1977年11月、私はM銀行広島支店に融資課長として赴任した。その時、主任として課の業務を取りまとめてくれたM君と、最若年課員として懸命に働いてくれたK君と、昨夜37年ぶりに杯を重ね広島時代を懐かしんだ。
なぜそのようなことになったか? 実は、この3人が東京の同じビルで働いていることが判明したからである。
M君は、前社を退職して時間的ゆとりができたこともあって、わが社の仕事を手伝ってもらっていた(1年間のみ)ので、当然私と同じビルにいた。ところがある日、M君がエレベーターの中で偶然にもK君と会って、同じビルに入居する他社で働いていることが判明したのだ。
われわれ3人が、3人とも広島支店にいたのは1年足らずでった。その3人が37年を経て、何千万人が働きビルが林立する東京の、同じビルで働く確率がどのようになるのか、私には分からない。
何はさておきこの寄寓を喜び合おう、と昨夜一杯飲むことになったのである。当然のことながら懐かしい広島の話で盛り上がった。最大融資先の宇品造船、金輪ドックの倒産のこと、全盛時代の広島カープのこと、毎日飲んだ賀茂鶴のおいしかったこと、大きな“お好み焼き”や小さないわし“小いわしの刺身”のことなど……。
書き連ねればきりがないが、最後は、10数年ぶりにAクラスを伺いそうな広島カープの今年の健闘を祈って別れた。