哲仙の水墨画

デジカメの風景写真、四季の草花、水墨画、書、短歌などを楽しみます。

菊活くる 麦南(書)

2006-09-15 06:23:59 | 
菊活くる水絨毯にまろびけり     西島麦南

 明治28年熊本県に生まれる。昭和56年没。武者小路実篤の「新しき村」運動に賛同。俳句は飯田蛇笏に師事。
 菊を活けていると絨毯に水がこぼれて転がったという。わずかな水が転がる一瞬の動きを捕らえて素晴らしい。

早干支の引継ぎ(写真)

2006-09-14 07:45:04 | 写真
幾重にも山の紀伊なる伊太祁曾の
神に木彫りの干支の引継ぎ       樋田哲夫

 好天とあって久しぶりにバイクで遠出した。心地よい秋風を体で切って黄金の色増す稲穂の景色を楽しみながら紀北の伊太祁曾(いだきそ)神社へ到着。拝殿へ登ると今年の戌と来年の亥が早くも並んでいた。杉の大木がチェンソーで巧みに彫られ、龍神村の製作者名もあり、まるで暮れの干支の引継ぎをしているようであった。

栗の実(水墨画)

2006-09-13 08:05:07 | 水墨画
水墨を習ひに通ふ道沿ひに
栗の木の実のいまだはじけず        樋田哲夫

 水墨画を習いに通る細い道沿いに数本の栗の木があり、その季節になると観察して通るのだが、9月上旬ではまだ栗の実ははじけていない。秋の深まるころの月日を知りたい。自動車ながらしばらく通るたびに注意を怠ることは出来ない。 にほんブログ村 美術ブログへ

夏草や 芭蕉(書)

2006-09-12 08:22:29 | 
夏草や兵どもが夢の跡     芭蕉

 3年前の9月東北を訪ね、平泉中尊寺に立ち寄る。目当ては金色堂である。金色の阿弥陀堂で、内部は金色に輝き、装飾に圧倒された。4本の巻き柱、須祢壇、長押、夜光貝の螺鈿(らでん)、透かし彫りの金具、漆の蒔絵で堂内は美術工芸品といった感があった。芭蕉も門人曾良とともに元禄2年に、北上川と衣川の合流地を見下ろす高館の丘で義経をしのんで句を残している。

巨大不動・龍蔵寺(写真)

2006-09-11 07:17:09 | 写真
山間に仁王立せるお不動は
火焔背負ひぬ憤怒の相して      樋田哲夫

 龍蔵寺(山口市)の巨大な不動尊立像である。一段と高い壇に立つ姿は始めて見る。野外に青い塗料は時として塗り替えも必要であろう。美術に日本三大不動がある。青蓮院の青不動、高野山明王院の赤不動、三井寺の黄不動が有名である。いずれも国宝。不動尊立像の前に立ち思い起こす。

秋の里山(水墨画)

2006-09-10 06:30:10 | 水墨画
里山は消えつつありて寂しけど
幾たびも行く鷹渡るころ       樋田哲夫

 日本の原風景・ふるさとの里山が開発の波に押されて減少してしまった。「日本野鳥の会」の会員である私は野鳥の住む場所がなくなるのは心痛むが、9月下旬~10月上旬はタカが日本を離れて東南アジアへ帰っていく。コースが決まっていて特定の山へこの時期だけは観察によく出かける。この画は作品展に出品予定。 にほんブログ村 美術ブログへ   

子の摘める 立子(書)

2006-09-09 07:06:43 | 
子の摘める秋の七草茎短か      星野立子

 高浜虚子の次女立子は橋本多佳子、中村汀女、三橋鷹女らと4T
と呼ばれた一人。昭和59年80歳で没。昭和45年脳血栓で右半身不随、言語障害となる。
 わが子が摘んだ秋の七草は茎(くき)が短かったというのである。日常の一瞬の切り取りである。

朱の太鼓橋(写真)

