旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

新宿Meeting2018秋(大分県立臼杵高等学校第6回生在京同窓会)

2018-11-09 20:25:35 | 時局雑感


 この会は、すでに2,30年は続けられているが、最近は場所も固定されて、「新宿Meetinn」と名付けれ、春と秋、年2回開催されている。臼杵高校第6回生、昭和29年卒業生の集まりである。ピーク時には3,40名は集まっていたが、年を経て、最近は20名を切った。今回も春と同じく16名が集まり気勢を上げた。齢83歳、参加できることは健康であることの証左で、参加者の心意気は高い。
 ふるさと臼杵を離れて60年となる感慨を覚えて、私は次のような発言をした。

 「…園の小百合 撫子 垣根の千草 今日は汝れをながむる最後の日なり
  おもえば涙 膝をひたす さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば … …
と、吉丸一昌が謳い、ふるさと臼杵を後にしたのは明治30年(注)、…翻って昭和33(1958)年、私たちは自立を求めて臼杵を後にした。爾来、今年(2018年)は60年目にあたる。つまり今年は「社会人60年」…「独り立ちして還暦」を迎えたことになる。自然年齢の還暦以上に、私にとっては感慨深い。私たちは、昭和の後半30年と平成の30年を社会人として生きてきた。折しも今年で平成は幕を閉じる。まさに、新しい年代が始まる。これからが俺たちの本当の余生ではないか。豊かな、充実した余生を送るために、元気に新しい年を迎えて、再びここで会おうではないか」

 それぞれに、体には傷を持つ。83年生き抜いた体は、それなりの衰えを示す。しかし、心意気において未だ負けない。かつて臼杵の山野に放ち続けた若い血潮が、参加者の明るい笑顔に満ちていた。


 
     

  
     

  


(注)この「故郷を離ゝる歌」は、大正2年6月19日に発表され、吉丸の「新作唱歌」に掲載されたが、その発想の原点は、明治30年吉丸が東京大学入学のため臼杵を発ち、先ず大分に向かう六ヶ迫峠から臼杵の町を振り返ったときにあるとも伝えられている。

 

 

 

 


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