晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「ジュリアン」(17・仏)70点

2019-05-31 16:05:38 | 2016~(平成28~)


 ・ 長回しとSEでリアリティと緊張感を醸し出す、サスペンス風社会派ドラマ。


 長編ドラマ・デビュー作でベネチア最優秀監督賞を受賞したグザヴィエ・ルグランのオリジナル作品。

 離婚したベッソン元夫婦は11歳の息子ジュリアンの親権を巡り裁判で争っていた。
 ジュリアンがあの男と呼ぶ父・アントワーヌは「父親として息子と面会の権利」を主張。
 裁判官は母親ミリアムが失業中であり父親のDVは証拠不十分であることを理由にアントワーヌに隔週週末ごとにジュリアンとの面会の権利を与える。

 離婚した夫婦とその家族関係を描きながら、張り詰めた緊張感がどんどん増して行く。

 新鋭ルグラン監督は短編「すべてをを失う前に」(12)での夫婦を同じキャスティングで肉付けし、サスペンスを超える人間ドラマに仕立て上げている。

 ダルデンヌ兄弟でお馴染みの長回しと、BGMを一切使用せず自然な音を効果的に入れ、リアリティと緊張感を持たせる手法で観客の想像力を誘って行く手腕はなかなかのもの。

 物語は法廷ドラマで始まり、ホラー・サスペンスの趣で終わる想定外の方向へ。監督は「クレイマー・クレイマー」と「シャイニング」を参考にしたというが、シャイニング色が強すぎてテーマは回収されず終わった感もあった。

 ミリアムを演じたレア・ドリュッケールはか細く、アントワーヌに扮したドゥニ・メノーシェはブルーカラーの韋丈夫で如何にもDV夫婦の雰囲気が姿形からも窺える。メノーシェは家族愛ある男から孤独なDVストーカー男への変貌ぶりが真に迫っていて、今後の役柄に影響しなければいいが・・・。

 ジュリアンを演じたのはトーマス・ジオリアで実年齢は役柄より少し年長。父親への恐怖感と母親を守ろうと必死になる演技はトラウマにならないか?心配になるほど。

 DVが原因で死亡する事件が多いフランスに一石を投じた作品だが、家族には司法も行政も立ち入ることができないという事実を今更ながら突きつけられた作品だった。

 

 

「マチルド、翼を広げ」(17・仏)70点

2019-05-29 12:05:48 | 2016~(平成28~)

・自身の子供時代をもとに描いた、ちょっぴりビターなファンタジー。


「カミーユ、恋はふたたび」(12)<未見>で脚本・監督・主演したノエミ・ルボスキーが描いたちょっぴりビターなファンタジーは、自身の体験をもとにした物語。
主人公は9歳の少女カミーユ(リュス・ロドリゲス)でルボフスキーが母親に扮し、父親には「潜水服は蝶の夢を見る」のマチュー・アマルリックが共演している。

カミーユはパリのアパルトマンでママと二人暮らし。ママは精神を病んで情緒不安定で、その言動に振り回されながらも日々を過ごしている。
ある日ママからプレゼントされたのは小さなフクロウだった。なんとマチルドとは会話ができた・・・。

一見メルヘンチックなストーリーだが、とても成り立ちそうもない二人の暮らしぶり。何しろ学校に呼び出された教師との会話で母親失格ぶりを露見し、お店でウェディングドレスを試着し街にでて歩き出す。

離婚した父親は二人を遠くから優しく見守るが、決してそれ以上介入しない。母と娘の絆を描いた監督の自伝的物語なので好意的に描かれているが、筆者には放っておけない環境でもっとアクションを起こすべきだと思わずにいられない。
演じたカメレオン俳優M・アマルリックが普通の父親役を演じたのは長年の友である監督への友情出演だったようだ。

感受性豊かな母と娘は次第に社会に適応できなくなってくるが、その絆は割き難いものがあったのだ。

9歳の少女にとってその境遇は、ミレーの名画<オフィーリア>の夢にうなされ、フクロウとの会話で本心が語られる。

カラフルな衣装で無邪気さと大人びた言動の入り混じったマチルド。演じたロドリゲスの自然な演技はとても映画初出演とは思えない感性の豊かさがあって堂々たる主演ぶり。

母親役を熱演したルボルスキーは自身の母への愛が溢れ渾身の演技。

二人に負けず頑張ったのはふくろうだ。まるでしゃべっているような風貌はビターな物語をメルヘンチックに癒してくれた。

大人になったマチルドは言葉が交わせなくても雨の中で踊ることで母娘であることを再確認でき、オフェーリアからも脱却できた。<明日もこれからも>の原題がぴったりなエンディングだった。

「日日是好日」(18・日)60点

2019-05-24 12:00:30 | 2016~(平成28~)


・ 茶道に惹かれた女性の体験は、女性の成長記で入門書でもある。


森下典子の人気エッセイを「まほろ駅前」シリーズの大森立詞監督が書き下ろし黒木華が主演。20歳で始めたお茶の魅力に気づき、茶道を通じて日々成長していくヒロインを描いた人間ドラマ。

約25年間を綴ったエッセイを僅か100分で映画化するのはかなりハードな作業だったことだろう。どちらかというとお茶というテーマとはイメージ・ギャップのある大森監督作品はどう映画化されたのか?

