年末から正月にかけては様々な同窓会が相次ぐ。忘年会や新年会にかこつけて集まろうとするのだろう。高校や大学、職場の同窓会だ。職場の場合は「同じ職場にいた」ことによる集まりだから年齢にも幅があるが、学校の同窓会はまさに同級であるので齢は同じだ。
昨夜は、郷里大分県臼杵高校を昭和29(1954)年に卒業した在京約20名が集まった。齢75歳、今年のうちには76歳になる後期高齢者だ。集まった連中は元気であるから集まったのであるが、それぞれ持病を持つ者も多く、なんたって周囲に次々と死んでいくものを見ているので、同窓の死のニュースに話が移る。
そのような情報に長けた人間が必ず居り、友人たちの死と病気の報告が続く。これがイヤで同窓会への出席を躊躇することもあるのだが、事実はいかんともしがたく実態を受け入れるしかない。それによると、わが同期生は卒業時点で約240名、うち既に死亡した者30名(12.5%)ということだ。これが多いのかどうか分からない。76歳にもなろうとしているのだから、死亡率12.5%は低いような気もする。人生50年の昔ならとっくにみんな死んでいたのだから・・・。
死亡の事実よりも、それにいたる苦しみとか、既に痴呆状態で周囲が苦労している話が出る度に、自分の人生をどう始末するのだろうかに悩む。俗に“ピンピンコロリ”と言う言葉があるが、そんなにうまく行くはずもないので、病気に苦しんだり、自分では気がつかないが痴呆になって周囲に迷惑をかけたりする自分を想像するとゾッとする。
渡部昇一著『知的余生の方法』に、スイスの哲人カール・ヒルティの死に方について書かれた項がある。それによると、「76歳のヒルティはいつものように朝の著述をして、ジュネーヴ湖畔の小経を娘と散歩した。そしてホテルに帰ると疲れを感じたので、娘にミルクを持ってくるように頼んでソファに横になった。まもなく娘がミルクを持ってきた時、彼は苦しんだ様子もなく息を引き取っていた。」(「TOPPOINT」2011年1月号30頁)とある。
どんな生き方をすれば、そのようなことが出来るのだろうか?