの「ヒラーの主題による変奏曲」だが、たった19小節(27秒)の主題に11の性格変奏とオーラスに大規模なフーガが付いた構成となっている。ヒラーという人はモーツァルトあたりと同時代に活躍した作曲家らしが、ここで選ばれたテーマはロココ風な典雅な趣とやや牧歌的なおだかやかさがあるもので、回顧的というかやや古くさい主題をもってくるあたり、ブラームスの「ハイドン・ヴェリエーション」を始めととして古今の変奏曲の常道ではあるけれど、ほとんどプロムナード・コンサートみたいなノリで始まり、変奏もしばらくはこのテーマの線で、穏やかで田園的、心地よいリラクゼーションをともなって進んでいく。

 第3変奏あたりから、曲はテーマの穏やかなムードからはぐっと跳躍して、後期ロマン派的なダイナミズム、大仰さなども少しづつ表に出しつつ、様々な世界を表出してみせ、さながに小宇宙のような様相を呈してくる。基本的にはブラームスの「ハイドン・ヴェリエーション」の延長線上にある音楽だが、全体の壮麗さ、過剰に肥大したスケール感のようなもの、例えば、元のテーマを忘れてしまうほどに大規模さは、マーラーあたりと共通する、いかにも後期ロマン派の最終ステージらしい、肥大した自我をもてあまし気味な音楽であり、それ故に爛熟した美しさがあると思う。ちなみに「舞踏組曲」の方は、まさにプロムナード・コンサート的なイージー・リスニング・ミュージックのような聴き易さのある作品だ。
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