2006-09-08 06:14:52 | 写真
来るたびに踏みしめ渡る反りきつき
神へいざなふ朱の太鼓橋     樋田哲夫

 朱の映える華麗な丹生都比売神社の太鼓橋は神域への入り口である。脇に地道が平行してあるのだが、太鼓橋を渡ってこそ神への祈りの準備が整う。大阪住吉大社のものほど大きくはないが、これほどものはどこでも見かけるというものではなく見事である。

ブドウ3房(水墨画)

2006-09-07 06:33:25 | 水墨画
秋立つと店にブドウの並び立ち
露地栽培ととても思へず       樋田哲夫

 暦の上では秋であるが、店頭には秋の味覚ブドウが並びはじめる。その早さに驚かされるが、何もブドウに限ったことではない。カボチャ、ナスビ、スイカ、トマトなど野菜は季節をなくしてしまった感がある。温室やビニールハウスの栽培技術の発達がそうさせてしまったのだろう。にほんブログ村 美術ブログへ 

梨剥くや 子規(書)

2006-09-06 06:59:49 | 
梨剥くや甘き雫の刃を垂るる        正岡子規

 子規は俳句、短歌、新体詩、評論、小説など近代文学に大きな足跡を残した。柿の有名な句もあり果物が大変好きであった。梨をむいていると果汁が刃物を伝って落ちというのであるからよほどみずみずしい梨であったと感じられる。

天野の丹生都売比神社(写真)

2006-09-05 06:40:46 | 写真
秋陽差す天野の里の楼門は
みなの頭(こうべ)に祝詞のひびく    樋田哲夫

 和歌山・かつらぎ町の丹生都比売(にうつひめ)神社は数年ぶりの訪問である。豪華な太鼓橋、楼門、社殿は皆朱塗りで壮麗である。丹生の名のある全国の神社は朱で装飾され華麗であり、この神社は総本社となっている。いつ訪ねても人は少ないが、珍しく数名の人が楼門でいすに座り拝んでいて神主の祝詞が響いていた。

ザクロとカラスウリ(墨彩画)

2006-09-04 07:14:10 | 墨彩画
藪高く蔓を伸ばせし烏瓜
くれなゐ冴えて秋深まれり      樋田哲夫

 竹やぶの外側の竹に沿ってツルを伸ばしたカラスウリは実が赤く熟さないかぎり存在すら分からなかったが、晩秋のころになると急に目立つようになった。青いうちは高さもあって目に入らなかったのだろう。子どものころある家のいつもの光景であったが、あれ以来見かけていない。 にほんブログ村 美術ブログへ

橡の実を 湘子(書)

2006-09-03 07:15:44 | 
橡の実を踏みしが木曾のはじめかな     藤田湘子

 小田原市出身、10代から水原秋桜子に師事。昭和32年石田波郷の後を継ぎ俳誌「馬酔木」の編集長となる。昭和39年「鷹」を創刊、主宰。昨年4月死去。
 橡(とち)の実は見たことがない。栗と同様熟すと地上に落下すのだろう。食用になることはよく聞く。

絵馬の寺・龍蔵寺(写真)

2006-09-02 06:25:55 | 写真
雪舟もその末孫の等顔も
絵馬を伝ふる龍蔵寺かな    樋田哲夫

 山口市街からさほど遠くない山間部に龍蔵寺はある。本尊は馬頭観音であることから、画聖雪舟や自称末孫を名乗る雲谷等顔の馬の絵馬があり、絵馬寺とも呼ばれているとか。絵馬の存在は参拝を済ませて長い階段を降りきってからで見ていない。惜しいことをした。

秋の味覚栗(水墨画)

2006-09-01 06:17:12 | 水墨画
「里の秋」口ずさみつつひたすらに
栗描くときのなくて七癖     樋田哲夫

 ブナ科の落葉低木で6月ごろ長い花穂を出して淡黄色の花をつける。ブドウ、ナシ、マツタケなどとともに秋の味覚の代表である。
 万葉集巻5の山上憶良の長歌に「瓜はめば子ども偲ばゆ栗はめばまして偲ばゆいづくより・・・・・」があり、思い出される。にほんブログ村 美術ブログへ