万葉雑記 色眼鏡 丗一 テキスト論(文献論)と万葉集
いきなりですが、ダンビラを大上段に構えるような話題を提供します。
文学や哲学の分野ではテクスト論なるものがあります。およその理解として、一度、文章や論が公表されると、その文章や論は一般人のものとなり、一般人が行う著作者の意図せざる解釈や理解に委ねざるを得ないと云うことです。ある種、誤訳や誤解であっても声高に言ったものが勝ちの姿ではありますが、現実の報道状況からすると世の中はテクスト論が基準のようです。
一方、テキスト論(文献論)と云うものがあり、それは、論議や研究を行うにおいて、何を資料として使うのか、その使う資料の質が適切であるかを論議するものと理解しています。この場合、テクスト論とは違い、声高に言ったものが勝ちの姿ではその行為は記録され、行為自体が評論の対象にされます。
今、万葉集の研究ではこのテクスト論とテキスト論とが混在し、混沌とした状態にあるのではないでしょうか。テクスト論の立場に立てば、『萬葉集』を如何様に解釈し、そこから新たに「万葉集」を起こし、その「万葉集」に対して、あたかも『萬葉集』であるかのように研究や論を行う行為が否定される訳ではありません。他方、テキスト論の立場に立てば、『萬葉集』の研究では『萬葉集』を第一義に使うべきであって、派生したものを疑似「万葉集」資料として使うのはおかしいと云うことになります。ご存じのように、現在の流行はテクスト論からの「万葉集」の鑑賞・研究であって、テキスト論からの西本願寺本の『萬葉集』などを使用し、対象となる歌を定義してから原文歌の鑑賞・研究を行うと云うスタイルは亜流や異端扱いとなっています。なお、ここで云う「万葉集」とは中世古語に翻訳された「訓読み万葉集」を意味します。さらに限定すれば「校本の訓読み万葉集」です。
さて、このブログにご来場の御方は容易にインターネットを使いこなせると思います。また、万葉集に深い興味がお有りと思います。そのようなお方にお勧めの文章がインターネット上にあります。それが、三重大学の廣岡義隆前教授(2010年退官)が公表されている『古典テキストについて -文学研究におけるテキスト論-』です。
この論文において、廣岡氏は非常に重要なことを指摘しています。
日本古典文学全集(以下、「全集本」と略称)という叢書は、上段に注、中段に原文、下段に現代語訳がある。現代語訳が付いていることはとても便宜がよくて愛用されている。この全集本は、昭和四五年(完七〇年)一一月から刊行が開始し、昭和五一年(完七六年)三月に完結した全五一冊からなるものである。同じ出版社から新編日本古典文学全集(以下、「新編全集本」と略称)も出た。同様に上段に注、中段に原文、下段に現代語訳があり、やはり愛用されている。この新編全集本は、平成六年(完九四年)二月から刊行が開始し平成一四年(二〇〇二年)一〇月に完結した全八八冊からなる叢書である。
この全集本及び新編全集本は、一般市民向けの本であるということに留意して使用する必要がある。研究者向けのテキストではないのである。即ちその「原文」は、当用漢字及び常用漢字が使用されている。「原文」を標榜しながらも、原文そのままにはなっていない。
・・・中略・・・
① 潮さゐに 伊良虞の島辺 漕ぐ舟に 妹乗るらむか 荒きき島廻を (全集本中段)
② 潮さゐに 伊良虞の島辺 漕ぐ船に 妹乗るらむか 荒きき島廻を (新編全集本中段)
③ 潮騒に 伊良虞の島邊 漕ぐ船に 妹乗るらむか 荒き島廻を (大系本左京)
④ 潮騒に 伊良虞の島辺 漕ぐ船に 妹乗るらむか 荒き島廻を (新大系本)
・・・中略・・・
‘①・②・③・④は所謂「訳文」であり、原文ではないから、無視してよいのではあるが、一般にはこれが原文として扱われることがあり、影響は小さくない。最近の『萬葉集』関係の論集等で「原則として新編全集本の萬菓歌に依ること」などと指定され、それがこの訳文を意味していたりすることがある。
一部省略はしましたが長い引用をしました。
廣岡氏は出版社名と商品名を具体的には指摘していませんが、日本古典文学全集は小学館の『日本古典文学全集』の第二巻から第五巻までの『萬葉集』を意味しますし、新編日本古典文学全集は同じく小学館の『新編日本古典文学』の第六巻から第九巻までの『萬葉集』を意味します。廣岡氏はその論文で触れられていませんが、論旨としては岩波書店からの『日本古典文学大系』及び『新日本古典文学大系』の『萬葉集』もまた同じ範疇に入ると思います。
