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晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「帰郷」(19・日)70点

2020-02-15 13:08:41 | 2016~(平成28~)

・8K映像による杉田監督・仲代達矢主演のヤクザ映画。
藤沢周平の短編を「果し合い」の杉田成道監督・仲代達矢主演で映画化。時代劇専門チャンネルによる8K映像TV映画の期間限定上映があったもの。
本格時代劇の衰退は著しいが、視点を変えたユニークな作品が出始めている。ただ筆者のような少年時代から時代劇に馴染んできた高齢者にはなかなか食指が動かなかったものも多くあり、本作は久々の本格ヤクザ時代劇だ。
自らの死期を悟った渡世人・宇之吉(仲代)が30年ぶり木曾福島の故郷へ帰ってくる。そこで出会ったのは一人で大勢を相手に刀を振り回す若者・源太(緒方直人)で、昔の自分を辿るようだった。
おそらくこれが最後の主演作では?という仲代は年老いたヤクザを渾身の演技で大型画面ならではの存在感で魅せている。よろよろと歩く姿を見て流石に年を感じさせたが、監督によるとこれも演技だったとか。大御所C・イーストウッド同様、いくつになっても俳優であることを実感させられる。
美しい木曽路と御嶽山を背景に繰り広げられる8K映像は美点もあるが、アップの多用は粗が目立ちやすく女優泣かせで、美術・照明などスタッフも苦労が多かったことだろう。本作では見事に克服されていた。
仲代の熱意に呼応して幼馴染みの佐一(橋爪功)、かつての兄貴分で敵役・久蔵(中村敦夫)、親分の妻・おこう(三田佳子)などベテランが脇を固め安定の演技。さらに30年前の宇之吉に北村一輝、源太に緒方直人の中堅俳優、ヒロインおくみに常磐貴子、おとしに田中美里、お秋に前田亜季の女優陣がそれぞれの持ち味を醸し出して好演。さらに久蔵の子分・浅吉の谷田歩がヤクザらしい佇まいで目を惹いた。
最後にモーツァルトのレクイエムが流れる贖罪や死生観を描いていてピンとこない若い観客もいたと思うが、日本人が潜在的に持つ義理・人情を丁寧に描写した時代劇に仕上がっていたと思う。
時代に沿った新しい時代劇もいいが、たまには本作のようなオーソドックスな作品も観てみたい。海外でも評価されるような新作を期待したい。

「新聞記者」(19・日)70点

2020-01-27 16:18:20 | 2016~(平成28~)

・フィクションの限界に挑む力作も、映画としての出来は?
東京新聞記者・望月衣塑子の原案をもとに河村光庸がプロデュースした意欲作。日本人の父と韓国人の母でNY育ちの若き記者・吉岡(シム・ウギョン)と、内閣府情報調査室のエリート官僚・杉原(松阪桃李)による官邸権力と報道メディアという立場とそれぞれの葛藤を描いた政治ドラマ。
「世界の民主主義と表現の自由のために」映画化したという河村プロデューサーの獅子奮迅の力作だが、映画としての面白みには今一歩の感は拭えない。
筆者は官房長官の天敵・望月記者をモデルとした物語を期待していたが、日本人女優のキャスティングはならずシム・ウギョンの起用となり人物像を変えざるをえなかった。そのため攻めの取材姿勢での丁々発止のヤリトリはなく、韓国の演技派としての本領発揮には至らなかった。
エリート官僚・杉原を演じた松坂は仕事と家庭の板挟みに悩む若者に扮してなかなかの好演で、出演したその勇気も含め称えたい。ネットで中傷記事を見かけたが、これも内情の仕業か!?気にすることはない。
時代劇の悪代官のような究極の汚れ役・上司多田の田中哲司は巧いがあまりにも類型的。<民主主義は形だけ公平であればいい>という台詞のために出ていたような気がした。
国家の情報操作、疑惑の大学誘致、官僚の飛び降り自殺、レイプ被害者記者会見など生々しい事件に政府が関与している事実を究明し、その政治の暗部を摘発しようとするジャーナリズムの地道な取材ぶりが描かれた緊迫感溢れるドラマを期待していた。
残念ながら内情の実態は想像の範囲でしかなく、<官邸権力と報道メディア>という劇中座談会シーンで望月記者本人、前川元文部次官、南彰氏、NYタイムズ日本支局長が出演しているのもフィクションとドキュメントの混同を招くテイストで違和感が拭えない。
さらに大学新設の真相が<生物兵器>というのも突飛過ぎて説得力に欠ける要因となってしまった。
「大統領の陰謀」(76)から「記者たち 衝撃と畏敬の真実」(19)に至るまで、新聞社や記者たちの<権力に対峙し暴いて行くという姿勢>を描いた一連のハリウッド映画と比較すると邦画の限界を感じざるを得ない。
さりながら、政治映画に無縁だった30代の藤井道人監督が精一杯頑張って政治やジャーナリズム本来の在り方を問題提起することによって、新聞を読まない若い人たちに政治への関心を呼ぶ作りに仕上がったことに成功し、興行的にも大成功した。
河村プロデューサーは「i 新聞記者ドキュメント」(森達也監督)を映画化している。筆者は未見だが本作で果たせなかった<表現の自由への追求>を描いた作品への期待を込めて機会があったら観てみたい。

