スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

岡田美術館杯女流名人戦&恋愛の現実的本性

2017-01-30 19:02:13 | 将棋
 関根名人記念館で指された昨日の第43期女流名人戦五番勝負第三局。
 上田初美女流三段の先手で里見香奈女流名人のごきげん中飛車。①-Aから4筋で銀が向かい合う形。この形は持久戦になるケースも多いのですが,後手が早くに9筋の位を取り,先手が穴熊を断念したことで別の将棋になりました。
                                     
 後手が玉をひとつ寄った局面。ここで☗9五銀と取りました。左の銀を8六に進出させたのはこうして端から逆襲する狙いだったと思われ,その狙いに則した手だったのでしょうが,結果からすると方向を誤っていたのかもしれません。
 中央が薄くなったので☖6五歩☗同歩と突き捨てておいて☖7二銀と囲いを完成させました。先手は☗8六銀と戻っています。収まれば一歩を得して端からの反撃もあるので先手がいいでしょうが,そうはなりませんでした。
 ☖5六歩☗同歩と勢いをつけてから☖6五金。先手は☗7五銀。この手がここで最善であったなら,先手は歩得のプラスより手損のマイナスの方が大きかったのではないかという気がします。
 ☖5六金☗同金☖同飛で金交換。そこで☗6七金と上がったのは☖7六飛を防いだものでしょう。しかし後手は飛車を逃げずに☖5五銀と出てきました。
 感想ではここで誤算があったとのことなので,もしかしたら☗5六金と取れると思っていて,読み直して拙いと判断したのかもしれません。ただそれがダメなら☗同銀☖同角☗同角☖同飛の総交換に応じるほかなかったようです。
                                     
 第2図は桂香以外のすべての駒が捌けた形。玉は後手が固く,飛車の成り込みが残っているので先手は受けるほかなく,実質的な手番も後手にあります。したがってここでは後手が優勢といっていいでしょう。
 里見女流名人が勝って1勝2敗。第四局は来月5日です。

 スピノザの男の現実的本性essentia formalisについての認識は,第四部付録第二〇項に影響を及ぼします。そこでスピノザは結婚する両者を男と女に限定し,その両者の精神の自由にも基づく場合に,結婚は理性ratioと一致するといっていたのでした。ところが『国家論Tractatus Politicus』におけるスピノザの男の現実的本性の認識,とりわけ女が観念の対象ideatumになる場合の男の精神の現実的本性の認識というのは,精神の自由に基づく,いい換えれば精神の能動actio Mentisであるどころか,もっぱら精神の受動passioに隷属しているというものです。したがって『エチカ』では明らかに男も女も理性的に異性を愛することができるということが前提となっているのに,『国家論』では男が女を愛することについては,理性的であるのはむしろ例外的であるかのように語られているのです。
 政治論を排除して純粋に哲学的に考察するなら,それらの言及はひどく矛盾するわけではありません。それどころか両立させることすら可能でしょう。なぜならスピノザは第五部定理四二備考,『エチカ』の最後の一文で,高貴なものは稀であってまた困難であるpraeclara tam difficilia, quam rara suntという主旨のことをいっているからです。すなわち男の現実的本性からして,女を理性的に愛するということは,稀であって困難であると解することができるわけです。したがって『国家論』における記述はこれと一致するでしょう。一方,稀であったり困難であったりすることは,不可能であるという意味ではありません。なので男が理性的に女を愛するということも,現実的にはあり得るわけです。したがってその条件を満たす限りで結婚は理性と一致するという『エチカ』の記述も,不可能なこと,いい換えれば非現実的なことについて言及しているというわけではありません。
 スピノザは女の現実的本性についてはこのような仕方で具体的には語っていないので,それをどのように認識しているかは不明です。ただ,異性に対する愛amorについては,男について妥当である事柄は女についても妥当だろうと僕は考えます。また,これらの事柄は,単に異性愛についてのみ妥当であるというだけでなく,同性愛の場合にも妥当すると僕は考えます。いわばそれは恋愛の現実的本性なのです。
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