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竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 百四八 雪梅の歌を楽しむ

2015年12月12日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 百四八 雪梅の歌を楽しむ

 そろそろ、近代での冬の季節です。和歌の世界では旧暦をベースにしますから、新暦11月中旬頃から冬に入り、新暦2月上旬が初春となります。このような季節感を下に今回は雪梅の歌を楽しみたいと思います。
 さて、万葉集巻八に「冬雑歌」の部立に載せられた雪梅を詠う歌群があります。そこから一首、紹介します。大伴旅人の歌で、役職の肩書からしますと天平元年から前の大宰府時代のものです。

太宰帥大伴卿梅謌一首
標訓 太宰帥大伴卿の梅の謌一首
集歌1640 吾岳尓 盛開有 梅花 遺有雪乎 乱鶴鴨
訓読 吾が岳(おか)に盛(さか)りに咲ける梅の花残れる雪を乱(まが)へつるかも
私訳 私が眺める岳に花の盛りとばかりに咲いている梅の花よ。枝に融け残った雪を梅の花と間違えたのだろうか。

 この歌の解説において伊藤博氏はその『萬葉集釋注』で南北朝時代の政治家であり詩人である江總が詠う《梅花落》の一節「楊柳條青樓上輕、梅花色白雪中明」を引用して「梅の花の白さを引き立てるのに、それと見まごう雪を配置するのは漢詩によくある手法」と指摘しています。そこから大伴旅人には梅と雪とを配置し見間違えるという発想の歌が多数存在すると指摘しています。ただ、江總が詠う《梅花落》での「梅花色白雪中明」は「梅花の色の白きは、雪の中でも明らかなり」と解釈すべきもので、「梅の花」を「枝に残る雪」と見間違えたと云うような発想の歌ではありません。本来は漢詩の約束である春に楊柳と梅花とを詠ったものとすべきです。単純な語字列検索の提示はどうなのでしょうか。
 次いで、和歌での標題「雪梅」について漢籍では雪中の梅の意に用いるとされています。参考としてその「雪梅」を題材とする漢詩を以下に紹介します。「梅花落」は専門の研究者の指摘するもので、他は弊ブログで取り上げたものです。

梅花落 江總(南北朝梁・陳の政治家、詩人:519-594頃の人) (漢詩のみ提示)
臘月正月早驚春、眾花未發梅花新。
可憐芬芳臨玉臺、朝攀晩折還復開。
長安少年多輕薄、兩兩共唱梅花落。
満酌金卮催玉柱、落梅樹下宜歌舞。
金谷萬株連綺甍、梅花密處藏嬌鶯。
桃李佳人欲相照、摘葉牽花來並笑。
楊柳條青樓上輕、梅花色白雪中明。
横笛短簫淒復切、誰知柏梁聲不絶。


雪梅 盧梅坡(南北朝南宋の詩人、不詳)
梅雪争春未肯降 梅と雪は春を争ひて未だ降るを肯んぜず
騒人擱筆費平章 騒人は擱筆して平章を費やす
梅須遜雪三分白 梅は須らく雪に三分の白を遜(ゆず)るべし
却輸梅一段香 雪は却って梅に一段の香りを輸(うつ)すべし


早梅 張謂(中唐の詩人:721-780頃の人)
一樹寒梅白玉條 一樹寒梅、白玉の條(えだ)
迥臨林村傍谿橋 迥(はる)かに林村を臨み谿橋は傍すを
不知近水花先發 知らず水近き花、先に發(ひら)くを
疑是經冬雪未銷 疑ふらくは是(こ)れ、冬を經るに雪の未だ 銷(き)えざるかと

一樹寒梅白玉條 一樹寒梅、白玉の條(えだ)
迥臨村路傍溪橋 迥(はる)かに村路を臨み谿橋は傍すを
應縁近水花先發 緑に應(こた)へ水近き花、先に發(ひら)く
疑是經春雪未銷 疑ふらくは是(こ)れ、春を經るに雪の未だ 銷(き)えざるかと


宮中行樂詞 八首其七 李白(中唐)
寒雪梅中盡 寒雪は梅中に盡き
春風柳上歸 春風は柳上に歸る
宮鶯嬌欲醉 宮鶯は嬌として酔わんと欲し
檐燕語還飛 檐燕は語(さえ)ずりて飛びて還へる
遲日明歌席 遅日は歌席を明(とも)し
新花艶舞衣 新花の舞衣は艶たり
晩來移綵仗 晩来の綵仗を移し
行樂泥光輝 行楽は光輝を泥(よご)す


 漢詩に於いて張謂が詠う「早梅」では梅の花と枝の雪との対比と季節に従って移り行く風情はあります。しかし、他の漢詩では「見間違える」と云うような発想はありません。それに張謂は中唐の人であり、万葉集の歌が詠われた時代と同じか、後の時代の人ですから、彼の作風が万葉集に影響を与える可能性はありません。逆に第七次、第八次遣唐使が紹介する国風が大唐の詩人に影響を与えた可能性の方を探るべきものです。
 一方、その時代の和歌ではどうでしょうか。天平二年初春の大宰府での梅歌三二首に載る歌や先の集歌1640の歌もそうですが、次のような「見立て」の技法を使った歌が詠われています。

