透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

歴史の終わりとは、忘れること。

2012-02-06 | A 読書日記


『コンニャク屋漂流記』 星野博美/文藝春秋 

**在京漁師三世、あるいは漁師系東京人三世といった感じだろうか。**(008頁) 星野さんは自身のことをこう書いている。在京漁師三世、漁師系東京人三世。ユニークな表現が気にいった。表現力のある人だと思った。

家族や親せきの人たちに対する星野さんの深い愛情が彼女をルーツ探しの旅へ駆り出したのだ。星野さんのルーツ探しの航海は「漂流」ではなかった。なぜならおじいちゃんが残した手記が海図というか、ナビの役目を果たしてくれたから。**住民は大体、紀州方面から来たといふ説があります。**(039頁) おじいちゃんはかわいい孫のためにちゃんと最終目的地を手記に示している。

星野さんは生まれ育った東京の五反田からおじいちゃんの出生の地、千葉の房総は御宿へ、そして和歌山の加太というルートを辿っていく。その過程で親せきの人たちと交わす会話が面白い。ノンフィクションで、いや小説でもこんなに会話がたくさん出てくる作品を他に知らない。親せき付き合いが「濃い」。

おじいちゃんの実家にはおじいちゃんの兄さんの一人娘、星野さんのお父さんの従姉(いとこ)が一人暮らしをしている。名前を「かん」という。親せきの人たちはみんな親しみを込めてかんちゃんと呼んでいる。かんちゃん始め、親せきの人たちは皆、元気で明るい。ここに星野さんは一族、漁師一族の血を感じる。**海の上で働くには、生死の境を常に感じ、死を覚悟しなければならない。**(068頁) 不安と緊張を緩める必要があって陸ではホラをふき、笑うのだ。**「一体全体、何が気に入らないんだ。子供は笑うのが仕事だ!」**(068頁) 幼い頃、星野さんが仏頂面をしているとお父さんに雷を落とされたという。

星野さんのご先祖さまの兄弟が400年ほど前、紀州から房総の岩田屋に渡って来た。漁師だったが、**時代によっては陸に上がり、髪結をしたり、蒟蒻(こんにゃく)屋をしたり、そしてまた海に出たりして食いつないだ。**(252頁) ご先祖さまが必死に生きてきたからこそ、子孫の星野さんが存在するのだ。

**これはコンニャク屋と呼ばれた漁師一族の漂流記である。** 「はじめに――漁師宣言」を星野さんはこう書き出しているが、星野さんのルーツ探しの航海と同様、ご先祖さまの紀州から房総、そして東京に至る長い航海も漂流ではなく、進む先を見極めたものだった、と私には思われた。 

最後に星野さんは書く。**歴史の終わりとは、家が途絶えることでも墓がなくなることでも、財産がなくなることでもない。忘れること。**(397頁)


 


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