先ず立ち寄ったのが旧安田庭園。両国に降りて国技館や東京都博物館などには何回か来たが、この庭園は初めて。ご存じ旧安田財閥の創始者安田善次郎の庭園で、安田の死後大正11年に東京都に寄贈されたという。池には隅田川の水が引き入れられ、潮の干満で水面が変化する「潮入り池泉回遊式庭園」と呼ぶ洒落もの。随所の木に雪つりなどが施されており、その雪つりを通してスカイツリーが遠望できた。
安田庭園よりスカイツリーを望む
続いて東京慰霊堂を拝す。関東大震災と東京大空襲の被災者を慰霊するもので、当時の写真などが掲げられてあった。これも、両国駅のすぐ傍にありながらこれまで知らなかった。
そこを出て北斎通りを北に向かう。葛飾北斎は生涯96回も転居したそうだがこの本所に住んだのが一番長く、墨田区は我が物顔に歩道の名前に取り入れた。歩道の街灯に次々と北斎の版画が掲示されたなかなか粋な街路である。昨年10月長野県の小布施を訪ねたが、ここは北斎が80歳を過ぎてたびたび訪ね大作を残した地であり、街には北斎館をはじめ北斎が充満していた。偉人は各地に痕跡を残す。
以降、大横川親水公園や十間橋 などスカイツリのビューポイントを追ったのは前回記したとおりである。なかでも親水公演は、江戸初期に木材運搬用運河として開削されたものと聞くが、今や暗渠化されて素敵な散策公園となっている。街中にあって心休まる場所であろう。
春日通を渡り小梅通りなどいうこれまた粋な名前の通りを越して見番通りに着くと言問橋際、その通りに面した割烹「上総屋」が昼食場所。総勢44名、借り切った2階の広間からはスカイツリーが眼前に見える。食べた昼食もお代1100円にしては立派なものでした。因みに上総屋の創業は昭和9年というから私より1歳年上、78年の業歴を誇る。(つづく)
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