さらに、廣岡氏は日本古典文学全集の問題点として、
大系本や新大系本では、漢字の読みについて校注者が付け加えたものはルビ中()で括られており、底本の用字は( )を付けないルビ訓の形で残されている。従って容易に底本写本の姿が復元出来ることになっている。この点、全集本や新編全集本では、それが断ち切られてしまっていて、底本写本の姿を復元出来ない形になっている。
と述べられています。
一般の人々が万葉集を楽しむ時、もう少し、本格的に楽しんで見ようと云う時に読むものとして小学館の『日本古典文学全集』や『新編日本古典文学』、岩波書店の『日本古典文学大系』や『新日本古典文学大系』に載る『萬葉集』と云うテキストがあると云うことになります。
テキスト論からすると、これらのものについて万葉集の研究者が使うべきものかと云うと、その出版された時の読者対象が研究者向けではないために研究のためのテキストとして扱うのであれば慎重に取り扱うべきもののようです。当然ですが、万葉集歌は漢字だけで表記された歌であって、訓読み万葉集のような漢字平仮名交り和歌ではありません。誰かが行った翻訳の成果である漢字平仮名交り和歌をもって万葉集歌と扱うことが出来ないのは廣岡氏が指摘される通りです。どうも、このあたりの原理原則が理解されていないものが多いような気がします。
まったく、万葉集とは違いますが、日本企業の海外進出での最大の弱点は、作業の定義とその作業のマニュアル化にあると考えます。経済活動の根本は作業の積み重ねと連携です。経済活動をそれぞれの要素に分解し、その分解されたものを個々の作業として認識することが最初に要請されます。その作業を定義し、その定義されたものに対して、「誰が、どのような手段で、どのようにして行為を行うのか、そのときの行為の責任及び権限の範囲はどこまでか、その行為をするとき、どのようなリスクが予想され、その対策はどのようにするのか、」などをマニュアル化します。なぜ、このような面倒なことをするのか。それは日本以外の国々では、経済活動での共同する人々において、それぞれの相手に対して同じ人種、同じ言葉、同じ考え方、同じ性別などの条件を期待していませんし、そのような条件設定もしません。
例えば、人が必ず行う排泄と云う行為において、日本では使用済のトイレットペーパーを排泄物と共に便器に流します。ところが、この行為は世界各国の風習・習慣からすると、特別な行為です。一般的にはトイレットペーパーは備え付けの容器に捨てるのがルールです。建物の排水管構造もそのような風習・習慣を下に設計をしていますから、排水管は小さいサイズで済みます。これが建物全体の構造やコストに影響し、安価な建物を作ることが出来る背景です。ただ、逆に排泄物だけを水洗便器内で水に溶解して流すと云う設計思想ですから、排水管は良く詰まります。便秘気味で、かつ、トイレットペーパーも流せば詰まる可能性は非常に高まります。なお、これはトイレットペーパーの質にも大きく関係します。諸外国で日本のような柔らかく、それでいて使用時には破れず、でも、すぐに水に溶ける、このようなトイレットペーパーはありません。その品質は便器に流すと云う日本独特の風習・習慣を踏まえたものであり、その分、高価です。
同じようなものを万葉集から話題を取りますと、「日本挽歌を鑑賞する」と云うテーマの時に「紅顔」と云う言葉を取り上げて説明しました。奈良時代ではこの「紅顔」は「若い少年」を意味します。一方、平安中期以降、特に訓読み万葉集の段階では「紅顔」は「健康的な美少女」を意味します。時代の推移の下、解釈での性別・対象者が逆転しています。現在の大伴旅人が詠う「報凶問歌」や山上憶良が詠う「日本挽歌」の鑑賞や解説は、この「紅顔」を「健康的な美少女」と誤訳することを前提としたときだけに成立します。日本人であるから同じ表現の言葉が同じ意味を持つとは限らないのです。
日本と諸外国とではその国の成り立ちや歴史が違います。また、同じ日本国内ですが「紅顔」と云う言葉が示すように、時代により、その言葉の意味は違い、解釈もまた変わります。言葉の解釈の背景には、おおむね、生活習慣や態度がありますから奈良貴族と平安貴族との生活習慣や態度、また、そこから生じる思考や発想が同じであるとの保証はありません。
