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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

下小曽部の道祖神

2012-02-11 | g 道祖神〇


塩尻市の下小曽部大日の双体道祖神

 鬼は節分の豆まきに欠かせないキャラクタ―ですが、この鬼って、厄神を具体的なものとして可視化したものなんですよね。目に見えないものを可視化することで、みんなで共通なものとして認識することができるわけで、これってすごく意味のあることのように思います。仏の姿を具体的な形で表現した仏像の場合もそうです。

 *****

厄神というのは空間の境目、時間の境目から侵入してくると考えられているということで、道祖神は集落の入り口やはずれ、つまり空間の境目に祀られていることが多いですし、豆まきは節分、つまり時間の境目に行われます。道祖神のことを塞(さえ、さい)の神ということも頷けます。塞は塞ぐという意味ですから、空間の隙間を塞ぎ厄神の侵入を防ぐ神様と理解することができるというわけです。

この道祖神は抱肩握手像です。男神と女神がお互い相手の肩に手をかけ、握手をしています。道祖神によくみられるポーズです。裏面に下小曽部村中と彫ってありますが、他の文字は見当たらず、建立年も分かりません。像の摩耗の状態などから古いものだろうと思います。

道祖神にはこのように仲のいい神様が彫られていますが、これは熱々のところには厄神は寄りつこうとはしないと考えられていたからだとか。

**道祖の神々に官能的な姿態をとらせ、生命力の旺盛さを強調し、それによって悪霊などの外敵の侵入を防ごうとした人たちの心根は微笑ましい。**『道祖神』降旗勝次編/鹿島出版会に収録されている加藤氏の「三国街道の道祖神」より引用(182頁)

道祖神巡り まだまだ続けます。


 

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253 細部を観察する

2012-02-09 | g 火の見櫓観察記


 
253 池田町花見の火の見櫓

この火の見櫓では前稿のように高さを押さえることはしませんでしたが、細部を観察しました。

 

 屋根のてっぺんの飾り。なるほど、こうなっているのか・・・、上下両端をつるのように巻いた細い鋼材を3本避雷針にとめています。



屋根の下、山形鋼の3本の柱の上端を横材で繋いで屋根を載せています。更に半鐘を吊るすための横材を架けています。この様子を見ると3角形の櫓には3角形か6角形、あるいは円形の屋根でないと、うまく載せることは難しいことが分かります。え~と、このような平面どうしの関係って、なんて言うんでしたっけ・・・、忘れました。


 

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252 およその高さを知る

2012-02-09 | g 火の見櫓考〇

 
252  北安曇郡池田町会染

 

 河岸段丘があるようなところではその上の集落は一般的には古く、その下、つまり河川と同レベルのところの集落は比較的新しいという傾向にあるようです。やはり昔の人たちは河川の氾濫に対して用心深かったんでしょうね。それで河川より少しでも高い土地に住んでいたのでしょう。

北安曇郡池田町。この町の西側を高瀬川が流れ、東側は河岸段丘、更に里山へと続きます。河岸段丘の上には古い集落があります。もっとも北アルプスの眺望がよいという理由からか、新しい住宅も増えているようですが。古い集落には石碑や火の見櫓があるだろうと、出かけてみました。予想に違わず火の見櫓が立っていました。風景によく馴染んでいます。

この火の見櫓、高さはどのくらいだろう・・・。そうだ、梯子段の間隔から櫓の高さが分かる! いままでどうして気が付かなかったんだろう・・・。スケールで梯子段の間隔を測るとちょうど40cmでした。地面から1段目までは75cm、最上段から見張り台の床までは目測で20cm。

40×19+75+20=855 見張り台の床面までの高さは約8.5m 見張り台の床面から屋根のてっぺんまで3mとみて、8.5+3=11.5 この火の見櫓の高さは約12mだと分かりました。これからは、この方法で火の見櫓のおよその高さを把握しようと思います。


 

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251 姨捨の火の見櫓

2012-02-08 | g 火の見櫓観察記

 
251 長野自動車道姨捨SAのすぐ近くにある火の見櫓 (写真提供Tさん)

 高さは横の物置の3倍ちょっと、6メートルくらいだろうか。傾斜地の集落の上方に立っているのでこの高さで済むのだろう。このくらいの高さだと梯子状の簡単なものもよく見かけるがこれは立派。火の見櫓の構成要素を省略せずに全て用いている。