いい意味で予想に反しオーソドックスで、真摯に向かいあった茶道入門書の趣もあって心が洗われる作品となった。

主演した黒木華は筆者のお気に入り女優のひとりだが、20歳の女子大生から40代まで、ひとつのものに取り組むことで気づいていく女性を素直に演じ切っていた。
子供のころ観た映画「道」が大人になって分かったように、就職・恋愛・独り住まい・家族との別離それぞれにお茶があって、すぐにわからない茶道の奥深さに気づいてくる。

黒木の真面目なヒロイン像はイメージどおりだったが、武田先生役の樹木希林の存在感があり過ぎていささか影が薄くなってしまった。上品なお茶の先生役とはかけ離れた彼女が現れた瞬間それになり切っている。若手演技派の安藤さくらと黒木華を足して十倍したような稀有な女優であることを認識させられた作品でもあった。

大森演出はお茶のアルアル話を織り込みながら、奇をてらったものをできるだけ排除してお茶の魅力を映像化することに成功、二十四節季とともに音が違うことを丁寧に描写していて好感を持った。
これはカメラの槇憲治、照明の水野研一、美術の原田満生・掘明元紀、音楽の世武裕子など新旧スタッフの尽力の賜物だろう。

昨今の日本の気候は不順で、なかなか思うような微妙な変化とはいかないが、だからこそ茶道のような深遠な世界に触れる大切さを考えさせる作品でもあった。できるなら大画面で音響設備の環境が整った状態で鑑賞してほしい。


「モリのいる場所」(18・日)70点

2019-05-21 12:30:33 | 2016~(平成28~)



・ 山﨑努と樹木希林の唯一共演で熊谷守一夫妻を描いたユーモラスな人間ドラマ。


伝説の画家熊谷守一のエピソードをもとに晩年のある夏の一日をフィクションを交えながら描いたのは、「南極料理人」(09)「横道世之介」(13)「モヒカン故郷に帰る」(15)の沖田修一。

昭和49年夏のある日、東京豊島区に守一が暮らす家には草木が生い茂る庭があり、絵のモデルとなる小動物や虫が住みついている。
これらを眺めながらそのささやきや息遣いを感じるのが30年の日課となっている。

戦後、明るい色彩と単純化された<モリカズ様式>と言われた日本を代表する画家でありながら、周りの評価や権威とは無関係に97歳まで絵を描き続けた熊谷守一。

その人となりが窺える本作は彼を敬愛する山﨑努が沖田監督に話をしたことから実現。さらに俳優座の後輩・悠木千帆(樹木希林)が二つ返事で出演OKを出したことで貴重な最初で最後の共演となった。

沖田作品ならではの個性派俳優たちが脇を固めている。守一を撮影することに情熱を傾ける写真家・藤田武に加瀬亮、アシスタントに吉村界人、信州から温泉旅館・雲水館の看板を書いてもらうためやってきた主人に光石研、画商にきたろう、知らない男に三上博史が扮し、いつも茶の間に人が絶えない。

それを苦にせず受け入れ切り盛りするのが50年以上連れ添った妻秀子(樹木希林)と姪美恵ちゃん(池谷のぶえ)のふたり。

沖田監督は<ユーモアのある娯楽作品>を信条とし、守一の人となりを丹念に描きながらも随所に笑いを誘うことは忘れない。

冒頭、昭和天皇(林与一がそっくり)が展覧会場で守一の<伸餅>を観て首をかしげながら「これは何歳の子供が描いた絵ですか?>お尋ねになったり、文化勲章を<袴を履くのがめんどくさい>といって断るシーンなどエピソードを笑いに変える手腕は絶妙なタイミング。
<雲水館>の揮毫を依頼され<無一物>と書いた守一には欲というものには無縁の人だった。

ドリフのコントや宇宙人が登場するなど、下手をすると収拾がつかないところをテンポよく画面を切り取りながら言葉では表現できない可笑しみが伝わってくる。

庭という小宇宙もマンション建設に伴う危機が迫るが、現場監督(青木崇高)との交流で最悪の事態を回避する守一。旺盛な食欲と観察力で生命力溢れる人物であったことが実感された。

改めて、二人の名優共演とそれを支えた脇役陣(とくに池谷のぶえが秀逸)スタッフ(撮影・日永雄太 音楽・牛尾憲輔)を纏めた沖田監督に拍手を送りたい。

「ジーサンズ はじめての強盗」(17・米) 70点

2019-05-14 12:27:49 | 2016~(平成28~)