「よこがお」(19・日/仏)80点

2020-01-23 12:11:11 | 2016~(平成28~)

・ある事件で無実の加害者となってしまった女性を主人公に、人間の多面性を描いたサスペンス風ドラマ。
「淵に立つ」(16)で強烈なインパクトを与えた深田晃司監督が再び筒井真理子を主演にしたオリジナル脚本。
ヒロインに扮した筒井は40代半ばの役柄だが、深田監督との出逢いでブレークした遅咲きの女優。筆者には第三舞台で<踊るポンポコリン>を踊っていた20代の舞台での記憶がまだ残っている。
深田監督は現在のリサと過去の市子を交錯させながら一人の女性を同時並行的に描いて人間の多面性を表現する手法をとっている。
「淵に立つ」では体重を13キロふやして時系列を体現した筒井だが、今回は髪型・服装・化粧などで訪問介護師の市子から謎めいた女性リサへの変貌を遂げて同一人物ながら別人の趣があり、まさに<よこがお>で人間の多面性を見事に具現化している。
訪問看護師として大石家から厚い信頼を受けていた市子。ニートだった長女基子(市川実日子)が看護師を目指し勉強をしているのを助け、次女の高校生サキ(小川未祐)にも慕われていた。
そのミサが行方不明となって事態は急変する。
事件は一週間で解決するが、容疑者逮捕で市子の身に起きた申し訳ないという気持ちが無実の加害者という立場に追い込まれる。
市子に憧れ以上の好意を持つ基子との秘密が成立し、それが思わぬ方向へ・・・。
出演した俳優は主要人物はもちろん脇役まで違和感なく本物感があってドラマに吸い込まれる。なかでも基子を演じた市川実日子が複雑な人間性を魅せ筒井とがっぷり四つの好演ぶりが目立った。現在・過去そして4年後のラストシーンまで複雑な時系列や、リサが<四足歩行>や美容師和道(池松壮亮)への接近など不可解な言動も回収してくれる。
監督はミラン・クンデラの「冗談」をヒントに、親しさ故のセクシュアリティなたわいもないないハナシが、思わぬ方向へ一人歩きするという不条理を市子と基子に置き換えている。
<ささやかな復讐>で独り相撲・滑稽な空回りを演じたリサは、車のクラクションで自らを吹っ切ろうとしていた。
ますます円熟味を増した筒井真理子とシニカルな人間を描くことに磨きが掛かった深田監督のコンビで次回作を期待したい。



 

「GIRL/ガール」(18・ベルギー)65点

2019-12-31 16:49:29 | 2016~(平成28~)

