晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「96時間」(08・仏) 70点

2014-05-28 12:34:34 | (欧州・アジア他) 2000~09

 ・ リュック・ベッソンが、L・ニーソンで新キャラクターを生んだ。

                    

 リュック・ベッソンが「レオン」のジャン・レノ「トランスポーター」のに劣らない新キャラクターをリーアム・ニーソンを起用したタイムリミット・アクション。続編が4年後製作され、今年シリーズ3作目が待たれる。監督は撮影監督出身のピエール・モレル。

 主人公ブライアン・ミルズはロスに暮らす元CIA工作員。退職したのは離婚した元妻レノーアと暮らす17歳の娘キムと会うためで、娘のためなら何でもするという親バカぶり。

 折りしも誕生日にプレゼントのカラオケBOX持参で再会するが、裕福な義父からの馬のプレゼントに大喜びする娘に寂しい想いを味わう始末。

 原題が「TAKEN(誘拐)」なので、溺愛する娘が誘拐され、ブライアンが必死に救いだすストーリーが連想される。想ったとおりの展開なのだが、思ったより本題に入らず序盤20分ほどは親バカぶりが目立つ。

 これはL・ベッソンの思惑どおりで、家庭人としては失格のブライアンが、娘が旅先のパリで誘拐されそうになった途端、一変する。ここからは有無を言わさないノンストップ・アクションに目が離せなくなる。カーチェイス、ガン・アクション、ファイト・シーン満載は、突っ込みどころを引っ込ませる迫力充分。

 筆者にとってL・ニーソンは「シンドラーのリスト」(94)の印象が強いが、「スターウォーズ」シリーズなど幅広い役柄でもお馴染み。今回55歳で演じた新しい人物像で健在ぶりを魅せてくれた。

 <娘のためならエフェル塔も壊す>というブライアン。世の父親にはマネできないが、娘を心配する父親像はひとり娘を持った筆者にも充分共感の93分だった。

 

「地平線から来た男」(71・米) 60点

2014-05-25 17:22:32 | 外国映画 1960~79

 ・ B・ケネディ、J・ガーナーコンビのウェスタン・コメディ第2弾。


                    

 西部劇のコメディといえばボブ・ホープ主演「腰抜け二丁拳銃」(48)を思い出す。本作は、西部劇がピークを過ぎイタリアン西部劇が取って替わろうとしている時期で、それをギャグとして使われてもいる。バート・ケネディ監督、ジェームズ・ガーナー主演でヒットした「夕陽に立つ保安官」(68)に続いての2匹目のドジョウ狙い。

 西部にある鉱山の街に迷い込んだラティゴ・スミス。出迎えたのは鉱山主で実力者のテイラー・バートンで、凄腕のガンマン・スウィフティと間違えられる。5000ドルという条件に目がくらんだラティゴは、偶然知り合ったジャグ・メイをスウィフティに仕立て上げ契約してしまう。

 ライバルであるエームズ大佐とのイザコザ、バートンの娘ペイシャスとの触れ合い、酒場での乱痴気騒ぎ、本物のガンマン、スウィフティとラディゴの決闘など盛り沢山。

 主人公のラディゴのキャラクターは、J・ガーナーが演じたTVシリーズ「マーべリック」のパロディ。口先だけで乗り越えるギャンブラーで、ルーレットの23番がトラウマ。

 「墓石と決闘」(67)で主人公ワイアット・アープを演じたJ・ガーナーは、まるっきり違うキャラクターを飄々と演じている。その後もコンスタントに映画・TVに出演して「スペース・カウボーイ」(00)、「きみに読む物語」(04)など健在ぶりを示しているのは驚き。

 コンビのジャグ・メイ役のジャック・イーラムは悪役でお馴染みの俳優だが、藪睨みの表情がコミカルな雰囲気を醸し出し、真面目にやっているだけで面白い。前作「夕陽に立つ保安官」に引き続き、テイラー役のハリーモーガンともども盛り立て役に貢献している。

 ヒロイン・ペイシャス役のスザンヌ・プレシェットはエリザベス・テイラーに似た風貌で、トロイ・ドナヒュー共演の「恋愛専科」(62)が代表作。本作では33歳だったが、じゃじゃ馬の娘役に何の違和感もないほど若々しさを魅せている。

 懐かしいといえばTVで「ライフルマン」を観ていた筆者にとって、ガンマン・スウィフティ役のチャック・コナーズが、ユル・ブリンナーばりの黒ずくめの衣装でスキンヘッドで現れたのがとても嬉しかった。

