旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

『虫庭の宿』を読んで③ ・・・ 「別府のようになるな!」

2010-02-18 19:52:36 | 

 

 奇想天外なアイデアマン(中谷氏)と類まれな企画折衝力の持ち主(溝口氏)、それに抜群の行動力(志手氏)があいまって、由布院は新しい街づくりに進む。それまでの由布院は「別府の裏のひなびた温泉宿」に過ぎず、周囲にたくさんある温泉町にも及ばず、彼らは「別府様とは及びもつかぬが、せめてなりたや天ヶ瀬に・・・」などと唄っていたという。

 ところが彼らは、やがて別府と全く逆方向の町づくりを目指すようになる。大型化、歓楽街化する別府に対し、自然と由布院町の個性を生かした町づくり、小さい旅館が様々な客層をそれぞれ受け入れながら「癒しの場所」を提供して行く。『玉の湯』や『亀の井別荘』などは一泊5万円から7万円などと高い。しかし『玉の湯』など部屋数は18部屋で、それ以上増やさない。人気が出てきたからといって客を独り占めしない。35万円クラス、12万円クラス、1万円以下クラスの旅館が、相応の客を分担して受け入れて行く。
 家族連れなどの「癒しの里」にこだわり歓楽街化を徹底的に避ける。大型ホテルなどの進出とあくまで戦ってきた。「パチンコ屋は無いのか?」と言う客には「どうぞ別府に行ってください」、「女はいないのか」という人にも「どうぞ別府に行ってください」と言ってきたというから面白い。つまり別府を反面教師とし、「別府のようになるな!」を合言葉にしてきたといえよう。
 ヨーロッパに学び、何よりも自然を愛し、由布院しかないものを育てる郷土愛に燃えつづけた人たちの執念が、今の由布院を作り上げたと言えるのだろう。

 実は昨年5月、同窓会出席のために別府を訪ねた。そして別府の寂れ具合に驚いた。商店街もさびしく、美しい海岸通りに人影も少なく、町全体に何か灰色のモヤが架かっている感じがした。
 聞けば、大型ホテルの進出で、一館で2~3千人の客を吸収、ホテル内にレジャー施設、買い物施設すべて整えているため、客は町に出ることも無く、小さい旅館と商店街が全て寂れていったという。大企業栄えて民は滅んだのである。
 「お湯もいいし、別府湾に臨む環境もいい町がどうしてこんなことに・・・?」と同行したワイフとしきりに話し合ったのであった。市場原理主義、新自由主義の小泉竹中路線の挙句が、一部大企業の繁栄の一方に広大な貧困を生み出した現下の日本の姿と同じである。
 由布院を築いた人たちは、数十年も前にどうしてこのことに気づいたのだろうか?


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