 ・ バレリーナの夢を追いかけ、美しくて痛々しい思春期を描いたドラマ。


 トランスジェンダーの主人公がバレリーナを目指し、本当の自分自身を生きる姿勢を描いた、ルーカス・ドン監督の長編デビュー作。カンヌ映画祭のカメラ・ドール(新人監督賞)を受賞した。

 バレリーナを目指す15歳のララ(ヴァンサン・ラコスト)は、父親マティス(アリエ・ワルトアルテ)の支えもあって難関のバレエ学校に転入する。
 見た目は可憐な少女のララだが、男性の身体のトランスジェンダーのため二次成長を抑制するためにホルモン療法を受けながらのポワント(トウシューズでつま先立ち)の猛特訓を繰り返す。

 映画化のきっかけは監督18歳のとき(09年)、バレエ学校の生徒ノラ・モンスクールが女子クラスへ編入を希望したことで問題となった体験談が新聞記事となったこと。以来9年掛かりで念願が叶ったという。
 ダルデンヌ兄弟を始めベルギーの自然主義的表現によって人間を描く監督がもうひとり誕生した。

 主人公ララを演じたのはロイヤル・バレエスクールのトップダンサー、ヴィクトル・ポルスター。バレエ学校の男性同級生役のオーディションに応募してきて監督の目にとまったという。
 演技未経験ながら透明感ある繊細な表情や揺れる思春期の心情を見事に表現していて、まさにララにぴったりの演技だった。わずか三ヶ月の特訓でポワントをこなすのは文字通り血の滲むような努力のタマモノだ。

 劇中、LGBT先進国ともいえるベルギーの様子が描かれている。18歳まで性適合手術は受けられないが医師とカウンセラーがつき適切な診断やアドバイスがされる。何よりタクシー運転手として働く父親の献身的な支えは並大抵ではない。ララの16歳の誕生日に呼んだ親戚も理解がある。

 学校ではロッカー共有の賛否を挙手で問う先生の言動には驚かされた。バストにパット、股間にテーピングしてシャワーも浴びず文字通り血の滲む努力は実を結び舞台に立てるようになるが、クラスメイトの嫉妬や嫌がらせも・・・。

 カウンセラーや父から恋の勧めもある。ララにも好意を持ったクラスメイトの男子がいたが、結果は自分への嫌悪感が・・・。

 冒頭ピアスをしたララを注意した父にもう遅いというシーンがあるが、もっと衝撃的な自傷行為が終盤にある。自分で救急車を呼んだので手遅れにならないで良かった!

 否定的な評価も観られる。多くは監督・主演がシスジェンダー(性同一人)で外見に固執している。自傷行為をドラマティックに見せるためだけで、トランスジェンダーを本当に理解していないというもの。

 舌足らずの部分はあるものの、髪を切って颯爽と歩く続けるララのラストシーンは思春期の迷いを脱し女性らしく生きようとする女性の姿があった。

 

 


「アマンダと僕」(18・仏)70点

2019-12-29 13:16:20 | 2016~(平成28~)

 ・ パリの日常を描写した王道のヒューマンドラマ。


 突然の悲劇から姉を失った青年と母親を亡くした少女の互いに成長していくプロセスを描いて東京国際映画際グランプリと最優秀脚本賞を受賞したヒューマン・ドラマ。監督・脚本は長編三作目のミカエル・アース。

 パリで暮らす24歳のダヴィッド(ヴァンサン・ラコスト)は、ピアニストのレナ(ステイシー・マーティン)と知り合い幸せなときを過ごしている。しかし、突然テロ事件に巻き込まれた仲の良い姉・サンドリーヌ(オフェリア・コルブ)が7歳の一人娘アマンダ(イゾール・ミュルトリエ)を残し亡くなってしまった。
 
 突然親を亡くしたアマンダと保護者となったダヴィッドのふたり。触れ合ううちに徐々に距離を縮めて喪失の悼み・怒り憎しみを超えていく。

 難解で観客に結論を委ねるフランス映画という先入観を裏切る、優しい眼差しが全体に伝わる演出だ。パリ11区に住んでいた監督はパリの市井の人々の暮らしぶりをリアルに捉えながら、感情過多にならないよう節度あるストーリー展開に終始している。
 そのため同時多発テロやイスラム系住民への偏見などパリが抱えている社会問題は背景として描くにトドメ、二人を取り巻く人々も優しい人たちばかり。