 このあと第三弾ができなかったのは、あまりにも楽屋落ちのギャグ満載だったためネタ切れになってしまったのかも。

「ブルー・ジャスミン」(13・米) 80点

2014-05-20 17:03:33 | (米国) 2010~15

 ・健在ぶりを示したW・アレンの期待以上に頑張った、C・ブランシェット。


                     

 ウディ・アレンといえばお気入りの女優と大好きなNYを舞台に繰り広げるロマンティック・コメディが思い浮かぶが、近作は「ミッドナイト・イン・パリ」「ローマでアモーレ」などヨーロッパに舞台を移して趣きの違うトーンに新境地を拓いた感もあった。

 NYの投資実業家の妻・ジャスミン。ハンサムな夫が詐欺師で全てを失いながら虚栄心の塊を拭えず、痛々しい現在から再びセレブになることを諦めない女性を緻密に冷徹に描いて行く。

 本作はヒロインにケイト・ブランシェットを起用し、77歳にして益々人間描写とくに女性を描くことに長けたW・アレンの本領発揮作品となった。近作は敬遠していた筆者も本作は映画館で鑑賞、お金を払って観た価値はあった。

 ストーリーのヒントとなったのは投資家バーナード・L・マドフの実話からか?ヒロインが着飾って労働者階級の妹を頼って訪ねるが、プライドが邪魔をして巧く行かない。情緒不安定で身も心も破綻して行くさまは、エリア・カザンの「欲望という名の電車」のヒロインに設定がそっくり。

 
 ブランドで身を固めたヒロイン・ジャスミンの本名はジャネット。大学中退で結婚した相手が成りあがりの大金持ちだったため、セレブの象徴であるブランドものは女の武器。妹の前でも嘘で塗り固める姿が痛々しい。どこかビリー・ワイルダーの「サンセット大通り」のヒロインにも似た虚栄心は哀しいサガか?

 本作では、50年代とは違って男を愛するヒロインではないところが今風か?独身エリート外交官に出会って再び再浮上のチャンスがあったにも拘わらず、社交界の華になることが目的では・・・。

 トキドキ出てくる独り言がジャスミンの本音で他人は気味悪がって関心を持って聴こううとしない。姉の善き理解者である妹・ジンジャーだって自分の生活を優先するのが現実なのだ。

 男は自分の欲望を女に求め、女は豊かな暮らしと優しさを男に求める様子を出演者全員にさり気なく織り込んだアレンの人物描写は辛辣で止まることを知らない。

 オスカー(主演女優賞)を獲得したC・ブランシェットは、ビビアン・リーやグロリア・スワンソンという大女優に負けることのない現代の女の哀しさを演じたというお墨付きをもらったのかもしれない。

 強敵が多く受賞を逃したが妹・ジンジャーを演じたサリー・ホーキンスはマイク・リー作品の常連でお馴染みだが、今回の好演は本作最大の功労者とも言える。

 劇中に流れる「ブルー・ムーン」がまるでヒロインの心情を象徴しているようだ。
 
 
     

「いつでも夢を」(63・日) 60点

2014-05-15 17:23:06 | 日本映画 1960~79(昭和35~54)

 ・ 懐かしい青春歌謡映画。

                    

 この頃は<青春歌謡>というジャンルのヒット曲が続々と映画化されているが、本作もそのひとつ。橋幸夫と吉永小百合のこの曲は若い世代には「あまちゃん」で知る機会があったと思うが、筆者にはまさに青春時代そのもの。

 橋幸夫は同学年で、吉永小百合は1学年下なのでリアルタイムで見ても良いはずだったが、当時は東映にハマっていたため未見。それでも懐かしい気がするのは「キューポラのある街」(62)と同じ年の製作で似通ったストーリーのため。もちろんメロディと歌詞は覚えていて、いまでもカラオケで歌うほど青春そのもの。

 東京下町の工場に働く木村勝利(浜田三夫)と医院で父の仕事を手伝う三原ひかる(吉永小百合)は定時制高校で働く同級生。勝利は卒業後は大手の商社に就職することを励みに日々頑張っている。岩下留次はトラックの運転手(橋幸夫)でひかるに逢った途端に一目惚れ。

 監督は野村孝で、あくまで矛盾社会のなかでも明るく前向きに生きる若者像を職人芸で纏めた青春歌謡映画に仕立てている。音楽はヒット曲を作曲した吉田正で挿入歌に橋幸夫に「潮来笠」、吉永に「寒い朝」を入れるなどしてサービス満点。

