旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

気がつけば年の瀬が迫っている。

2011-12-07 11:41:44 | 時局雑感

 

  今年はいろんなことがあったので、年寄りにしては時間のたつのが遅いようだ。と思っていたら、あっという間に年の瀬というやつが迫ってきた。
 まだ年賀状も書いてない。極力減らそうとしているが、どこまで圧縮できるか…? そういえば今年は「喪中につき…」という葉書が例年に比し少ない。考えてみれば、年賀状相手の人々の両親などがほとんど亡くなり、喪中の対象がいなくなったことが原因らしい。いよいよその対象は自分を含めた本人に絞られてきたのだろう。
 しかし世の中は課題が多い。来年に繰り越す課題で大きなものだけでも次のようなことがある。TPP問題…特に農業問題と絡めて。消費税問題…特に社会保障と一体的解決。この二つは国論を二分している。来年以降も二分して議論が戦わされるであろう。その点ではいいことだと思っている。原発是か非かも、国論を二分してたたかわされるだろう。
 沖縄普天間基地移転問題。これの国論をどう見るか? 沖縄でも意見は多岐に分かれているのだろうが、大方は「県外移設」で統一されていると思う。あの小さい島に米軍基地の74%を押しつけて半世紀を過ぎたのだから、本来は国を挙げて県外移設か無条件返還を求めるべきと思うが、日米関係の複雑さが物事を混乱させている。何とかすっきり、原則的立場に帰りたいが…
 何よりも大きな課題は、東北を中心にした「日本復興計画」に本格的に着手することだろう。来年を、震災、不況、低迷を乗り越えた日本復興元年の年にしたいものだと思っている。  


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2 コメント

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Japanese intelligentsia (noga)
2011-12-07 20:58:01
英米人の脳裏には、現実の世界があると同時に、非現実の世界観 (world view) がある。

現実の世界を現在時制の内容で表現すると、非現実の世界は未来時制の内容として表現できる。
現実の世界と非現実の世界は、英語では一対一の対応がある。
そして、現在時制の内容に対応した未来時制の内容が過不足なく考えられる。

真実は現実の中にある。が、真理は考え (非現実) の中にある。
現実は真実である。現実の内容として述べられる非現実は嘘である。
時制がなく、現実と非現実の区別がつかなければ、本人は嘘ついてるという自覚はない。
話の内容が現実離れしていることに違和感がない。

現実の内容は五感の働きにより得られるが、非現実の内容は瞑想により得られる。
現実の世界が過不足なく成り立つように、考えの世界も過不足なく成り立っている。
もしも、考え (非現実) の世界に矛盾があれば、それを見つけて訂正しなければならない。
自他が協力して構想の中の矛盾を丹念に淘汰すれば、非現実の世界は現実の世界と同じ広がりと正確さをもち、場当たり的な発言の内容とはならない。

日本語脳は、非現実の内容を脳裏にとどめ置くことができない。
それは、日本語には時制がないからである。
日本人は常に実を求めている。現実にとどまることのみを信じている。
日本人の考えは、現実の外に出るものではない。
現実を現実の外にある理想に導くものではない。

西遊記に出てくる孫悟空は、自己の有能さに得意になっていた。だが、釈迦如来の手のひらの中から外に出ることはできなかった。孫悟空には、世界観がないからである。

英語の時制を使うことができない英米人は、子供のようなものである。
だから、非現実の世界を考えることができない日本人は、12歳の子供のように見える。

考えがなければ、議論ができない。
日本では「議論をすれば、喧嘩になります」と言われている。
意思は未来時制の内容である。
時制が無ければ、恣意となり、その思いは公言にもならず宣言にもならない。

物事の決着は、談合により行われる。
そこには、公言も宣言も必要でない。
意見を述べようとすると「理屈を言うな。理屈なら子供でも分かる」と言って相手にしない。
もっぱら恣意と恣意のすり合わせを行って決着する。いわゆる、どんぶり勘定である。
和をもって貴しとなすためには、金を配るしかない。これも馬鹿の一つ覚えか。
現ナマは、現実の内容であり、日本人には信用の証となる。

究極の人生目的は、狭義の自己利益・金を得ることにある。
国内では、学閥など序列を作って自己利益を確保しようとする。それで、忠義が尊ばれている。
人間が縦一列に並んで他を入れない密な人間関係である。
序列作法の励行により、序列の外に出られない島国根性が植えつけられる。だから、玉砕を覚悟する。

国内においても、国際社会においても、日本人は金を配って存在感を示そうとする。
これもひとえに社会の中での序列順位向上のためである。
だが、日本人は内容のない発言により信用を失うことが多い。
それでも、日本人は人類のために貢献している。
だが、その貢献の仕方は、発言のない家畜が人類に貢献するのと似たところがある。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
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不可解なコメント (tabinoplasma)
2011-12-08 21:48:37
nogaさん、コメントありがとう。
ただ、私には理解不能で申し訳ありません。おそらく、私のブログなど「自覚なしに嘘をついている」にすぎず、「釈迦の掌の孫悟空のように世界観もない」といわれているのだろうと思いますが、それはご意見として承りますが、「和をもって尊しとなす、が金で片付く」というあたりは一層理解できず、もう少し、普通の言葉で、普通の人も分かるように書いていただけるとありがたいのですが。
、「家畜に似た水準」のお答えでスミマセン。
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