■ 『東寺の謎 巨大伽藍に秘められた空海の意図』三浦俊良/祥伝社黄金文庫を読んだ。
□配置図
□講堂内諸尊配置図
興味深い内容の本だが、この伽藍配置についても空海は曼荼羅を手本にしていると説く。**空海は国によって計画された伽藍配置をほぼ踏襲しながら、東寺の伽藍配置を使って、その上に密教の教えを映し出す巨大な空間を描いていった。**(38頁)
伽藍のほぼ中央に講堂があって、さらに講堂の真ん中に真言密教の主尊である大日如来を安置してる。このことは上の配置図と下の講堂内諸尊配置図(ともに東寺のリーフレットから転載した)から確認できる。
また著者は五重塔について次のように指摘する。**東寺には釈迦と大日如来、神々と仏、敵と味方、異国とわが国の共存がある。釈迦と大日如来の共存は五重塔で見ることができる。五重塔は釈尊の遺骨を安置するという役割を担うとともに、空海はこれを大日如来の身体とその働きと見なした。**(41頁)
また五重塔については次のように分かりやすく説明している。**五重塔はインドのストゥーパが起源である。ストゥーパとは、釈迦の遺骨を安置する舎利塔で、当初は土饅頭の形をした墳墓であった。仏教とともに中国に渡り、中国で楼閣建築と結びついて何層にもおよぶ塔になった。そして、わが国に伝えられ、いまのようなスタイルに変化していった。**(108頁)
五重塔内部の様子については次のように説明している。**四天柱のなかに須弥壇をもうけ、中心の心柱を背にして金色の四如来を安置した。東に阿閦(あしゅく)、南に宝生、西に阿弥陀、北に不空成就を配し、その如来の脇侍に八大菩薩像をおいた。**(108頁) この配置は講堂内と同じだから上の図で確認できる。
では肝心の大日如来は?
空海は心柱を大日如来と見做したのだという。これが一般的な解釈かどうか分からないが、なるほど!な説明だ。
遷都当初、平安京では官寺である東寺と西寺しか建立が許可されなかったそうだ。歴史に疎いし、いままで東寺について調べたこともなかったから、東寺が大火災に遭って存亡の危機にさらされたこともあったということはこの本を読むまで知らなかった・・・。現に西寺は今は無い。
旅行前にこの本を読んでいたら、「秋 古都の旅」で見学の優先順位が違っていただろう。次回はこの本がすすめる櫛笥小路から北大門に至るコースで東寺にアプローチしてみたい。
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