・ ハリウッドならではのファンタジー・ドラマ。


マーティン・ブレスト監督「お達者コメディ/シルバーギャング」(79)のリメイクで、「ドリーム」「ヴィンセントが教えてくれたこと」のセオドア・メルフィが脚色、ザック・グラフが監督。原題は「GOING IN STYLE!」

マイケル・ケイン、モーガン・フリーマン、アラン・アーキンのオスカー俳優3人が共演する痛快コメディの触れ込みだが、3人のレジェンドに敬意を表して、ファンタジー・ドラマのテイストになっている。

長年働いていた会社の年金で平穏な老後を過ごそうとしていた3人が会社の合併で工場はベトナムへ移ることになり、従業員の年金は会社の再編費用に回されることになった。

ジョー(M・ケイン)は銀行の住宅ローンが突然3倍になり訪れた銀行で強盗に出会うが、犯人の鮮やかな手口に驚き<年寄を敬うのは社会の義務だ>といわれ被害に遭うことがなかった。

事態を解決するためウィリー(M・フリーマン)とアル(A・アーキン)を誘うが・・・。

途方もない打開策だが、筆者のような年金生活者にとってお笑い事ではない。

ジョーは出戻りの娘と孫娘と同居する家の差し押さえの危機、ウィリーは腎臓を患い手術をしないと生命の危機、アルはアニー(アン・マーグレット)に結婚を迫られているがお金がない。

企業や銀行の事情で社会システムについて行けない弱者はおいて行かれるという、現実を痛烈に批判したコメディだ。

スーパーで万引きを試したり、裏社会のギャングに弟子入り映画「狼たちの午後」でイメトレしたり <平穏な老後>のための犯罪行為はシリアスな役柄も演じてきた3人が扮しているからこそ成立している。 特にM・フリーマンはスキャンダルを払拭する役柄でアルの役でなくて良かった。

「三匹のおっさん」「はじめてのお使い」をミックスしたような邦画タイトルは人気TV番組にあやかってのことだろうが、題名でドタバタ喜劇を連想してしまいミスリードの気がする。

筆者も残された時間を「GOING IN STYLE!」で暮らして行きたい。




「カメラを止めるな」(17・日)70点

2019-05-08 10:53:43 | 2016~(平成28~)


・ 映画館で観て良かったファミリー向けインディーズ映画。


映画専門学校のワークショップで生まれSNSで評判を呼んだのがキッカケとなり、大ヒットしたゾンビ映画。監督・脚本・編集は上田慎一郎。

映画専門チャンネルで30分のゾンビ作品をワンカットで撮る約束で引き受けた日暮監督。<安い・早い・質はソコソコ>という条件ながらハプニングにもメゲズ撮影に没頭していく。

ネタばれなしのレビューが難しい作品で、<最後まで席を立つな。この映画は二度始まる>というキャッチフレーズを信じて映画館で観たのが正解だった。

最初はゾンビ映画の撮影隊が廃墟で撮影中、本物が現れ撮影隊のメンバーが次々とゾンビ化して行く。その間37分が文字通りワンカットで撮影されている。

有名俳優も出ない、仕掛けも映像も驚きもない、よほどのゾンビ好きでも高評価とは言い難い37分間。大傑作という前評判の謎解きのためにも我慢して観ると次々と謎解きが回収されていく面白さが待っていた。

シナリオの出来が作品を左右するという典型だ。

まだ観てないない人にはネタばれになるが、<ゾンビ映画なのに家族ドラマでコメディ映画>だった。

「万引き家族」(18・日) 80点

2019-05-06 11:54:02 | 2016~(平成28~)


・ 家族とは何か?を問い続けた是枝作品の集大成。


「そして父になる」(13)・「海街dialy」(16) 「三度目の殺人」(17)の是枝裕和監督14作目は、犯罪を重ねながら繋がっている家族を通して人と人との絆について描いていく、ご存じカンヌ・パルムドール受賞のヒューマンドラマ。

リリー・フランキー、樹木希林の常連組に安藤サクラ、松岡茉優など若手演技派女優が加わり多彩なキャスト。

本作はTVドキュメンタリー番組や「幻の光」(95)以来是枝作品を見続けてきた筆者にとって、少し冷却時間が必要だと思って公開後1年後の鑑賞。

撮影監督・近藤龍人、音楽・細野晴臣という新スタッフによる新鮮さと是枝流の演出技法が巧くコラボレーションされ、フィクション作品としての完成度が高まったような気がする。

題名を「声に出して呼んで」から「万引き家族」にしたのも映画らしいフックが効いていたし、池松壮亮(4番さん)、柄本明(駄菓子屋店主)などのワンポイント使いという贅沢なキャスティングが可能になったことが作品の厚みを増した証拠でもある。

年金不正受給、幼児虐待、育児放棄など社会問題を背景にしながら、「誰も知らない」(04)以来、家族とは?人と人との繋がりとは?をテーマにしながら観客に投げかけてきた是枝作品の集大成となった。

樹木希林亡き後、監督には安藤サクラが後継者となり、更なる飛躍への道を歩むような作品に挑んでもらいたい。