スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

南三条①&悪の条件

2017-12-19 19:15:25 | 歌・小説
 「親愛なる者へ」というドラマが放映されたとき,登場人物の台詞の中に中島みゆきの楽曲の歌詞がそのまま使われるという例がありました。僕の記憶に残っているものとして,「それ以上言わないで」や「タクシー ドライバー」のほかに,もうひとつあります。それが「南三条」という曲の中の一部です。
                                     
 台詞に用いられたのは以下の一節の一部でした。

     どこまでゆくのと
     背中で眠る赤子を揺りあげながら
     私ふけたでしょう あなたより年上みたいねと


 この一節は状況を説明しないと意味が飲み込めないでしょう。
 ある女が,地下鉄の駅へ向って人通りの多い通路を歩いていると,だれかが駆け寄って袖を引きました。振り返って見ると,それはかつて愛した男を自分から奪い去った女でした。その女が,赤ん坊をおんぶして,袖を引かれた女に向けて発したのがこのことばです。ただ,ドラマの中では赤ん坊はいなかったと思います。袖を引かれた方が浅野ゆう子さんで,台詞を言ったのが斉藤慶子さんだったのではないかと思うのですが,これは間違っているかもしれません。
 この歌詞はひとつのことを表しています。それは,袖を引いた方の女は少なくとも袖を引かれた方の女よりも年上ではない,つまり同い年か年下であるということです。ドラマでもこれをそのまま使うことによって,そうした関係性を表現できたといえるでしょう。
 楽曲の全体がダイナミズムに溢れた面白いものなので,いずれの機会に詳しく紹介します。

 第四部定理三五がいっているのは,どんな人間でも理性ratioに従っている限りでは本性naturaの上で一致するということです。これは各々の本性が相反する条件を満たしていません。よって人間は理性に従う限りでは,人間の多様性を肯定するということ,少なくとも否定negatioはしないということが出てきます。
 ただ,今回の考察では,肯定と否定を,善悪の関係から示してきました。すなわち第四部定理一九で示されていることを規準として,善bonumを肯定し悪malumを否定するのが人間の現実的本性actualis essentiaであると規定してきたのです。人間は理性に従う限りでは互いに相反することがないので,人間の多様性を否定しないということ,他面からいえばどんな他人のことも否定しないということは明らかではありますが,これを善悪の関係からもみておく必要もあるでしょう。
 まず消極的な側面,すなわち悪の否定の方から示します。このためには第四部定理三〇を援用することができます。ここではあるものは僕たちの本性と共通する要素によって悪であることはなく,対立的なものによって悪であるといわれています。つまり相反するとはいわれずに対立的といわれているのですが,このふたつは同じ意味と考えて間違いありません。なぜなら,スピノザはこの定理Propositioの証明Demonstratioにあたって,最後の部分で,相反するといっている第三部定理五に訴求し,対立的であると結論づけているからです。よって相反する本性と本性が対立的であるというのは同じ意味であって,第三部定理五で相反する条件が示されているとすれば,第四部定理三〇では,その相反する条件は,僕たちがものを悪とみなす条件にそっくりそのまま適用することができるということが示されているのです。
 しかるにすでにみたように,理性に従う限りでは人間は本性の上で一致するのです。いい換えればある人間の現実的本性と別の人間の現実的本性は,理性に従う限りでは相反することはありませんし対立的でもありません。よってこの限りでは現実的に存在する人間が他者を悪とみなすことはなく,そのゆえに否定することもないのです。このようにして,第四部定理六四に訴えずとも,このことを論証することができるのです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 九十九島賞争奪戦&相反する条件 | トップ | ゴールドカップ&第四部定理... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歌・小説」カテゴリの最新記事