同じように人種、地域、時代により思考や発想は違うということを認識する必要があります。そのため、作業を行う前に、作業に従事する人たち全員が、一々、その作業の定義を確認し、必要な手順を明確に理解していることが重要になります。なお、ここでの作業とは工場での単純作業だけを意味するものではありません。日本企業の総務や経営企画の人々は嫌がりますが、マネージメントと云うものもある種の経営作業としてマニュアル化をするのが諸外国では一般的です。それが出来ているため人の入れ替えが自由ですし、人種・国籍・性別に因らない経営が可能になります。それが本来的なものであって、単純組み立て作業のマニュアル化などは付随的なものですし、些末です。
日本と諸外国とではその国の成り立ちや歴史が違うと云うことに関しての近々の話題として、従軍慰安婦と云う言葉について、日本の外、世界側から考えますと、その英訳は日本では日本語を下にした造英語を行い「comfort women」ですが、この言葉が意味するものを韓国と全世界(日本の一部の新聞社も含む)は「military enslaved prostitute」又は「comfort women forced by military」と理解しますし、「comfort」という言葉が本来的に持つ意味合いからの解釈です。そして、この英語における言葉の解釈を日本語へと、再度、訳した時、きっと、日本人の大半は驚くはずです。紅顔の言葉と同じように、出発点は同じ単語なのでしょうが、日本人と韓国人ではその理解は大きく違います。そして、事実関係は別として日本外務省が関与して作ったこの造英語の言葉の定義に限定すれば韓国の人の主張が正しいものとなっています。
およそ、このように日本企業の海外進出での最大の弱点は、単一の人種や言語に依存した日本特有の以心伝心・曖昧模糊というものと相反する厳格な定義付けやマニュアル化と云うものとの対比に由来します。この弱点があるがために日本人は議論が苦手であると称されるわけです。
万葉集の鑑賞に戻りますと、作業を定義し、その手順を明らかにするとは、『万葉集』の鑑賞において、テキストとして何を使い、その読みと解釈を明確に示すことから、その鑑賞を進める必要があると思います。
現在もなお、万葉集の原文はすべてにおいてそれが確定しているわけでもありませんし、一字一音表記の歌以外はその読みもまた確定している訳でもありません。常体歌においてもここで指摘するように一般的な扱いとして「之」や「而」などの字を漢文訓読みでの助字と同等と見做して読むことが正しいのか、どうかは定かではありません。つまり、提示する文章や論文が単純に「万葉集の歌が好きだから」と云うような市井のレベルの文章ではないとしますと、最低限のマナーとして、『萬葉集』の歌が学術的には未確定であるということを踏まえて、原文、訓読み、その解釈の現代語訳を添え、何に対して述べているのかを明らかにするべきではないでしょうか。
廣岡氏が指摘するように中学・高校生又は文学コース及び大学での教養課程で国文学を選択しない大学生や一般の社会人を読者対象とするような『日本古典文学全集』、『新編日本古典文学』、『日本古典文学大系』や『新日本古典文学大系』を、まともな研究者が研究のテキストとして使用するなどと云うことは、研究者のプライドからして恥ずかしくて、現在では行われていないでしょう。しかし、一方、標準となる現代語訳と云うものも存在しません。そのため、鑑賞の深度を提示するためにも論者がそれを提供する必要があります。
『万葉集』の歌が不確定であることの参考事例として、長屋王が詠う故郷謌を紹介します。
長屋王故郷謌一首
標訓 長屋王の故き郷の謌一首
集歌268 吾背子我 古家乃里之 明日香庭 乳鳥鳴成 嶋待不得而
訓読 吾が背子が古家(ふるへ)の里し明日香には千鳥(ちどり)鳴くなり嶋待ち得(え)づに
私訳 私の大切な貴方の旧宅の里である明日香には千鳥が鳴いている。手入れされた庭園を見つけられずに。
注意 原文の「嶋待不得而」は、現在は「嬬待不得而」が歌として良いとして「嬬(つま)待ち得(か)ねて」と創作されています。その時、歌に明日香の郷の荒廃はありません。
右今案、従明日香遷藤原宮之後作此歌歟
