スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典佐賀記念&恣意性

2015-02-10 19:19:31 | 地方競馬
 最近の成績は奮わない高齢の実績馬3頭とオープン実績は乏しい5歳の新興勢力2頭が対決という図式になった第42回佐賀記念
 発走後の向正面ではダノンカモン,プルーフポジティブ,ソリタリーキング,ランフォルセの4頭が抜け出し,少し離れてマイネルクロップとコパノエクスプレスが続く隊列。正面に入ってダノンカモンがはっきりと逃げる形になり,その後ろはかなり入れ替わりがありましたが,プルーフポジティブ,内を追い上げたマイネルクロップ,ランフォルセ,ソリタリーキングの集団に。ごった返してはいましたがスローペースでしょう。
 2周目の向正面からペースが上がるとプルーフポジティブとランフォルセが脱落。さらに3コーナーを回ると外からマイネルクロップとソリタリーキングがダノンカモンを抜いてていき,この2頭の争い。競り合いがゴールまで延々と続きましたが,ずっと前に出ていたように見えたマイネルクロップが最後まで抜かせずに優勝。ハナ差の2着にソリタリーキング。力尽きたダノンカモンは3馬身差の3着。
 優勝したマイネルクロップは新興勢力の5歳の2頭のうちの1頭で,重賞初勝利。2走前に準オープンを勝ち上がったときの内容がよく,能力的には勝つ力があると考えていました。京都のダート1800mだけに特異に良績があるという点は不安でしたが,このコースでも対応することができたようです。ただ,現状のソリタリーキングを相手に2キロ軽くてハナ差で勝利ということだと,この程度のメンバーならばまだ勝機はあるでしょうが,上位馬と好勝負をするためにはもっと成長の必要がありそうです。父はクロフネ。はとこに2001年のCBC賞を勝ったリキアイタイカン。Cropは作物あるいは収穫。
 騎乗した丹内祐次騎手,管理している飯田雄三調教師はこれが重賞初勝利。

 真偽不明を命題文の表現内容だけによって規定することの問題性に最初に言及したとき,僕はこれが恣意的な規定であるといいました。命題の区別から知性intellectusの役割を排除する場合にも,この恣意性の問題が同じように及んできます。ある命題文を呈示して,その命題文の主語が述語を正確に含むか含まないかは,命題文の表現内容だけに関連させるなら,だれもが任意に決定することが可能です。そして主語が述語を正確に含むならその表現内容が真理veritasであり,そうでないなら真偽不明であるということも,任意に決定できる事柄に属するといえます。そしてこの恣意性の問題こそが,この場合での最大の難点であると僕は考えています。
 ですから,この部分の僕の探求およびこれ以降の同じ部分の探求が,僕の恣意性に由来するという批判を,僕は甘んじて受けなければなりません。ただ,理解しておいてほしいのは,僕はスピノザ主義者としてこのような方法を採用しているのではないという点です。スピノザ主義の立場がこれとは異なるということは,すでに説明しましたし,僕も心得ています。
 また,この種の恣意性に纏わる批判というのは,僕の読解が正確である限りにおいては,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizにも向けられるべき批判であるといえます。命題文の区別をライプニッツは恣意的に決定できますし,命題文の主語と述語の関係が,真理と非真理,そして真偽不明を規定するというのであれば,結局のところライプニッツはそれら三点をすべて恣意的に決定しているのではないかと疑い得るからです。つまりライプニッツは,何が真理であり,何が非真理であり,何が真偽不明であるのかを,自分の哲学にとって都合よく規定するために,この手法を採用したのではないかという疑念が生じるのです。ライプニッツの哲学はこういった批判を免れ得ないと僕は思っています。
 しかし,もしもそうであるなら,そこには明確な理由があったと僕は考えます。あるいはライプニッツに意図があったというべきでしょうか。ライプニッツとスピノザには,哲学観の相違というのがありました。この相違が,ライプニッツにこの方法を採用させたと僕には思えるのです。
 

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