3角形の櫓に4角形の屋根というのはそれほど多くはない。3本の柱と4角形の屋根の下地材とが対にならないから。3角形の櫓なら3角形か6角形の屋根、4角形の櫓なら4角形、あるいは円形の屋根というのが一般的だ。これなら両者が平面的にうまく重なる。

屋根のてっぺんの避雷針はこの高さの火の見櫓だと単なる飾り、頂華(フィニアル)と理解した方がよさそうだ。

脚部は単材をアーチ状につけた後、ブレースを追加したのではないだろうか。写真では分かりにくいが半鐘とともに木槌が吊るしてあるようだ。現役として使われているかどうか分からないが、これはうれしい。


 

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「日本の神様」

2012-02-07 | g 読書日記



 今年は「古事記」編纂1300年の節目の年にあたるそうですね。この頃書店で「古事記」や「神様」を特集した雑誌をよく目にします。なぜだろう・・・と思っていましたが、理由がわかりました。

**神話から日本人の心の原風景を感じ、神社から信仰の歴史を知り、我々の心の核心を覗いてみたい。**「日本の神様」 こういうことなんですね。

 *****

『路傍の石仏』 武田久吉/第一法規出版(初版 昭和46年3月)は道祖神と庚申塔について詳しく論述している本です。先日少し読んでみましたが、庚申塔が他の神仏と習合する例の中で最も多いのは道祖神で、これは庚申の申(さる)と道祖神は猿田彦だという俗説に由来するということが書いてありました。

こんなくだりを読むと、どうしても神様のことを調べることになるんです。道祖神に大いに関係があるらしい猿田彦ってどんな神様なんだろう・・・。で、この2冊の雑誌を読んでみることにしました。

日本には八百万(やおよろず)の神々がいるといわれてきた、ということですが、実に多くの神様がいるんですね。両方の雑誌をぱらぱらとめくってみてびっくりしました。とても覚えきれるものではありません。まだAKB48のメンバーを覚える方がやさしいかも。ひとりも名前を知りませんが。この機会に神様のことを少し勉強してみようと思います。 

猿田毘古神(さるたびこのかみ)。出てました。**国譲りの約束を経て、高天原(たかまのはら)の神々が地上に降り立ったときに、道案内をして日向の高千穂まで送り届けたことから、道案内、導きの神として信仰されている。**「日経おとなのOFF 入門ニッポンの神様」(17頁) なるほど、それで道祖神につながるというわけですね。

それにしても神様の名前が読めません・・・。天照大御神 有名な神様ですから読めます。須佐之男命、すさのおのみこと。命はみことと読むんですね。 いざなぎのかみ、いざなみのかみ。有名ですから名前だけは知っていましたが、伊邪那岐神と伊邪那美神、こう書くんですね(「日経おとなのOFF」) 。でも「日本の神様」では伊耶那岐神と伊耶那美神となっています。どちらの表記でもいい、ということなんでしょうか。

小学校の低学年のとき、この夫婦の神様が矛で海をかき混ぜて日本の島というか国をつくったという話を読んだ記憶があります。

「いなばのしろうさぎ」が古事記にでてくる話だと知ると、古事記や神話が少し身近なものに感じます。

とりあえず雑誌を読んでみることにします。



 

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歴史の終わりとは、忘れること。

2012-02-06 | g 読書日記


『コンニャク屋漂流記』 星野博美/文藝春秋 

**在京漁師三世、あるいは漁師系東京人三世といった感じだろうか。**(008頁) 星野さんは自身のことをこう書いている。在京漁師三世、漁師系東京人三世。ユニークな表現が気にいった。表現力のある人だと思った。

家族や親せきの人たちに対する星野さんの深い愛情が彼女をルーツ探しの旅へ駆り出したのだ。星野さんのルーツ探しの航海は「漂流」ではなかった。なぜならおじいちゃんが残した手記が海図というか、ナビの役目を果たしてくれたから。**住民は大体、紀州方面から来たといふ説があります。**(039頁) おじいちゃんはかわいい孫のためにちゃんと最終目的地を手記に示している。

星野さんは生まれ育った東京の五反田からおじいちゃんの出生の地、千葉の房総は御宿へ、そして和歌山の加太というルートを辿っていく。その過程で親せきの人たちと交わす会話が面白い。ノンフィクションで、いや小説でもこんなに会話がたくさん出てくる作品を他に知らない。親せき付き合いが「濃い」。

