UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

釈放されたが自由の身ではない・・・

2015-01-11 01:26:02 | 日記

昨年12月半ば、英文のメールが数通、たてつづけに送られてきました

 SMHRICという団体からです、これは「南モンゴル人権情報センター」という、中国・内モンゴル自治区におけるモンゴルの人権活動を支援している、ニューヨークに本部を置く亡命モンゴル人の団体です、

 民族意識の高いモンゴル人たちは内モンゴルのことは必ず「南モンゴル」と表現します、中国の国内ではなく、モンゴル共和国の南に位置するモンゴルという意味でありませう

 12月10日付けの最初のメールの表題は「ハダ氏、釈放されたが自由の身ではない」というものでした、えっ?どういう意味?・・・・

 ハダ氏(59歳)というのは内モンゴルでモンゴル関係の学術書の書店を営みながらモンゴル人のために人権活動を行っていたのですが、いまから19年前に逮捕されました、そして「国家分裂罪」のために禁固15年の判決を下されました

 彼は20101210日に15年の刑期を満了し釈放されるはずだったのですが、その後所在が不明になったままでありました、それから4年を経た昨年1210日に「釈放されたが自由の身ではない」ということが明らかになったのです、刑期満了後、さらに4年間、「秘密刑務所」とも言うべき施設に捕えられていたことがわかりました

 GGIは某知人に頼まれて、十年以上前から、すなわちハダ氏が刑務所で服役しているときから、何度も何度も中国の公安当局にたいして、彼は単に自らの思想信条の自由に関する権利を行使しただけであるから、すぐに無条件で釈放すべきであるという手紙を送っておりました

 でも、まったくなしのつぶてでありました、刑期を満了した後、所在が不明になってからは、あきらめて手紙を出すのをやめてしまいました、それから4年して、このニュースが飛び込んできたのです

 「釈放されたが自由の身ではない」というのは、メールを読みますと、“black jail”(黒い刑務所)と称される当局が公にしていない秘密の拘禁施設からは釈放されたが、公安当局の厳重な監視下にある都市部のアパートに移され、たえず見張られている、という意味であることが分かりました、「釈放」はされたが自宅軟禁されているということでありませう

 今夜の写真は合計19年間投獄された後、釈放されアパートに移されたハダ氏の姿です、クリックしてご覧ください

 SMHRICは、何度も交信を試みて失敗したものの、当局の妨害を潜り抜け、15秒間だけスカイプでの交信に成功し、この映像を得ることができたとしています

 最初のメールから数日後、SMHRICはハダ氏からビデオによる初めてのメッセージを送られてきたと伝えてきました。 このメッセージの内容は以下のとおりです

 『本日(20141210日)、19年の後、私に対する捏造された事件は終わりを告げました。19年間、当局は何としても私の信念を放棄させようと、やっきになってきました。この間、私は酷い虐待を受け、様々なやり方で拷問を加えられ、様々な策略に苦しめられてきました。けれども、私は自らの信念を貫き通し、闘いを続け、その結果今日、勝利への最初の一歩に到達しました。しかしながら、犠牲になったものと失われたものは計りしれません。とりわけ、私の妻と息子は虚偽に基づく告発を受け、非常な迫害にあい、苦しみにさらされました。私自身は拷問と残忍な行為のために身体に障害を負う身になってしまいました。釈放される以前、(中国当局は)民事で告訴し、訴訟を行うことができると私に繰り返し言っていたにもかかわらず、私から補償を求める権利を奪い去るために彼らは執拗にさらに拷問を加えました。とりわけ、外国の報道メディアによるインタビューを絶対に受けてはならないと、何度も執拗に私を脅迫しました。このため私は親族以外の誰とも接触することを禁じられました。最も許し難いのは、彼らが釈放後も依然として私を囚人として扱う権利を要求したことです。私はこれらの条件をすべてきっぱりと拒絶しました。私の次のステップは、生活を整え学ぶことにより、モンゴル民族への弾圧に対する戦いを続けることです』

ハダ氏と家族は、今後、当局を相手に訴訟を起こすとしています

 これまで中国当局はハダ氏の件に関しては徹底して沈黙を守ってきたのですが、2014年12月10日、中国外務省はハダが4年の「追加刑期」を終えて出所したと発表しています。

一年ほど前であったでしょうか、日本にやってきたSMHRICのメンバーを迎えての在日モンゴル人の集まりが神戸であり、この集まりに行ったことがあります、彼らがとても快活で元気いっぱいであったことがGGIの記憶に残っております、集会が終わってから、日本に来てから何年にもなるという大柄で陽気なモンゴル人に「GGIさん、コンシンカイ、これからやりま~す、いきませう、そしてモンゴルのうまい酒、タクサンのみませう!」と誘われたのですが、モンゴルの酒は大変強そうであり、元気なモンゴル人に囲まれて飲みだしたら帰れなくなる危険性が満杯でありましたので、辞退してかえってきました。

とにかくハダ氏が過酷な獄中生活で命を落とすことなく、生きて出獄できたことを知って、GGIはほっといたしました

 関心がおありの方はSMHRICのサイトをご覧ください、ハダ氏の動画も載せられています ( http://www.smhric.org/index.htm

 グッドナイト・グッドラック!

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