振り返ってみるとこの会は、主役の二人の独断場で終わったと言える。
しばらく参加者からお祝いの言葉が続くと、たまりかねたようなお二人から、「そろそろ俺たちにも挨拶させてくれ」と要望が出た。待ってましたと指名すると、まずK氏が、例の「人生につまずくのが18歳、小石につまずくのが81歳」に始まる『18歳と81歳』11項目を語りながら自己の近況を紹介する。加えて自作の「「愛してる?」って聞くのが18歳、「息してる?」って聞かれるのが81歳」や、『19歳と91歳』などを披露したものだから大喝采! 因みにその結びは、「お化けをすごく怖がるのが19歳、お化けの方が怖がるのが91歳」。
続いて立ち上がったM氏は、最近入居した老人ホームの状況を漫談調で語る。これまで長いことお一人暮らしを続けたMさんの、お久しぶりの集団生活、しかも老人ホームという私たちの知らない社会を、面白おかしく語ってくれたので大喝采。
それだけにとどまらない。2歳年下だが現役時代にK氏とM氏と組んで「文化人三人男」と称されたS氏が登壇、「昔ご一緒した歌舞伎のなかから一つ」と、『切られ与三郎』の一幕を、メモひとつもたず滔々と諳んじた。
それを聞いたK氏、「私も一つ」と、中原中也の詩「思えば遠く来たもんだ」を歌舞伎調で朗読した。もちろんこちらもメモ一つ持たずに。
こうなるとM氏も黙っていない。得意の落語を一席。
「ええ~、志ん生は90歳になればやめろと言ったが、私はやめません。ただ、ここ40年やっていないんで喋れるかどうかわかりません。ある噺のオチの部分から、そのまた一部をやらせてもらいます」と言いながら、『山号寺号(さんごうじごう)』を10分近く演じた。
聞く者たちはみんな唖然とした。「とても90歳とは思えない。化け物ではないか?」というのが大方の評であった。
思えばお二人は、文化人を多く輩出した麻布中学のご出身。K氏はそこから早稲田大学に学びマン研を経て、間違って(?)銀行に入った。M氏はフランキー堺などと演劇をやりながら(小沢昭一、加藤武も同期)慶応大学に進み、これまた間違って(?)銀行に入った。そして、金の匂いのする冷たい銀行の職場に、多様で温かい文化の足跡を残した。
もちろん、二人は間違って銀行に入ったわけではない。お二人とも立派に支店長まで勤め上げたのだから。ただ、もしお二人が自分の思う人生を歩いていたら、銀行の支店長どころではなかったかもしれない。(つづく)
談笑するKさん
熱弁をふるうMさん
戦後民主文化を築いた人々(除く右端)