 今観ると、東京の排気ガスや煙突の煙で空気汚染は今の北京を笑えないほどだが、マスクもしないで暮らしていたのがウソのよう。東京タワーからの東京は霞んでいた。

 ヒット曲とともに画面で躍動する映画の主人公たちは、半世紀の隔たりとともに懐かしい時代を想い起こさせてくれた。
                    

「とらわれて夏」(13・米) 75点

2014-05-11 20:18:51 | (米国) 2010~15

 ・ オーソドックスなJ・ライトマン演出。

                    

 87年アメリカ東部・ニューハンプシャー州の田舎町で起きた、シングルマザーと13歳の少年が脱獄犯とともに過ごした5日間の物語。9月1週のこの5日間は3人にとって一生忘れることのないできごととなってゆく。

 「マディソン郡の橋」(95)と「パーフェクト・ワールド」(93)をミックスしたようなストーリー。「ライ麦畑でつかまえて」のJ・D・サリンジャーに影響を受けたジョイス・メイナード原作「レイバー・ディ(労働の日)」をハリウッドの気鋭・ジェイソン・ライトマンが脚本化・演出している。

 ライトマンは本来のシニカルな笑いを抑えて、原作の持つ「絶対にそうならないだろうが、そう生きられたらいいな」と思えるストーリーを壊さずにオーソドックスな演出ぶり。自身の少年時代の体験をもとに、母親への心情や思春期での異性への想いを込めて観客心理を巧みに捉える筋書きに徹している。

 母親アデルを演じたのはケイト・ウィンスレット。過去の辛い想いを胸に愛を封印してしまった女性が、愛を取り戻して行く複雑な心情を見事に体現して魅せる。ベッドシーンなどで興ざめすることが多い昨今の作品とは違って、円熟した女性の魅力全開だ。

 息子ヘンリーに扮したのは、「チェンジリング」(08)で取り違えられた子供だったガトリン・グリフィス。大人の階段を上ろうとしている少年役に相応しく立派に成長している。スポーツよりダンスが好きなナイーブな雰囲気と、母親を支えるのは自分しかいないという自負心が顔に溢れていて、母性本能をくすぐる。

 脱獄犯フランクはジョシュ・ブローリンが演じている。少し地味な俳優だが、チリ・ビーンズやピーチ・パイを手際よく作り、家や車の修理をこなし、子供と野球や初デートのときに困らないようにタイヤ交換の仕方まで教える。今回のはからずも殺人罪で服役したが<心優しい善き夫であり父親であった筈の男>の哀しさを秘めた役柄にはぴったりで、彼の代表作になることだろう。

 フラッシュバックで、なぜ彼が殺人を犯したのかが描かれるが、脱獄した理由ははっきりしない。理屈抜きで2人の出逢いを見て、その結末をハラハラ・ドキドキして観るためのドラマなのだろう。フランクの人物設定はヒロイン・アデルと息子ヘンリーから観た理想の夫で理想の父親でなけばならないので、多少の非現実はこの際目くじらを立ててはいけない。

 終盤でアデルが離婚した理由と心の病を持った経緯が終盤で明かされる。女性観客の共感を呼ぶところで、捕まらないで欲しいという気持ちでいっぱいになる。映画館は女性の比率が高く、あちこちですすり泣きが聴こえそうなドラマだった。

 ナレーションを務めたのはトビー・マグワイヤで、大人になったヘンリーで登場する。彼目当てで観たら物足りないほどのワンシーンだが、ピーチパイが絆となっているのに納得。

 若いライトマン監督が、これほど中高年向けの落ち着いたテイストの作品を手掛けるとは思わなかった。斬新な演出期待を裏切った感もあるが、熟年世代の筆者には懐かしくもあり、予想を裏切らない好感が持てる結末でもあった。

「刑事 マディガン」(68・米) 70点

2014-05-05 18:10:34 | 外国映画 1960~79

 ・ R・ウィドマーク×H・フォンダ×D・シードルのNY警察物語。

                    

 リチャード・ドハティの原作「ザ・コミッショナー」をもとに、アメリカン・ニューシネマ作家エイブラハム・ポロンスキーが脚色した警察官の生活風景が描かれた異色刑事アクション・ストーリー。監督は本作のあとC・イーストウッドと組んで、「マンハッタン無宿」(68)、「ダーティ・ハリー」(71)を監督したドン・シーゲル。

 NY、スパニッシュ・ハーレム地区の金曜日。事件の発端は犯人・ベネシュを捕まえ損ねた刑事・マディガンは一瞬のスキで拳銃を奪われる失態を犯してしまう。情婦のヌードに見惚れたというのが人間らしい。警察委員長のラッセルは、72時間の間に拳銃を取り戻すことで解決を図ろうとマディガンに厳命する。

