本日は船橋市の海神というところにいった。京成電鉄でいったのだが、電車の中は快適なのだが、ひとたび外に出てみると、9月も後半だというのに、まるで真夏が戻ってきたように暑い。たぶん、31,2度は確実にあっただろう。残暑は去年もけっこう厳しく、都内の長期研修中もずいぶんと暑い思いをしたが、今年も相当なものである。私は汗をふきふき住宅地の中を歩いて目的地へ向かったのだが、その途中に道の途中に龍神社という小さな社があった。
後でわかったことなのだが、この近辺は今では海などしばらく進まないと視界にすら入ず、一戸建てやマンションが林立する住宅地なのだが、昭和の初めの頃までは海岸で、しかも塩田が広がっていたらしい。仕事に赴いた先の方がもなにやら昔のことに詳しい人だったので、あらかた仕事が終わった後、雑談していたら、なんとなく昔の話しになってしまい(笑)、ご当地の江戸時代の地図などをみせてもらうことができたのだが、それを観ると確かにこのあたりは海岸で塩田があり、その中央に鎮座しているのがこの龍神社なのであった。ちと興味を感じたもので。帰り道は注意しながらそこを通ってみると、石碑にはおもしろい伝説がのっかっていた。
要約すると、婆さんが芋を煮て食べようとしたが、石のように固くて食べられなかったので、怒ってその芋を池に投げ捨てたところ、その芋が芽を出し、何株かに成長したので、それを「石芋」と呼んだとか呼ばないとかというものだ。話の最初の方には弘法大師がその芋を食わせろと婆さんに云うくだりがあって、まぁ、そのあたりが由緒ある伝説のくだりなのだろう。今では住宅地にひっそりと立っている神社ではあるが、きっと昔はこのエリアの中心地だったのだろうな?と、さきほど見せてもらった江戸時代の地図をレイアウトを思い出しつつ、ケータイのシャッターを押した次第である。
後でわかったことなのだが、この近辺は今では海などしばらく進まないと視界にすら入ず、一戸建てやマンションが林立する住宅地なのだが、昭和の初めの頃までは海岸で、しかも塩田が広がっていたらしい。仕事に赴いた先の方がもなにやら昔のことに詳しい人だったので、あらかた仕事が終わった後、雑談していたら、なんとなく昔の話しになってしまい(笑)、ご当地の江戸時代の地図などをみせてもらうことができたのだが、それを観ると確かにこのあたりは海岸で塩田があり、その中央に鎮座しているのがこの龍神社なのであった。ちと興味を感じたもので。帰り道は注意しながらそこを通ってみると、石碑にはおもしろい伝説がのっかっていた。
要約すると、婆さんが芋を煮て食べようとしたが、石のように固くて食べられなかったので、怒ってその芋を池に投げ捨てたところ、その芋が芽を出し、何株かに成長したので、それを「石芋」と呼んだとか呼ばないとかというものだ。話の最初の方には弘法大師がその芋を食わせろと婆さんに云うくだりがあって、まぁ、そのあたりが由緒ある伝説のくだりなのだろう。今では住宅地にひっそりと立っている神社ではあるが、きっと昔はこのエリアの中心地だったのだろうな?と、さきほど見せてもらった江戸時代の地図をレイアウトを思い出しつつ、ケータイのシャッターを押した次第である。