おじいちゃんの実家にはおじいちゃんの兄さんの一人娘、星野さんのお父さんの従姉(いとこ)が一人暮らしをしている。名前を「かん」という。親せきの人たちはみんな親しみを込めてかんちゃんと呼んでいる。かんちゃん始め、親せきの人たちは皆、元気で明るい。ここに星野さんは一族、漁師一族の血を感じる。**海の上で働くには、生死の境を常に感じ、死を覚悟しなければならない。**(068頁) 不安と緊張を緩める必要があって陸ではホラをふき、笑うのだ。**「一体全体、何が気に入らないんだ。子供は笑うのが仕事だ!」**(068頁) 幼い頃、星野さんが仏頂面をしているとお父さんに雷を落とされたという。

星野さんのご先祖さまの兄弟が400年ほど前、紀州から房総の岩田屋に渡って来た。漁師だったが、**時代によっては陸に上がり、髪結をしたり、蒟蒻(こんにゃく)屋をしたり、そしてまた海に出たりして食いつないだ。**(252頁) ご先祖さまが必死に生きてきたからこそ、子孫の星野さんが存在するのだ。

**これはコンニャク屋と呼ばれた漁師一族の漂流記である。** 「はじめに――漁師宣言」を星野さんはこう書き出しているが、星野さんのルーツ探しの航海と同様、ご先祖さまの紀州から房総、そして東京に至る長い航海も漂流ではなく、進む先を見極めたものだった、と私には思われた。 

最後に星野さんは書く。**歴史の終わりとは、家が途絶えることでも墓がなくなることでも、財産がなくなることでもない。忘れること。**(397頁)


 

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250 桔梗ヶ原の火の見櫓

2012-02-06 | g 火の見櫓観察記

 
250 塩尻市宗賀(桔梗ケ原)の火の見櫓

 あれ、こんなところに火の見櫓がある! 先日ここを通りかかったとき、はじめてこの火の見櫓に気がつきました。下の地図で分かるように、井筒ワインの目の前(って県外の方には「?」でしょうが、桔梗ケ原ってワインで有名なんです。ワイン好きの方でしたらご存知かと)。すぐ近くには五一ワインもあるのに・・・。火の見櫓を意識しだす前は全く気がつきませんでした。



火の見櫓って構成部材が細く、すけすけで風景に溶け込んでいますから、意識しないと見えないんですよね。別に火の見櫓に限らず、意識していないものの情報って脳は認識しようとしないんです。

この頃、広報活動が効を奏して知人・友人が火の見櫓を観察するようになってきました。「U1さんから火の見櫓の話を聞いてから、あちこちに立っていることに気がついて、観察するようになりました」 うれしい報告です。

ヤグラーのサークルをネット上につくったりして・・・。私は既にGoogle+のあるサークルに参加していますから、すぐにでもできそうです。いや、ネット上ではなくて、リアルな世界っていうのか(「ネット上」の対義語って普通なんていうんでしょう)、につくる方がいいのかな・・・。

さて、この火の見櫓について。

櫓のブレースが2段、火の見櫓の背は低いですが脚部はきちんと脚部らしくできています。脚がなくて下までブレースで構成されていると、どうも見た目が悪いというか、落ち着かないというか、そんな印象になります。

屋根の下に半鐘が吊り下げてあります。今も叩いているのかどうか、確認したいと思います。半鐘が無いと、とてもさみしく見えてしまいます。世間から取り残されてしまっているようで。やはり半鐘が無いといけません。




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週末読書の2冊

2012-02-03 | g 読書日記



 この時期、寒くてウォーキングをしようという気にはならない。が、昨日(2日)は、夕方丸善まで出かけた。勤務先から往復でおよそ5200歩。平日の込み具合が気になっていたが、全てのレジにお客さんが立っていた。

週末読書にと2冊買い求めた。

『五重塔入門』藤森照信 前橋重二/新潮社とんぼの本 掲載されているカラー写真がどれも美しい。室生寺の五重塔は土門拳の写真集でしか見たことがなかったが、この本にも掲載されている。境内の配置図も載っていて、本堂と五重塔を結ぶ階段などの位置関係がわかって興味深い。奈良県宇陀市室生、訪ねてみたい・・・。巻末の「卒塔婆からスカイツリーまで 五重塔2500年史」は五重塔の歴史がコンパクトにまとめられている。基礎的な知識として頭に入れておきたい。

