透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「どくとるマンボウ青春記」 再読

2008-11-02 | A 読書日記



 北杜夫がトーマス・マンに傾倒していたことはよく知られているが、この本にはそのきっかけとなった「事件」が出てくる。

交友会の新旧委員交替の酒席で二人の教授をなぐってしまったのだ。なぐった教授のうちのひとりが望月市恵教授だった。

この暴行事件がきっかけとなって北杜夫は望月教授と親しくなり、穂高の教授のお宅に出入りするようになってトーマス・マンやリルケの話を聞いたという。

北杜夫は**これらの作家、詩人の著作との運命的な出逢いの萌芽は、たしかにこのとき得られたのである。**と書いている。

ところでトーマス・マンの代表作『魔の山』岩波文庫は上下巻合わせて1,300ページにも及ぶ長編だが、北杜夫のファンとしてはこの小説も読まねばならぬ、と決心をして挑戦したのが94年のちょうど今頃だ。

上巻は10月24日から11月7日にかけて読んでいる。下巻は同日から読み始めてはいるが読了日の記録がない。途中で投げ出してしまったのかもしれない。ちなみに、ふたりの訳者のうちのひとりは望月市恵氏。

今回の『青春記』再読で印象に残ったのは、北杜夫が東北大学の医学部に合格してから松本を再び訪ねたときの内面描写。

**そうしたつまらない、そのくせ貴重なように思える数々の追憶も今は幻(まぼろし)となって、闇に溶けこんでいる。私は卒業生で、たとえ松本にいるにせよ、もはや松高生ではないのであった。たしかに、あれこれの変ちくりんな友人たちの姿は私のかたわらにすでになく、自分は借着のように身につかぬ大学生とやらになって、ただ一人、懐しさのこびりついた町を単なる外来者として蹌踉(そうろう)と歩いているのだな、と私は思った。**

北杜夫はこういう表現が上手い作家だなあ、と改めて思う。私が惹かれるのは作品に漂うこの寂寥感。

次は三日間過ごした後、汽車で松本を去る場面。汽車から景色を眺めていて

**それから汽車が塩尻に近づくころ、ほんのしばらく北アルプスの前衛の山の背後に垣間見える黒白だんだらの穂高の姿。
それらは否応なしに別れざるを得ない青春――当時はそういう言葉を使う気がしなかった。ただ、痛切な追憶のぎっしりつまった何ものか、という感じであった――の最後のなごりのような気がした。** 私はこの場面を読んで涙ぐんでしまった。

『どくとるマンボウ青春記』、次回読むときはどこに惹かれるだろう・・・。





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