今年もあと一ヶ月となった。毎年「一年経つのが早い」と言いつづけて来たが、今年はまたもや「これまでで一番早い一年だった」という感を強くしている。
歳をとるとなぜ一年の経過を早く感じるようになるのだろうか? 一般には、為すことも無く過ごしているので早く過ぎる、子供のときは毎日が新鮮で充実しているので長く感じるなどと言われている。しかし、よく考えれば逆のような気もする。何も無ければジリジリしながら長く感じ、いろいろありすぎるとドタバタ過ぎて短く感じるのではないか、などと思う。
しかし、どう見ても子供の頃の一年に比べて最近の一年は早く過ぎる。
ところで、自分にとって今年は無為な年であったか・・・? 決してそんなことは無かった。ずいぶんいろいろなことがあった。年頭から二つの連載物を書いた。一つは、「こめたび」という会社のブログに『秋田歳時記』を毎月書いた。そのため3回ばかり秋田に出かけたし、かなり大量な資料を集め取材をして勉強した。それにしては出来栄えがすぐれないが・・・。
もう一つは自分のブログに『24節気の酒』なるものを連載した。これは、後2回を残すが、文字通り24回、月2回書きつづけてきたのでそれなりに大変であった。その日を忘れないようにするだけでも、年寄りにとっては大変だ。資料もファイル一冊いっぱいになった。
連載と言えば、九月下旬にトルコツアーに出かけ、帰国後ブログに『トルコ紀行』として現在まで26回書きつづけてきた。出かける前に『トルコで何を見るか』(5回)なども書いているので、われながら執念深く書いたものだと思っている。
トルコ旅行は20回目の海外旅行でもあり実に面白い旅であったし、国内の酒の旅や催しも例年に比し多かった。仕事は未だ常勤態勢を続けているし酒も毎日飲んでいる。夏から秋にかけては総選挙――政権交替にかなり関心を持って臨んだし、今年は例年になく充実した年ではなかったかと思っている。
それでも一年経つのがかつてなく早い。
この程度の充実度では、まだまだ足りないと言うのか・・・?
はやいような気がしています。これが年齢と関係あるのかどうか科学的にどういうことになる
のかは知りません。酒の世界も、海外旅行もある程度の収入がないとできない趣味の世界だと
思います。日本の若い人々で、正規従業員につけない人々が多くなっていることは寂しい社会になってきたなと思っているところがあります
普通に仕事をして勤め上げて、年一回の海外旅行もできないとすれば、あまりにも悲しい。
フランスからしょっちゅう来る友人は、毎年3週間の海外大旅行をしている(家族5人で)
北欧の年金生活者は、年1回の海外旅行は保障されている(国によっては義務付け)と言われる。
酒にしても、一升2千円から2千5百円内の美味しい酒がたくさんある。一日2合飲んでも、月に6本で1万2千円から1万5千円だ。
月にその程度の酒代が高価で払えないとすれば、「人間的、文化的生活」は保証されてないのではないか?
TNさんのウォーキング料は年間どの程度か知りませんが、これらの費用は、断固勝ち取るべきが国民的課題でしょうね。年間20万円あれば立派な海外旅行が出来ますからね。
先日会った某夫人は2万5千円の上海ツアーに参加して大満足したと言っていました。
探せばいろいろあるものですね。