注訓 右は今案(かむが)ふるに、明日香より藤原宮に遷(うつ)しし後に此の歌を作れるか。
比較参照として、
HP「千人万首」より引用
訓読 我が背子が古家の里の明日香には千鳥鳴くなり妻待ちかねて(万3-268)
【通釈】親しい友よ、あなたがかつて住んだ古家のある明日香の里には、千鳥が鳴いているよ。連れ合いが待ち遠しくてならずに。
【補記】「我が背子」は親しい同性の友人。「古家」は、かつて住み馴れ、今は住まなくなった家。藤原京に遷都した後の歌であると分かる。持統八年(694)の藤原遷都の時、長屋王は十九歳
HP「たのしい万葉集」より引用
原文 吾背子我 古家乃里之 明日香庭 乳鳥鳴成 嬬待不得而
訓読 我が背子(せこ)が、古家(ふるへ)の里の、明日香には、千鳥(ちどり)鳴くなり、妻待ちかねて
意味 あなたが以前住んでいた家のある明日香では、千鳥(ちどり)が鳴いています。妻を待ちかねて。
紹介するように、三者三様で歌の現代語訳は違います。およそ、「千人万首」で扱う歌は「たのしい万葉集」で扱う歌の原文と同じと思われますが、「千鳥鳴くなり妻待ちかねて」の解釈が違います。比較のために要約すると「妻が私を待ち遠しくてならずに」と「妻を待ちかねて」との違いがあります。そして、なぜ、明日香の里で千鳥が鳴くのでしょうか。これは両者ともに不明です。しかしながら、西本願寺本万葉集では「嶋待不得而」となっている原文表記を校本万葉集では、わざわざ、「嬬待不得而」と特別に校訂したのですから、それ相当の理由と納得できるような歌の解釈(現代語訳)があっても良いと思います。ところが、そうではありません。どうしたのでしょうか。
この「長屋王故郷謌」に限っても、紹介しましたようにインターネット上で有名な二つのHPおいて、その歌と鑑賞はそれぞれに違います。このような現状がありますから、万葉集の歌の鑑賞では「何が基準であるか」を明確にする必要があるわけです。
参考情報として、天皇家では日本武尊の葬送での大御葬歌から初めとし天智天皇の倭皇后の挽歌などからして、千鳥(=八尋白智鳥)は亡くなられた大王の魂の比喩となっています。また、千鳥が啼き、嶋(=苑池庭園)が荒れ果てる風景からは草壁皇子の挽歌は万葉人には視界の内と思います。そのような状況で、本来の原文表記「嶋待不得而」を校訂と云う名目で変更することは許される行為なのでしょうか。それがテクスト論での「万葉集」なのでしょうか。以心伝心・曖昧模糊の立場に立てば、研究者にとって解釈の深度が明確になる現代語訳の提示は非常に危険な行為です。それで、・・・です。それの反映が今日の論文であり、解説書のスタイルです。第一級の研究者以外は、この・・・のスタイルです。
参照資料
巻二 「皇子尊宮舎人等慟傷作謌廿三首」より引用
集歌180 御立為之 嶋乎母家跡 住鳥毛 荒備勿行 年替左右
訓読 み立たしし島をも家(いへ)と棲む鳥も荒(あら)びな行きそ年かはるさへ
私訳 御方が御出立ちなされた嶋をも家として棲む鳥も、すさんで行くな。年が移り変わったからと云って。
集歌181 御立為之 嶋之荒礒乎 今見者 不生有之草 生尓来鴨
訓読 み立たしし島し荒礒(ありそ)を今見れば生(お)ひざりし草(かや)生(お)ひにけるかも
私訳 御方が御出立ちなされた嶋の荒磯を今見ると、昔には生えていなかった雑草が生えて来たようです。
巻二 「大后御謌一首」より引用
集歌153 鯨魚取 淡海乃海乎 奥放而 榜来舡 邊附而 榜来船 奥津加伊 痛勿波祢曽 邊津加伊 痛莫波祢曽 若草乃 嬬之 念鳥立
試訓 鯨魚(いさな)取り 淡海(あふみ)の海(うみ)を 沖放(さ)けに 漕ぎ来る船 辺(へ)附きに 漕ぎ来る船 沖つ櫂(かひ) いたくな撥ねそ 辺(へ)つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 嬬(つま)し念(も)ふ鳥立つ
試訳 大きな魚を取る淡海の海を、沖遠くを漕ぎ来る船、岸近くを漕ぎ来る船、沖の船の櫂よそんなに水を撥ねるな、岸の船の櫂よそんなに水を撥ねるな、若草のような若々しい妻(=倭皇后)が心を寄せる八尋白智鳥(=天智天皇)が飛び立ってしまう。
注意 原文の「若草乃嬬之念鳥立」は古事記をベースに解釈しているために、一般の解釈で示す「嬬之」が示す人物が倭皇后と天智天皇とで入れ替わっています。