巨勢朝臣宿奈麻呂雪謌一首
標訓 巨勢朝臣(こせのあそみ)宿奈麻呂(すくなまろ)の雪の謌一首
集歌1645 吾屋前之 冬木乃上尓 零雪乎 梅花香常 打見都流香裳
訓読 吾が屋前(やど)し冬木(ふゆき)の上に降る雪を梅し花かとうち見つるかも
私訳 私の家の冬枯れした樹の上に降る雪を、梅の花かとつい見間違えた。

 考古学の示すものとは違い、文学の世界では梅は奈良時代初頭に輸入された植物となっています。つまり、大伴旅人以降に梅と云う植物が現れ、同時に漢詩の「雪梅」と云う言葉や概念が到来したと推定します。ただ、繰り返しますが、考古学や植物学からしますと梅は弥生時代以前には日本に存在しますし、柿本人麻呂もまた梅の歌を詠っています。

集歌1891 冬隠 春開花 手折以 千遍限 戀渡鴨
訓読 冬ごもり春咲く花を手折り持ち千遍し限り恋ひ渡るかも
私訳 冬が春の日の光に隠れ、その春に咲く花を手で折って翳し持って、無限の思いで貴女に恋い焦がれるでしょう。

 従いまして、奈良時代初頭において大唐において「梅の花の白さを引き立てるのに、それと見まごう雪を配置する」と云うものが「漢詩によくある手法」かどうか、また、その技法が普遍的に奈良貴族に知られていたかどうかは定かではありません。さらに、逆転的発想では「梅の花の白さと、それと見まごう雪」(逆に、「雪を梅と見まごう」も有り得る)と云う見立ての技法が日本から大陸に紹介されたかもしれません。第七次、第八次遣唐使一行は長安で第一級の文化人として迎えられていることは有名な史実です。つまり、彼らは万葉集の和歌の感性で漢詩を詠った可能性があります。その時代人が長安では張謂です。

 雪と梅、ちょっと、日本人特有の感性で詠われたとして、以下の歌を鑑賞してください。大陸の人と大和の人ではその捉え方は違います。同じ視線と鑑賞態度ですと、それは模倣であり、コピーです。しかし、題材へのヒントを得て発展があれば、それは創作でありコピーではありません。
 ではよろしくお願いします。

角朝臣廣辨雪梅謌
標訓 角朝臣(つのあそみ)廣辨(ひろべ)の雪の梅の謌
集歌1641 沫雪尓 所落開有 梅花 君之許遣者 与曽倍弖牟可聞
訓読 沫雪(あわゆき)に落(ふ)らえて咲ける梅し花君し許(と)遣(や)らばよそへてむかも
私訳 沫雪に降られたから、それで咲いている梅の花。その花を貴方の許に贈ったなら、梅花にこの見る風景を想像されるでしょうか。

 推定で集歌1641の歌は宴会でのものです。角廣辨が宴会の主催者に贈った歌として鑑賞しますと、雪を梅の花に例え、その例えを下に庭の風情を眺めています。当然、先行する大伴旅人が詠う歌が下敷きにあります。その季節が来れば咲くであろう梅の枝に降り積もる雪の風流を主人とともに楽しんでいますと云うものでしょうか。
 やはり、これでは野暮のようです。歌はそれぞれが自由に楽しむべきものです。それを得意がって語るのは野暮でしたし、それを為したことは反省です。

安倍朝臣奥道雪謌一首
標訓 安倍朝臣(あべのあそみ)奥道(おきみち)の雪の謌一首
集歌1642 棚霧合 雪毛零奴可 梅花 不開之代尓 曽倍而谷将見
訓読 たな霧(き)らひ雪も降らぬか梅の花咲かぬし代(しろ)に擬(そ)へてだに見む
私訳 地には霧が一面に広がっている。そこに雪も降って来ないだろうか。梅の花が咲かない代わりに雪を梅の花に擬えたとしても、この景色を眺めたい。

忌部首黒麻呂雪謌一首
標訓 忌部首(いむへのおひと)黒麻呂(くろまろ)の雪の謌一首
集歌1647 梅花 枝尓可散登 見左右二 風尓乱而 雪曽落久類
訓読 梅の花枝にか散ると見るさへに風に乱れて雪ぞ降り来る
私訳 梅の花、枝にと花が散っていると眺めるのにまして、風に交じって雪が降って来た。

紀少鹿女郎梅謌一首
標訓 紀(きの)少鹿女郎(をしかのいらつめ)の梅の謌一首
集歌1648 十二月尓者 沫雪零跡 不知可毛 梅花開 含不有而
訓読 十二月(しはす)には沫雪(あわゆき)降ると知らねかも梅の花咲く含(ふふ)めらずして
私訳 梅の花は、十二月には沫雪が降るとは知らないのだろう。その梅の花が咲いている。莟のままでいないで。

大伴宿祢家持雪梅謌一首
標訓 大伴宿祢家持の雪の梅の謌一首
集歌1649 今日零之 雪尓競而 我屋前之 冬木梅者 花開二家里
訓読 今日(けふ)降りし雪に競(きほ)ひに我が屋前(やど)し冬木(ふゆき)し梅は花咲きにけり
私訳 今日降った雪と競ったからか、私の家の冬枯れした樹に梅の花が咲きました。


 簡単に紹介しました。
 歌は取りようによって景色は変化します。集歌1649の歌で梅の花が二輪ほど咲いたとするか、雪を梅の花と見立てているとするか、その決定は出来ないのではないでしょうか。このような構造を持つ歌が、やがて、古今和歌集へとつながっていくのでしょう。
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