透明タペストリー

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「人類と建築の歴史」を読む

2023-12-07 | A 読書日記

 岩波ジュニア新書とちくまプリマ―新書。どちらもおもしろい。なぜか。

難しいことを分かりやすく書くという難しいハードルを越えた本だから。難しいことが難しく書かれた一般書とは違い、どちらも中高生向けの新書だから難しいことが分かりやすく書かれている。

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『人類と建築の歴史』藤森照信(ちくまプリマ―新書 2005年初版第1刷、2021年初版第6刷)を読んだ。この本も分かりやすく、おもしろかった。藤森さんの本はどれもおもしろいけれど。

実証するのは困難、いや到底無理と思われるようなことでも藤森さんの書いた文章を読むと、なるほど、と納得してしまう。例えば本書では農業のはじまりに関する次のような件。なるほど。

**旧石器時代にスタートする地母信仰は、獲物の絵を描いたりヴィーナス像を作ったりすることで信仰を表現していたが、新石器時代に入ると、さらに加えて、生殖と生命という地母信仰の本質を野生の米や麦の〝種を播く〟という形で表現するようになったのかもしれない。地母信仰の宗教表現として、最初の農業が生み出された可能性だってある。**(28頁)

その一方で実験考古学的な手法によって得た知見によって、次のような指摘もしている。

縄文時代の竪穴住居の構造材(柱や梁)に栗材が使われていたことについて、**クリは一番腐りにくいからだろうか。**(80頁)と、一般的な見解を示して即、**ちがう。**と断じている。**理由は、樹を伐る道具の方にあった。磨製石器の石斧ではクリが一番伐りやすいのである。桧に代表される柔らかい針葉樹とクリに代表される硬い広葉樹をくらべると、柔らかい針葉樹の方が伐りやすいと頭では考えがちだが、実際に石斧を振って試してみると、針葉樹には弾力性があって、石斧の刃をはね返してしまう。(中略)石斧のそうシャープとはいえない刃先も、硬い広葉樹の肌なら伐り込むことができる。**(80頁)。 

弥生時代から古墳時代になって鉄器が出現、**薄く弾性のある鉄の刃先のおかげではじめてクリに代り桧、杉、松といった針葉樹が自由に加工できるようになった。**(103頁)

また、縄文時代の茅葺屋根について、次のように指摘している。やはり実験考古学的な手法によって得られた知見。石器では茅を刈り取ることはできないし、屋根の表面を美しん整えることも無理だと。で、草や樹皮の上に土を載せた土葺きだった、と。(過去ログ

藤森さんの超建築史概論

藤森さんはこの本で1万年にも及ぶ建物の歴史をざっくりと1ページで次のようにまとめてしまう(165頁の記述を箇条書きに改めた)。こんなこと、藤森さんをおいて他に誰ができよう。

一歩目「世界は一つ」世界のどこでも共通で、円形の家に住み、柱を立てて祈っていた。
二歩目「青銅器の時代」四大文明で世界はいくつかに分かれて、巾を持つようになる。
三歩目「四大宗教の時代」世界各地で多様な建築文化が花開いた。
四歩目「大航海時代」アフリカとアメリカの個有(記載のまま)な建築文化は亡び、世界の多様性は傾いた。
五歩目「産業革命の時代」アフリカとアメリカに続いてアジアのほとんどの国で固有性が衰退する。
六歩目「二十世紀モダニズム」ヨーロッパも固有性を喪い、世界は一つになった。

藤森さんはこの様を次のように表現している。**人類の建築の歴史は面白い姿をしていることに気づく。細長いアメ玉を紙で包んで両端をねじったような形なのである。**(165頁) すばらしい! こういう超ざっくりな捉え方、大好き。 この時、藤森さんの視点場は全体を見通すとてつもなく高いところにある。

また、上掲の引用文で分かるように、時にとんでもなく低く近いところにある。これは建築家として活動を始めたことによって得られた視点場だろう。

この本のボリュームはおよそ170頁。で、130頁を過ぎてようやく第五章の青銅器時代から産業革命まで が始まり、この章で青銅器時代から産業革命までを述べている。そして、最終第六章の二十世紀モダニズムはわずか17頁(内2頁は図版)だ。このアンバランスさに藤森さんの建築史観が反映されている(と言い切る)。

本書の最後に藤森さんは、人間が身体から離れることができないように、建築も物体性から離れることはできないとして、この先ガラスを多用してより抽象性の高い建築を極めようとするだろうが、ゼロに向かう漸近線のような状態に立ち入るだろうと書いている。

で、最後の一文。**二十一世紀の建築は、より軽くより透明を目指す一団が世界の中心にあり、その周りには物としての存在感の回復を夢想する、バラバラでクセの強い少数者が散らばって叫んでいる、そんな光景になるのかもしれない。**(168頁)

藤森さんは「もの」としての建築の実在性を求める建築家を赤派と、抽象性を求める建築家を白派、このように明快に建築家を二派に分けてみせた。上掲の文章は、白派と赤派の状況予想。

奥付によると本書の出版は2005年、この年から既に18年経っている。藤森さんのこの予想はどうだろう・・・。

建築設計界が円から楕円に変形して、物としての存在感の回復を意図した建築家たち、即ち赤派が楕円の一方の中心にあるような状況になってきたのではないか。その中の主要な人物はもちろん藤森さんだ。


 
低過庵(2017年) 竪穴式住居な茶室


空飛ぶ泥舟(2010年)これは浮かぶ竪穴式住居的茶室!? 

約一万年で建物の歴史はまた振り出しに戻ったと言う藤森さん。一見、縄文時代の竪穴式住居のような茶室を出身地の茅野市宮川につくっている。


 


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