旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

ノイシュヴァンシュタイン城(2)--異常な世界が生み出した美

2007-11-01 17:53:12 | 

 

 バイエルン王 ルートヴィヒ二世は、41年という短い生涯の中で三つの城を築いている。山の中腹に立つノイシュヴァンシュタイン城、森に包まれたリンダーホーフ城、そして、(これを私は未だ見てないが)キーム湖に浮かぶ島に築いたヘレンキームゼー城の三つである。
 
生存中に完成したのはリンダーホーフ城のみで、残る二つは未完とされているが、中でもノイシュヴァンシュタイン城は、一番最初(1869年)に着工して彼が非業の死を遂げた1886年まで17年を費やしたが完成をみていない。従って、この城には玉座の間はあるが玉座は置かれていない。彼は、究極の美を求めてひたすら築き続けたが、王としてそこに座ることなく謎の死を遂げたのである。
 
未完ではあっても、後世の人はこれを「世界で一番美しい城」として慕い続ける。それは、その外形が生み出す雰囲気自体が、ルートヴィヒ二世が求めた究極の美を体して、高い完成度を示しているからであろう。

  ルートヴィヒ二世は、当初から「世界一美しい城」を目指してこの築城にとり組んだようだ。築城の計画に当たって心酔する作曲家リヒャルト・ワーグナーに「古来から伝わる純粋なドイツ騎士の居城の様式である…。大切なことは、この世で見られる最も美しい城の一つにすることである…」と伝えている。(パンフレット『ノイシュヴァンシュタイン城とホーエンシュヴァンガウ城』より)。
 
ルートヴィヒ二世は、父マクシミリアン二世の急死に伴い18歳で王位に就いた。それまで彼は大学で政治学を学ぶでもなく、日常の政治の場にかかわることもなく、全く帝王学の課程を経ていなかったという。彼はミュンヘンを遠く離れたアルプスの山ふところホーエンシュバンガウ城で大半を過ごし、シラーを読みふけりワーグナーに心酔して生きてきた。「ドイツ・ロマン主義の一粒の宝石とされているホーンシュヴァンガウ城」(前掲パンフレット)で、彼はロマン主義に耽り、ただ美しいものだけを追い求めて生きてきたのである。
 その延長線上にこのノイシュヴァンシュタイン城があったのであろう。
                             


ヒュッセンの町にて


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