鬱オヤジのストレス苦闘日誌

鬱オヤジといいます(他のブログでは違うHNですが・・・)
主にストレスやうつ病について書きます。
くらいですよ~~

出来ないことが出来るようになってきたが・・・

2020-10-04 10:28:34 | 鬱、メンタル
一時は、印鑑押すのも憂鬱、電話なんか取れない、トイレ行くのも大作業など、内もできないくらい重かった。

こういう、「何もできない」状態は、人生の中で、長期間何度もある。

原因をさかのぼると、幼少期の家庭環境が浮き彫りになるが、このやる気のなさは、どのくらいあkら出たか・・・図に表すと、9歳ころにあんる。
この9歳と言うのは、自分の人生の中でも、語るに避けられない年齢なんだが、ここから、何かおかしな方向に言っているのかもしれない。

中学までは、勉強はするきがない、授業は身に入らない、何か夢中になるものがあまりない。

高校に入り、あまりにも凄い学校に入り、ここで学歴を終わらしたくないことから、夢中で勉強した。気が狂うほどに。
しかし、勉強の仕方がわからないから、時間ばかりかかり、浪人の時はそれで、ムキ量になり2か月ほどなにもしなかったことがあった。これが多分、鬱の始まりだった。

以後、憂鬱と言う気分が出るようになり、当時はやり始めた「うつ」というカテゴリーに興味を示し、呼吸による精神統一などして訓練したものだ。

そう、この時に、適切な治療を受けていれば、そのあと、出てくる大きな鬱には至らなかったかもしれない。


以後、積極性がなく何やっても、心のブレーキがかかる。

大学でも社会人でも。


今から13年前に鬱でダウンし、ずっと無気力に近い状態。


2年前、自立援助ホームの理事に就任、さらに、跡取りに指名されたときから、いまやる業を圧縮し、福祉に転換を図り、このころから、やる気がでてきて、軽くなったもんだが、クビ同然で辞める。

そのバーンアウトが今でも続く。さらに、昨年からのプロジェクトで、精神が本当にあかしくなり、一切のことができなくなった。


プロジェクトが終わって、でも、まだ何か気持ちが残るかな?というタイミングで、カウンセリングでゲシュタルトを学んだ。
さらに、4日間の休暇を摂り、その間に、ゲシュタルトの本を読んだ。


地を図にすると言う考え方が、いままでやってきたカウンセリングの意味を知り、それがゲシュタルトの空の椅子というワークだったことに気づく。
先生も、憎いと言うか、域と言うか、これがそういうワークというのは会説明せず、9月のカウンセリングで、ゲシュタルトのプリントをくれて、それで、先生のカウンセリングの目的がわかった。


そうなったら、些細なことは相当な勢いで整理できる。同時に、やる気もわいてきた。


しかしながら、地が図にならないものは必ずある。


経営と、法的案件だ。心理とは別作用だからね。

ここで躓くのだが、しかし、考えるヒントは出てくるもので、いままで見えなかった選択肢がでていることに「気づく」

「いまーここ」という考えで形になっていない、いまだ解決されていないものを「地」として、それを「図」にsることで、問題解決に導く。


心理上では非常に効果的で、何十年も悩んだ些細なこととかも、図にできた。


だが、難問でどうしても立ちはだかる。


昨日、雑用の嵐も、午前中に解決したが、先月の自分ならできなかっただろう。

精力的になれたのはありがたい。だが、どうしても解決できない難問。これをいかに解決するか。その考えるヒントは何となく出てはいる。それは図にできるものなのか?だね?



昨日は、心療内科で、調子が上がってきたから、次回は3週後にしてもらった。


仕事の方向性をもう少し考え、それが図になれば、おそらく、いまの悪い自分はなくなるだろう。


仕事は譲渡案はなくなるも、他の提案があるのと、辞めれない理由の仕事が入っている。来春まではかあkる。逆を言えば、そこまでは辞めるなだね。


考えるヒント、小林秀雄の本でも読むか?むずかっしい本だったが・・・こんな気分になれるのもカウンセリングのおかげかな?
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