一時は、印鑑押すのも憂鬱、電話なんか取れない、トイレ行くのも大作業など、内もできないくらい重かった。
こういう、「何もできない」状態は、人生の中で、長期間何度もある。
原因をさかのぼると、幼少期の家庭環境が浮き彫りになるが、このやる気のなさは、どのくらいあkら出たか・・・図に表すと、9歳ころにあんる。
この9歳と言うのは、自分の人生の中でも、語るに避けられない年齢なんだが、ここから、何かおかしな方向に言っているのかもしれない。
中学までは、勉強はするきがない、授業は身に入らない、何か夢中になるものがあまりない。
高校に入り、あまりにも凄い学校に入り、ここで学歴を終わらしたくないことから、夢中で勉強した。気が狂うほどに。
しかし、勉強の仕方がわからないから、時間ばかりかかり、浪人の時はそれで、ムキ量になり2か月ほどなにもしなかったことがあった。これが多分、鬱の始まりだった。
以後、憂鬱と言う気分が出るようになり、当時はやり始めた「うつ」というカテゴリーに興味を示し、呼吸による精神統一などして訓練したものだ。
そう、この時に、適切な治療を受けていれば、そのあと、出てくる大きな鬱には至らなかったかもしれない。
以後、積極性がなく何やっても、心のブレーキがかかる。
大学でも社会人でも。
今から13年前に鬱でダウンし、ずっと無気力に近い状態。
2年前、自立援助ホームの理事に就任、さらに、跡取りに指名されたときから、いまやる業を圧縮し、福祉に転換を図り、このころから、やる気がでてきて、軽くなったもんだが、クビ同然で辞める。
そのバーンアウトが今でも続く。さらに、昨年からのプロジェクトで、精神が本当にあかしくなり、一切のことができなくなった。
プロジェクトが終わって、でも、まだ何か気持ちが残るかな?というタイミングで、カウンセリングでゲシュタルトを学んだ。
さらに、4日間の休暇を摂り、その間に、ゲシュタルトの本を読んだ。
地を図にすると言う考え方が、いままでやってきたカウンセリングの意味を知り、それがゲシュタルトの空の椅子というワークだったことに気づく。
先生も、憎いと言うか、域と言うか、これがそういうワークというのは会説明せず、9月のカウンセリングで、ゲシュタルトのプリントをくれて、それで、先生のカウンセリングの目的がわかった。
そうなったら、些細なことは相当な勢いで整理できる。同時に、やる気もわいてきた。
しかしながら、地が図にならないものは必ずある。
経営と、法的案件だ。心理とは別作用だからね。
ここで躓くのだが、しかし、考えるヒントは出てくるもので、いままで見えなかった選択肢がでていることに「気づく」
「いまーここ」という考えで形になっていない、いまだ解決されていないものを「地」として、それを「図」にsることで、問題解決に導く。
心理上では非常に効果的で、何十年も悩んだ些細なこととかも、図にできた。
だが、難問でどうしても立ちはだかる。
昨日、雑用の嵐も、午前中に解決したが、先月の自分ならできなかっただろう。
精力的になれたのはありがたい。だが、どうしても解決できない難問。これをいかに解決するか。その考えるヒントは何となく出てはいる。それは図にできるものなのか?だね?
昨日は、心療内科で、調子が上がってきたから、次回は3週後にしてもらった。
仕事の方向性をもう少し考え、それが図になれば、おそらく、いまの悪い自分はなくなるだろう。
仕事は譲渡案はなくなるも、他の提案があるのと、辞めれない理由の仕事が入っている。来春まではかあkる。逆を言えば、そこまでは辞めるなだね。
考えるヒント、小林秀雄の本でも読むか?むずかっしい本だったが・・・こんな気分になれるのもカウンセリングのおかげかな?
こういう、「何もできない」状態は、人生の中で、長期間何度もある。
原因をさかのぼると、幼少期の家庭環境が浮き彫りになるが、このやる気のなさは、どのくらいあkら出たか・・・図に表すと、9歳ころにあんる。
この9歳と言うのは、自分の人生の中でも、語るに避けられない年齢なんだが、ここから、何かおかしな方向に言っているのかもしれない。
中学までは、勉強はするきがない、授業は身に入らない、何か夢中になるものがあまりない。
高校に入り、あまりにも凄い学校に入り、ここで学歴を終わらしたくないことから、夢中で勉強した。気が狂うほどに。
しかし、勉強の仕方がわからないから、時間ばかりかかり、浪人の時はそれで、ムキ量になり2か月ほどなにもしなかったことがあった。これが多分、鬱の始まりだった。
以後、憂鬱と言う気分が出るようになり、当時はやり始めた「うつ」というカテゴリーに興味を示し、呼吸による精神統一などして訓練したものだ。
そう、この時に、適切な治療を受けていれば、そのあと、出てくる大きな鬱には至らなかったかもしれない。
以後、積極性がなく何やっても、心のブレーキがかかる。
大学でも社会人でも。
今から13年前に鬱でダウンし、ずっと無気力に近い状態。
2年前、自立援助ホームの理事に就任、さらに、跡取りに指名されたときから、いまやる業を圧縮し、福祉に転換を図り、このころから、やる気がでてきて、軽くなったもんだが、クビ同然で辞める。
そのバーンアウトが今でも続く。さらに、昨年からのプロジェクトで、精神が本当にあかしくなり、一切のことができなくなった。
プロジェクトが終わって、でも、まだ何か気持ちが残るかな?というタイミングで、カウンセリングでゲシュタルトを学んだ。
さらに、4日間の休暇を摂り、その間に、ゲシュタルトの本を読んだ。
地を図にすると言う考え方が、いままでやってきたカウンセリングの意味を知り、それがゲシュタルトの空の椅子というワークだったことに気づく。
先生も、憎いと言うか、域と言うか、これがそういうワークというのは会説明せず、9月のカウンセリングで、ゲシュタルトのプリントをくれて、それで、先生のカウンセリングの目的がわかった。
そうなったら、些細なことは相当な勢いで整理できる。同時に、やる気もわいてきた。
しかしながら、地が図にならないものは必ずある。
経営と、法的案件だ。心理とは別作用だからね。
ここで躓くのだが、しかし、考えるヒントは出てくるもので、いままで見えなかった選択肢がでていることに「気づく」
「いまーここ」という考えで形になっていない、いまだ解決されていないものを「地」として、それを「図」にsることで、問題解決に導く。
心理上では非常に効果的で、何十年も悩んだ些細なこととかも、図にできた。
だが、難問でどうしても立ちはだかる。
昨日、雑用の嵐も、午前中に解決したが、先月の自分ならできなかっただろう。
精力的になれたのはありがたい。だが、どうしても解決できない難問。これをいかに解決するか。その考えるヒントは何となく出てはいる。それは図にできるものなのか?だね?
昨日は、心療内科で、調子が上がってきたから、次回は3週後にしてもらった。
仕事の方向性をもう少し考え、それが図になれば、おそらく、いまの悪い自分はなくなるだろう。
仕事は譲渡案はなくなるも、他の提案があるのと、辞めれない理由の仕事が入っている。来春まではかあkる。逆を言えば、そこまでは辞めるなだね。
考えるヒント、小林秀雄の本でも読むか?むずかっしい本だったが・・・こんな気分になれるのもカウンセリングのおかげかな?
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