昨年、「バン・クライバーン国際ピアノコンクール」で辻井伸行が優勝したことは話題になり、その選考過程を収めたテレビ番組を何度か見てきたたが、今日再びゆっくり見た(NHK教育3チャン)。こういうことのできることを休暇の醍醐味というのであろう。
目の見えない辻井伸行という青年が、この困難なコンクールを勝ち抜き優勝したことについては、どんなに賞賛してもし過ぎることはないであろう。それはさておき、彼を勝者に選んだ主催者の一人の発言に、私は新たな感動を抱いた。それは概ね次のような発言であった。
「・・・音楽の一曲を演奏し終えることは、新たなスタートであってゴールではない。音楽の理解はそこから始まるからだ。一冊の本を読み終えたとしても、その中身の理解には以降の長い時間を必要とする。
ところが、ノブユキ・ツジイの演奏は、それぞれの曲の本髄をすべて豊かに表現した。わずか20歳の青年に、どうしてこのような能力が与えられたのであろうか?」
このコンクールは何週間にわたり多くの曲の演奏を必要とし、しかも独奏だけでなく、四重奏や交響曲との競演がくわわり、単に演奏技術だけでなく「他の演奏者との協調性」や「相手の情感を理解する人間性」、はては「聴衆の反応」や「将来性」までを加味した総合点で判断されるという。
楽譜も、指揮者の指揮棒もみえない二十歳の演者が、上記の選考基準に照らして、並み居る世界最高水準の相手を制したことは、誠に驚異と言うしかあるまい。
このような「神の申し子」は別としてわが身はどうか? 音楽は出来ないが本は結構読んできたつもりだ。しかし
「本は読み終えたときがスタートでゴールではない。そこから始まる・・・」
とすれば、俺はいったい何冊の本を理解しているのであろうか?