いきなりですが、ダンビラを大上段に構えるような話題を提供します。
文学や哲学の分野ではテクスト論なるものがあります。およその理解として、一度、文章や論が公表されると、その文章や論は一般人のものとなり、一般人が行う著作者の意図せざる解釈や理解に委ねざるを得ないと云うことです。ある種、誤訳や誤解であっても声高に言ったものが勝ちの姿ではありますが、現実の報道状況からすると世の中はテクスト論が基準のようです。
一方、テキスト論(文献論)と云うものがあり、それは、論議や研究を行うにおいて、何を資料として使うのか、その使う資料の質が適切であるかを論議するものと理解しています。この場合、テクスト論とは違い、声高に言ったものが勝ちの姿ではその行為は記録され、行為自体が評論の対象にされます。
今、万葉集の研究ではこのテクスト論とテキスト論とが混在し、混沌とした状態にあるのではないでしょうか。テクスト論の立場に立てば、『萬葉集』を如何様に解釈し、そこから新たに「万葉集」を起こし、その「万葉集」に対して、あたかも『萬葉集』であるかのように研究や論を行う行為が否定される訳ではありません。他方、テキスト論の立場に立てば、『萬葉集』の研究では『萬葉集』を第一義に使うべきであって、派生したものを疑似「万葉集」資料として使うのはおかしいと云うことになります。ご存じのように、現在の流行はテクスト論からの「万葉集」の鑑賞・研究であって、テキスト論からの西本願寺本の『萬葉集』などを使用し、対象となる歌を定義してから原文歌の鑑賞・研究を行うと云うスタイルは亜流や異端扱いとなっています。なお、ここで云う「万葉集」とは中世古語に翻訳された「訓読み万葉集」を意味します。さらに限定すれば「校本の訓読み万葉集」です。
さて、このブログにご来場の御方は容易にインターネットを使いこなせると思います。また、万葉集に深い興味がお有りと思います。そのようなお方にお勧めの文章がインターネット上にあります。それが、三重大学の廣岡義隆前教授(2010年退官)が公表されている『古典テキストについて -文学研究におけるテキスト論-』です。
この論文において、廣岡氏は非常に重要なことを指摘しています。
日本古典文学全集(以下、「全集本」と略称)という叢書は、上段に注、中段に原文、下段に現代語訳がある。現代語訳が付いていることはとても便宜がよくて愛用されている。この全集本は、昭和四五年(完七〇年)一一月から刊行が開始し、昭和五一年(完七六年)三月に完結した全五一冊からなるものである。同じ出版社から新編日本古典文学全集(以下、「新編全集本」と略称)も出た。同様に上段に注、中段に原文、下段に現代語訳があり、やはり愛用されている。この新編全集本は、平成六年(完九四年)二月から刊行が開始し平成一四年(二〇〇二年)一〇月に完結した全八八冊からなる叢書である。
この全集本及び新編全集本は、一般市民向けの本であるということに留意して使用する必要がある。研究者向けのテキストではないのである。即ちその「原文」は、当用漢字及び常用漢字が使用されている。「原文」を標榜しながらも、原文そのままにはなっていない。
・・・中略・・・
① 潮さゐに 伊良虞の島辺 漕ぐ舟に 妹乗るらむか 荒きき島廻を (全集本中段)
② 潮さゐに 伊良虞の島辺 漕ぐ船に 妹乗るらむか 荒きき島廻を (新編全集本中段)
③ 潮騒に 伊良虞の島邊 漕ぐ船に 妹乗るらむか 荒き島廻を (大系本左京)
④ 潮騒に 伊良虞の島辺 漕ぐ船に 妹乗るらむか 荒き島廻を (新大系本)
・・・中略・・・
‘①・②・③・④は所謂「訳文」であり、原文ではないから、無視してよいのではあるが、一般にはこれが原文として扱われることがあり、影響は小さくない。最近の『萬葉集』関係の論集等で「原則として新編全集本の萬菓歌に依ること」などと指定され、それがこの訳文を意味していたりすることがある。
一部省略はしましたが長い引用をしました。
廣岡氏は出版社名と商品名を具体的には指摘していませんが、日本古典文学全集は小学館の『日本古典文学全集』の第二巻から第五巻までの『萬葉集』を意味しますし、新編日本古典文学全集は同じく小学館の『新編日本古典文学』の第六巻から第九巻までの『萬葉集』を意味します。廣岡氏はその論文で触れられていませんが、論旨としては岩波書店からの『日本古典文学大系』及び『新日本古典文学大系』の『萬葉集』もまた同じ範疇に入ると思います。