『生命を捉えなおす 生きている状態とは何か』清水博/中公新書 カバーの折り返しにある本書の紹介文**分子の世界へと微視化を進めるだけででは生命の本質は捉えきれない。(中略)生命システムの普遍的な性質を「自ら情報を創り出す能力」という観点から捉える。そこから複雑で多義的な大脳や、環境の知的な働きの底に存在する法則性を動的に追及していく。知性の本質、意味論的な情報、開かれた組織への科学的アプローチの冒険が始まる。** 生命科学、脳科学に関する本は興味深い。

この2冊の他に『コンニャク屋漂流記』星野博美/文藝春秋と再読中の『空海 塔のコスモロジー』武澤秀一/春秋社を読了しなくては。明日の土曜日は内籐廣さんの講演会もある。多湖輝さんの話にでてきた「きょうよう」と「きょういく」(←過去ログ)があるか。今週末も用がある、行くところがある。


 

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― 火の見櫓の美に欠かせない条件

2012-02-02 | g 火の見櫓観察記


塩尻市洗馬(上小曽部)の火の見櫓(2回目)

 この火の見櫓も下が丸鋼にリング式ターンバックル付きのブレース、上が山形鋼と平鋼のブレースだ。この火の見櫓を観察して、リングが垂直方向にとんとんとん、とリズミカルに並んでいること、それから櫓が末広がりになっていることが火の見櫓の美に欠かせない条件であることが分かる。このフォルムでは逓減効果による美を感じない・・・。

でも立地はなかなかいい。火の見櫓の右に写っているのは桜の枝、春に再訪しよう。


 

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249 経済性?

2012-02-01 | g 火の見櫓観察記

 
249 塩尻市洗馬(下小曽部)

 子どもの絵本などに載っている「かくし絵」。この絵の中に森の動物が5ひきかくれています。さがしてみましょう。この類の絵ですよね。絵をよく見ると茂みに同化していてよく分からないウサギとか、木の枝に同化している小鳥などが姿を現します。

この火の見櫓もすぐ後ろの柿の木に同化していたのか、それともボクがどうかしていたのか、今まで気がつきませんでした。このような簡素なつくりの火の見櫓を時々見かけます。このくらいの高さなら、屋根と見張り台のあるオーソドックスな姿・形の火の見櫓もあります(写真下)。


塩尻市洗馬岩垂

両者比較すると当然簡素な火の見櫓(写真上)の方が経済的なわけで、予算によって地元の人たちがどんな火の見櫓にするか決めたと考えるのが妥当かと。他に例えば立地条件によって屋根や見張り台付きだったり、簡素なものだったりしたことって、あったんでしょうかね~。


 

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ブックレビュー 2012.01

2012-02-01 | g ブックレビュー〇





■ 鄙里は寒い。 おとといの朝7時過ぎの外気温は-14℃、昨日は-11℃だった。 

今日から2月。1月のブックレビュー。

北杜夫の長編小説『楡家の人びと』新潮文庫を再読した。斎藤(北杜夫)一族の三代にわたる個性的な人物をモデルにした小説。茂吉も当然主要な人物(徹吉)として登場する。ただ、歌人としては全く描かれておらず、医学者としてのみ描かれている。

徹吉(茂吉)がドイツ留学中に地元の新聞に「日本大震災」と報じられた関東大震災が起こる。**地震は九月一日の早朝に起り、東京横浜の住民は十万人死んだ。(中略)熱海、伊東の町はまったく無くなった。富士山の頂が飛び、大島は海中に没した・・・・・。** 記事を読んだ徹吉は**今ここに海を越えて遥かへだたっている自分はどうしたらよいのか?楡病院、――病院も崩壊したにちがいない。家族の者で、一体何人が生き残っているだろう?一体誰と誰が生き残ったのか?それとも?**(上巻216、217頁)と感情をかき乱される。小説はいつ、どのような状況で読むかで印象に残る場面も変わる。

大正から昭和、太平洋戦争後までの日本。大きな時代の流れの中、楡家の人びとそれぞれの生き様。

『ケガレ』波平恵美子/講談社学術文庫 様々な民俗的営みに表れ出る「ケガレ」の諸相。それは西洋の近代知、論理的な思考には不向きな対象か・・・。

『脳の風景』藤田一郎/筑摩選書 可視化された脳の現代アートな世界。脳内の「風景」から読み解く脳の機能。

『風景学入門』中村良夫/中公新書 総じて中公新書は内容が濃い。「風景学」という知識体系構築へのアプローチ。


『楡家の人びと』新潮文庫は今は三巻になっている。

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