 事件発生の金曜から3日間、マディガンとラッセルがどのように過ごしたかを追ったストーリーは、今まであった刑事アクションとはまるっきり趣きの違うテイストだ。

 監督・プロデューサーはタイトルを「金曜・土曜・日曜」にしたかったが会社の反対で実現しなかっただけあって、公私とも悩みを抱えながら過ごした2人の3日間が俯瞰的に描かれる。

 マディガンを演じたリチャード・ウィドマークは当時53歳。その個性的な風貌で、西部劇などで悪役もこなせる俳優として存在感を示していたが、そろそろ曲がり角の時期に差し掛かっていた。本作で新ジャンルを切り開くキッカケとなった。

 ラッセルを演じたのはヘンリー・フォンダ。原作は題名が示すようにラッセルが主役で、本作でも均等な扱いのため、その分散漫さは否めない。これは大物俳優を起用したことによる諸事情が窺えるが、単なる刑事アクションではないことの証明でもある。

 マディガンの悩みは、仕事一筋のあまり妻の不満を癒すことができないこと。安月給なのに家を空けることが多く夫婦生活も儘ならず、土曜の警察パーティにもダンス相手を同僚に託すほど。何げないシーンで長年の相棒ボナーロや情報屋など仕事仲間からの信頼も厚いのが分かる。

 ラッセルの悩みは部下で親友・ケインの汚職問題、黒人牧師からの苦情を抱え、私生活ではセレブな不倫相手との別れ話も。

 叩き上げのアイリッシュ刑事とエリート警察委員長という2人の違いを対照的に描き、地味ながら当時のNYの息遣いが聴こえてくるようだ。NYの夜景をバックにしたオープニングから、ブルックリン、コニーアイランド、イーストリバーなどの野外ロケを活かした名手ラッセル・メディの映像と、ドン・コスタの音楽が効果を高めている。

 どちらかというとB級映画監督として存在感を示していたD・シーゲルの転機となった作品で、R・ウィドマークがそのキャラクターを活かしてTVシリーズ「鬼刑事マディガン」で主演することでお茶の間に浸透することとなった作品でもある。

「ロシアン・ルーレット」(10・米) 60点

2014-05-01 10:46:20 | (米国) 2010~15

 ・リメイクの長短が見えたサスペンス。

                   

 グルジアの監督ゲラ・バブルアニがヴェネチアで絶賛され、最優秀新人監督賞を獲得した「13 ザメッティ」(07)のリメイク。ハリウッドにパワーアップして上陸した作品。

 貧しい電気工のヴィンスが偶然知った大金が入るという情報は、秘密の賭博場だった。大富豪たちが賭けの対象としたのは、何と拳銃による人間同士の殺し合い。

 17人の男たちは番号入りTシャツを着せられ、輪になって隣の男に合図とともに引き金を引くというロシアン・ルーレットの変形競技。最後まで勝ち残った独りに100万ドルが与えられるというもの。

 集まった男の中にはメキシコで強盗を重ねた囚人・パトリック(17)や過去3回経験した生き残りの余命幾ばくもないロナルド(6)がいる。ヴィンスの番号は縁起の悪い13だった。

 競技が始まるまでのスリリングな恐怖感はなかなかのもの。ヴィンスは父親の入院費用に逼迫していたしパトリックは罪を重ねた犯罪者だし、死を間近にしたロナルドは弟ジャスパーにそそのかされやけっぱち。それぞれの背景で集められた弱者が、偶然だけを頼りに弾きガネを弾く不条理さが伝わってくる。

 肝心の命懸けのレースは意外と単調で、進行係のヘンリーだけが異様に興奮を盛り上げるのが寧ろ滑稽なほど。

 要因のひとつはハリウッドらしいテイストのためか?オリジナルは無名俳優たちのモノクロ映像でその悲惨さが妙にマッチしていたのに対し、本作はカラーでミッキー・ローク(パトリック)、ジェイソン・ステイサム(ジャスパー)など知名度の高い俳優が出ていたため、ドラマ進展の意外性に欠けていたこと。

 ヴィンスに扮したサム・ライリーは精一杯の演技だったが、オリジナルにはない追加キャラクターのミッキーロークなどは、監督の懇願で出演しただけで中途半端な役柄となってしまった。ルールを変えながら3ラウンドして生き残ったうち無作為に2人が選ばれる展開は、3人がメインだけに生き残りが読めてしまう。
 
 闘い終えての賞金が誰の手に入り、その結末はどうなったか?もうひとヒネリあって不快感は残らならかったものの爽快感もなかった。

 同じ監督が製作費を掛けてリメイクしても成功することの難しさを感じてしまったが、理屈を捏ねず観るにはそれなりに楽しめた97分。