旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

トルコ旅行で何を見るか(5)

2009-08-19 21:16:25 | 

 今回のトルコツアー最終目的地はイスタンブールである。思えば、イスタンブールに行くためにこの旅を思い立ったのであるから、最終訪問地としては最もふさわしいと言えるのかもしれない。
 何故それまでにイスタンブールに行きたいのか?

 古代ローマ文明が成熟しきってやがて崩壊を迎える。紀元330年、コンスタンティヌス一世が新しいローマ――東ローマ帝国を打ち立てる。その地が、アジアとヨーロッパの結び目、ボスポラス海峡にまたがるビザンチウムであった。
 ギリシャの一殖民国家であったビザンチウムは、コンスタンティヌスの国――コンスタンティノポリス――コンスタンティノープルと名づけられた。それから1千百有余年、ビザンチン帝国として栄華を誇り続ける。
 西ローマ帝国がゲルマン民族に滅ぼされたこと、反面この東ローマ帝国がキリスト教国家として栄え続けたことは、ローマ文明を源とするヨーロッパ文明はここに生き続けたといえるのかもしれない。

 その栄華を極めた絢爛な都を、その地に新しく興隆したオスマントルコの若きスルタンが欲したのは当然のことであったろう。
 21歳の若きトルコ皇帝スルタン・メフメットⅡ世
は、その英知と数の力(兵力16万と言われる)と、何よりも「夢を追う若さ」で、2ヶ月近い攻防の末この難攻不落と言われた都を落とす。時に1453年5月29日、この日をもって、コンスタンティノープルはイスタンブールと変わったのである。
 その日、白馬にまたがって入場したメフメットⅡ世は、聖ソフィア大聖堂の威厳に打たれ、ひざまずいてアラーの神に祈りをささげた後、即日のうちに、そのキリスト教の殿堂をモスクに改造するように命じたと言う。
 
かくて10数世紀を誇るローマ、ビザンチン文明の遺跡はイスラム文明に上塗りされていく・・・。

 それらの重厚な歴史的産物を、この旅で垣間見るのだ。とにかく「見聞き」はして来るが、その深奥を「観る」ことも「聴く」ことも、二泊二日では不可能であろう。
                            


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