照ノ富士が大相撲春場所で優勝し、大関復帰を確実にした。優勝もさることながら、大関復帰を為すとすれば、これは、いくら称えても称えきれるものではない。
照ノ富士は、17年九州場所両膝の怪我を主因に大関から関脇に陥落した。五場所連続の休場で序二段まで陥落した。「引退を決意した」というが親方はじめ周囲の励ましに支えられ、不屈の奮闘を続ける。
19年春場所の序二段優勝を皮切りに反撃に転じ、3年6か月、21場所ぶりに大関の地位にh返り咲くことを確実にしたのである。序二段とはどういう地位か。「令和三年三月力士構成」によれば、幕内42名、十両28名、幕下120名、三段目202名、序二段214名、序の口48名、合計654名、となっているので、序二段の下には序の口の48名しかいない。そこから、怪我と戦いながら約600名を中を勝ち抜き、齢30歳にして再び角界最高峰の大関の地位を勝ち取ったのである。
書き添えるようなことは何もない。ただ、それに反する横綱の不様について書いておく。彼らは5場所や6場所休んでも序二段まで落ちることはない。その地位に甘えて横綱の役目をはたしていないのではないか?
遅きに失した鶴竜がようやく引退を表明したが、白鵬にその気配はない。白鵬という大横綱の功績は当然に評価する。しかし彼も晩節を穢したのではないか?
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