さらに、廣岡氏は日本古典文学全集の問題点として、
大系本や新大系本では、漢字の読みについて校注者が付け加えたものはルビ中()で括られており、底本の用字は( )を付けないルビ訓の形で残されている。従って容易に底本写本の姿が復元出来ることになっている。この点、全集本や新編全集本では、それが断ち切られてしまっていて、底本写本の姿を復元出来ない形になっている。
と述べられています。
一般の人々が万葉集を楽しむ時、もう少し、本格的に楽しんで見ようと云う時に読むものとして小学館の『日本古典文学全集』や『新編日本古典文学』、岩波書店の『日本古典文学大系』や『新日本古典文学大系』に載る『萬葉集』と云うテキストがあると云うことになります。
テキスト論からすると、これらのものについて万葉集の研究者が使うべきものかと云うと、その出版された時の読者対象が研究者向けではないために研究のためのテキストとして扱うのであれば慎重に取り扱うべきもののようです。当然ですが、万葉集歌は漢字だけで表記された歌であって、訓読み万葉集のような漢字平仮名交り和歌ではありません。誰かが行った翻訳の成果である漢字平仮名交り和歌をもって万葉集歌と扱うことが出来ないのは廣岡氏が指摘される通りです。どうも、このあたりの原理原則が理解されていないものが多いような気がします。
まったく、万葉集とは違いますが、日本企業の海外進出での最大の弱点は、作業の定義とその作業のマニュアル化にあると考えます。経済活動の根本は作業の積み重ねと連携です。経済活動をそれぞれの要素に分解し、その分解されたものを個々の作業として認識することが最初に要請されます。その作業を定義し、その定義されたものに対して、「誰が、どのような手段で、どのようにして行為を行うのか、そのときの行為の責任及び権限の範囲はどこまでか、その行為をするとき、どのようなリスクが予想され、その対策はどのようにするのか、」などをマニュアル化します。なぜ、このような面倒なことをするのか。それは日本以外の国々では、経済活動での共同する人々において、それぞれの相手に対して同じ人種、同じ言葉、同じ考え方、同じ性別などの条件を期待していませんし、そのような条件設定もしません。
例えば、人が必ず行う排泄と云う行為において、日本では使用済のトイレットペーパーを排泄物と共に便器に流します。ところが、この行為は世界各国の風習・習慣からすると、特別な行為です。一般的にはトイレットペーパーは備え付けの容器に捨てるのがルールです。建物の排水管構造もそのような風習・習慣を下に設計をしていますから、排水管は小さいサイズで済みます。これが建物全体の構造やコストに影響し、安価な建物を作ることが出来る背景です。ただ、逆に排泄物だけを水洗便器内で水に溶解して流すと云う設計思想ですから、排水管は良く詰まります。便秘気味で、かつ、トイレットペーパーも流せば詰まる可能性は非常に高まります。なお、これはトイレットペーパーの質にも大きく関係します。諸外国で日本のような柔らかく、それでいて使用時には破れず、でも、すぐに水に溶ける、このようなトイレットペーパーはありません。その品質は便器に流すと云う日本独特の風習・習慣を踏まえたものであり、その分、高価です。
同じようなものを万葉集から話題を取りますと、「日本挽歌を鑑賞する」と云うテーマの時に「紅顔」と云う言葉を取り上げて説明しました。奈良時代ではこの「紅顔」は「若い少年」を意味します。一方、平安中期以降、特に訓読み万葉集の段階では「紅顔」は「健康的な美少女」を意味します。時代の推移の下、解釈での性別・対象者が逆転しています。現在の大伴旅人が詠う「報凶問歌」や山上憶良が詠う「日本挽歌」の鑑賞や解説は、この「紅顔」を「健康的な美少女」と誤訳することを前提としたときだけに成立します。日本人であるから同じ表現の言葉が同じ意味を持つとは限らないのです。
日本と諸外国とではその国の成り立ちや歴史が違います。また、同じ日本国内ですが「紅顔」と云う言葉が示すように、時代により、その言葉の意味は違い、解釈もまた変わります。言葉の解釈の背景には、おおむね、生活習慣や態度がありますから奈良貴族と平安貴族との生活習慣や態度、また、そこから生じる思考や発想が同じであるとの保証はありません。
