旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

酒飲みの品性 … 「純米酒フェスティバル」に因んで

2010-10-19 20:52:18 | 

 

 一昨日17日に、「純米酒フェスティバル」を無事終えた。2000年春にスタートして、春秋と催してきたので、今回で22回を数える。
 ある種の感慨があるが、問題も残し続けている。前回、春のフェスティバルで、泥酔者を10数名出し、そのうち7名が嘔吐するに及んだ。その最悪の事態は、帰りのバスに乗った途端に吐いて、満員の乗客に被害を及ぼした。そのほか、会場のあちこちに被害を撒き散らして、開催会場さんからは「この惨状が続く限り限り催しの継続は不可能」と宣告されている。

 古来、酒飲み…特に悪酔いした酒飲みが嫌われ続けて久しい。気持ちいい酒飲みが愛される例も多いが、ある一線を越えた酒飲みは極端に嫌われ、庶民のルールから除外される。
 純米酒普及推進委員会を立ち上げ、年2回のフェスティバルを開催し続け、毎回1200~1300名(昼と夜2回につき一回で600~700名)の参加を得ているが、この会への参集者の“飲み方”は乱れることなく、水準は高いと思い続けていた。
 ところが前回のこのざまである。嘔吐に及んだ人数は全参加者の1パーセントであるから、それほど目くじらを立てることもないかもしれないが、しかいし…、これは許さるべきことでないだろう。従って今回から、飲酒量を制限する措置を採った。ところがこれは、当然のこととして“通常の飲酒者”の非難を浴びることとなった。
 かなり厳しい非難を受け、主催者としては反省しているが、解決策は難しい。世の常で、「1パーセントの悪のために、99パーセントの人が不憫をこうむる」のである。これを解決することは、人間社会永遠の課題であろう。

 たかが酒飲みの問題と思うなかれ。酒飲みとて“人”であり、しかもも最も“人間”が現れる人であるだけに、品格、品性、「人間の尊厳」が問われるのである。
 因みに「厳重注意下の今回フェスティバル」では、一人の嘔吐者も出なかった。前回とどちらが良かったのか…、それはわからない。何故って、規制なくて乱れることなき品性こそ求められるべきと思うから。 


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