旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

裏磐梯・五色沼の旅(2)--磐梯山の爆発と裏磐梯の景観

2008-06-17 15:33:39 | 

 

 磐梯山は、おおよそ千年ごとに大噴火を起こしているという。
 もっとも新しい大噴火が、1888(明治21)年であった。このとき、現在残る二つの山頂のほかに、裏磐梯側にあったもう一つの山が、水蒸気爆発でやかんの蓋のように吹っ飛び、今の山形になったという。 
 磐梯山の標高は1819メートル、爆発前の標高が1840メートルであり、現在確認できる火口が1100メートルであるので、約700メートルの一つの山が吹っ飛んだことになる。残った二つの峰が吊り尾根で結ばれた形になって、現在の雄大な景観を生み出している。
 吹っ飛んだ700メートルの山塊は、裏磐梯の谷を埋め尽くし、百数十の人家とそこに住む500人近い住民を飲み込んだ。同時にその谷を幾つにも堰き止め、そこに周辺の山々より水が流れ込み、幾つもの湖沼をつくった。すでに前回書いたように、長いものは30年をかけて生まれた湖もあるといわれ、それが名勝地“五色沼”などを生んだのである。
 こうして生まれた裏磐梯高原と湖沼の周辺には、水辺に強い榛の木などを中心に自然林が生い茂っていったらしい。私たちは、国民休暇村に到着するや、ガイドを頼んでこの自然林を歩いた。数知れない花や草木を教えられ、たくさんの鳥や虫の鳴き声を聞いた。
 中でも印象に残ったのが、“春せみ”といわれる蝉の一種で、九州では一番小さい蝉を“チーチーぜみ”と呼んでいたが、それより一回り小さいくせに、声だけは大きな声で鳴いていた。都会から来た我々に最高のサービスをしてくれたのか、その春せみが義兄の帽子にとまった。目ざとくガイドがそれを見つけ、私は写真に収めた。ガイドがいなければ分からないことであっただろう。

 この最初の「自然林と小沼の探索」は、ガイドの適切な説明を得て、この旅の基礎知識を得るに最適であった。二時間12,600円のガイド料金を上回る知識を与えてくれて、翌日からの五色沼めぐりなどを楽しい旅にしてくれた。
「何事にも先達はあらまほしきこと」(吉田兼好)なのである。
                             


投票ボタン

blogram投票ボタン