同じように人種、地域、時代により思考や発想は違うということを認識する必要があります。そのため、作業を行う前に、作業に従事する人たち全員が、一々、その作業の定義を確認し、必要な手順を明確に理解していることが重要になります。なお、ここでの作業とは工場での単純作業だけを意味するものではありません。日本企業の総務や経営企画の人々は嫌がりますが、マネージメントと云うものもある種の経営作業としてマニュアル化をするのが諸外国では一般的です。それが出来ているため人の入れ替えが自由ですし、人種・国籍・性別に因らない経営が可能になります。それが本来的なものであって、単純組み立て作業のマニュアル化などは付随的なものですし、些末です。
日本と諸外国とではその国の成り立ちや歴史が違うと云うことに関しての近々の話題として、従軍慰安婦と云う言葉について、日本の外、世界側から考えますと、その英訳は日本では日本語を下にした造英語を行い「comfort women」ですが、この言葉が意味するものを韓国と全世界(日本の一部の新聞社も含む)は「military enslaved prostitute」又は「comfort women forced by military」と理解しますし、「comfort」という言葉が本来的に持つ意味合いからの解釈です。そして、この英語における言葉の解釈を日本語へと、再度、訳した時、きっと、日本人の大半は驚くはずです。紅顔の言葉と同じように、出発点は同じ単語なのでしょうが、日本人と韓国人ではその理解は大きく違います。そして、事実関係は別として日本外務省が関与して作ったこの造英語の言葉の定義に限定すれば韓国の人の主張が正しいものとなっています。
およそ、このように日本企業の海外進出での最大の弱点は、単一の人種や言語に依存した日本特有の以心伝心・曖昧模糊というものと相反する厳格な定義付けやマニュアル化と云うものとの対比に由来します。この弱点があるがために日本人は議論が苦手であると称されるわけです。
万葉集の鑑賞に戻りますと、作業を定義し、その手順を明らかにするとは、『万葉集』の鑑賞において、テキストとして何を使い、その読みと解釈を明確に示すことから、その鑑賞を進める必要があると思います。
現在もなお、万葉集の原文はすべてにおいてそれが確定しているわけでもありませんし、一字一音表記の歌以外はその読みもまた確定している訳でもありません。常体歌においてもここで指摘するように一般的な扱いとして「之」や「而」などの字を漢文訓読みでの助字と同等と見做して読むことが正しいのか、どうかは定かではありません。つまり、提示する文章や論文が単純に「万葉集の歌が好きだから」と云うような市井のレベルの文章ではないとしますと、最低限のマナーとして、『萬葉集』の歌が学術的には未確定であるということを踏まえて、原文、訓読み、その解釈の現代語訳を添え、何に対して述べているのかを明らかにするべきではないでしょうか。
廣岡氏が指摘するように中学・高校生又は文学コース及び大学での教養課程で国文学を選択しない大学生や一般の社会人を読者対象とするような『日本古典文学全集』、『新編日本古典文学』、『日本古典文学大系』や『新日本古典文学大系』を、まともな研究者が研究のテキストとして使用するなどと云うことは、研究者のプライドからして恥ずかしくて、現在では行われていないでしょう。しかし、一方、標準となる現代語訳と云うものも存在しません。そのため、鑑賞の深度を提示するためにも論者がそれを提供する必要があります。
『万葉集』の歌が不確定であることの参考事例として、長屋王が詠う故郷謌を紹介します。
長屋王故郷謌一首
標訓 長屋王の故き郷の謌一首
集歌268 吾背子我 古家乃里之 明日香庭 乳鳥鳴成 嶋待不得而
訓読 吾が背子が古家(ふるへ)の里し明日香には千鳥(ちどり)鳴くなり嶋待ち得(え)づに
私訳 私の大切な貴方の旧宅の里である明日香には千鳥が鳴いている。手入れされた庭園を見つけられずに。
注意 原文の「嶋待不得而」は、現在は「嬬待不得而」が歌として良いとして「嬬(つま)待ち得(か)ねて」と創作されています。その時、歌に明日香の郷の荒廃はありません。
右今案、従明日香遷藤原宮之後作此歌歟
注訓 右は今案(かむが)ふるに、明日香より藤原宮に遷(うつ)しし後に此の歌を作れるか。
比較参照として、
HP「千人万首」より引用
訓読 我が背子が古家の里の明日香には千鳥鳴くなり妻待ちかねて(万3-268)
【通釈】親しい友よ、あなたがかつて住んだ古家のある明日香の里には、千鳥が鳴いているよ。連れ合いが待ち遠しくてならずに。
【補記】「我が背子」は親しい同性の友人。「古家」は、かつて住み馴れ、今は住まなくなった家。藤原京に遷都した後の歌であると分かる。持統八年(694)の藤原遷都の時、長屋王は十九歳
HP「たのしい万葉集」より引用
原文 吾背子我 古家乃里之 明日香庭 乳鳥鳴成 嬬待不得而
訓読 我が背子(せこ)が、古家(ふるへ)の里の、明日香には、千鳥(ちどり)鳴くなり、妻待ちかねて
意味 あなたが以前住んでいた家のある明日香では、千鳥(ちどり)が鳴いています。妻を待ちかねて。
紹介するように、三者三様で歌の現代語訳は違います。およそ、「千人万首」で扱う歌は「たのしい万葉集」で扱う歌の原文と同じと思われますが、「千鳥鳴くなり妻待ちかねて」の解釈が違います。比較のために要約すると「妻が私を待ち遠しくてならずに」と「妻を待ちかねて」との違いがあります。そして、なぜ、明日香の里で千鳥が鳴くのでしょうか。これは両者ともに不明です。しかしながら、西本願寺本万葉集では「嶋待不得而」となっている原文表記を校本万葉集では、わざわざ、「嬬待不得而」と特別に校訂したのですから、それ相当の理由と納得できるような歌の解釈(現代語訳)があっても良いと思います。ところが、そうではありません。どうしたのでしょうか。
この「長屋王故郷謌」に限っても、紹介しましたようにインターネット上で有名な二つのHPおいて、その歌と鑑賞はそれぞれに違います。このような現状がありますから、万葉集の歌の鑑賞では「何が基準であるか」を明確にする必要があるわけです。
参考情報として、天皇家では日本武尊の葬送での大御葬歌から初めとし天智天皇の倭皇后の挽歌などからして、千鳥(=八尋白智鳥)は亡くなられた大王の魂の比喩となっています。また、千鳥が啼き、嶋(=苑池庭園)が荒れ果てる風景からは草壁皇子の挽歌は万葉人には視界の内と思います。そのような状況で、本来の原文表記「嶋待不得而」を校訂と云う名目で変更することは許される行為なのでしょうか。それがテクスト論での「万葉集」なのでしょうか。以心伝心・曖昧模糊の立場に立てば、研究者にとって解釈の深度が明確になる現代語訳の提示は非常に危険な行為です。それで、・・・です。それの反映が今日の論文であり、解説書のスタイルです。第一級の研究者以外は、この・・・のスタイルです。
参照資料
巻二 「皇子尊宮舎人等慟傷作謌廿三首」より引用
集歌180 御立為之 嶋乎母家跡 住鳥毛 荒備勿行 年替左右
訓読 み立たしし島をも家(いへ)と棲む鳥も荒(あら)びな行きそ年かはるさへ
私訳 御方が御出立ちなされた嶋をも家として棲む鳥も、すさんで行くな。年が移り変わったからと云って。
集歌181 御立為之 嶋之荒礒乎 今見者 不生有之草 生尓来鴨
訓読 み立たしし島し荒礒(ありそ)を今見れば生(お)ひざりし草(かや)生(お)ひにけるかも
私訳 御方が御出立ちなされた嶋の荒磯を今見ると、昔には生えていなかった雑草が生えて来たようです。
巻二 「大后御謌一首」より引用
集歌153 鯨魚取 淡海乃海乎 奥放而 榜来舡 邊附而 榜来船 奥津加伊 痛勿波祢曽 邊津加伊 痛莫波祢曽 若草乃 嬬之 念鳥立
試訓 鯨魚(いさな)取り 淡海(あふみ)の海(うみ)を 沖放(さ)けに 漕ぎ来る船 辺(へ)附きに 漕ぎ来る船 沖つ櫂(かひ) いたくな撥ねそ 辺(へ)つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 嬬(つま)し念(も)ふ鳥立つ
試訳 大きな魚を取る淡海の海を、沖遠くを漕ぎ来る船、岸近くを漕ぎ来る船、沖の船の櫂よそんなに水を撥ねるな、岸の船の櫂よそんなに水を撥ねるな、若草のような若々しい妻(=倭皇后)が心を寄せる八尋白智鳥(=天智天皇)が飛び立ってしまう。
注意 原文の「若草乃嬬之念鳥立」は古事記をベースに解釈しているために、一般の解釈で示す「嬬之」が示す人物が倭皇后と天智天皇とで入れ替わっています。
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