 16ミリフィルムで撮影した映像が初夏のパリの街並みを美し捉え、自転車で疾走するダヴィッドたちが印象的。

 ダヴィッドに扮したV・ラコストはコメディでブレークした若手俳優で本作で新ジャンルに挑戦した。その戸惑いが少女の親代わりになる重荷を背負った青年役にフィットしたようだ。

 アマンダのI・ミュルトリエが可愛い。監督がスカウトした新人で演技経験がない分自然な振る舞いが、ちょっぴりオシャマな少女そのもの。泣き笑いのできる演技力は天性のものだろう。

 サンドリーヌが残したウィンブルドンへのチケットは20年ぶりの母・アリソン(グレタ・スカツキ)との再会でもあった。

 「エルヴィスは建物を出た」(もう望みはない。勝ち目はない。)という言葉がキイワードとなった再生の物語は、予定調和ながら静かな感動を呼ぶエンディングで幕を閉じる。

 年を取ってから涙もろくなった筆者だが、感動の涙を流す筈が泣けなくなった自分がいる。これも衰えの証拠なのだろうか?

 

「COLD WAR あの歌、2つの心」(18・ポーランド/ 英/仏)85点

2019-12-25 16:19:07 | 2016~(平成28~)

 ・ モノクロ・スタンダード画面で描かれた究極のラブ・ストーリー。


 「イーダ」(13)のパヴェヴ・パヴリコフスキ監督5年ぶりの作品で、「万引き家族」とパルムドールを争った。カンヌで監督賞を受賞している。冷戦下のポーランドで出会った男女が、時代に引き裂かれながら惹かれ合い、失意の別れを繰り返す15年間を描いた88分。全編モノクロでスタンダード画面ならではの時代感覚が表現された傑作だ。

 監督は両親をヒントに映画化したというが、ストーリーそのものはオリジナル。

 49年共産圏時代のポーランド。
 地方の民謡を舞台で披露する音楽舞踏学校<マズレク>の音楽監督・ピアニストのヴィクトル(トマシュ・コット)は、入団テストに応募した田舎娘ズーラ(ヨアンナ・クリーク)に一目惚れ、ふたりは恋におちる。
 時代は政府の監視でスターリン賛歌のプロパガンダ色の強いものとなって行き、ヴィクトルはズーラとともに逃亡を謀ろうとする。
 ベルリン、ユーゴスラビア、パリを舞台に別離と再会を繰り返しながら、祖国ポーランドで腐れ縁ともいえる恋を完結する15年間を情熱的に描いている。

  ウカシュ・ジャルによる光と影のコントラストによって奥行きがある美しいモノクロ画面が、時代に翻弄される二人を追っていく。ストーリーと音楽が絶えずリンクして行く映像は秀逸で目が離せない。
 
 テーマとなった<2つの心>は原曲ポーランドの民謡からジャズが流れるパリのクラブでアレンジされるなど、時と場所が変遷するたびに二人の関係が変化していく様が描かれる。
 省略されたストーリーの余韻を感じさせるカット代わりと音楽の巧みな構成は、観客を魅了して止まない。
 
 ファムファタール、ズーラを演じたヨアンナ・クーリクは’82年生まれだが、田舎娘から成長した大人の女まで幅広い年齢層をごく自然に振る舞い、ヴィクトルを惹きつけて止まない魅力ある情熱的な役柄を見事に演じている。

 自由な社会に浸った男がやつれ、束縛のなか自分のスタンスを守っていた女が輝いて行く情熱的なラヴ・ストーリーは、プロローグで現れた廃墟となった教会でモノローグとなる。

 「ここから連れ出して」というズーラが二人の究極の愛を締めくくる15年間は、ポーランドにとっても激動の時代でもあった。14歳で母に連れられロンドンへ渡った監督にとって、祖国と両親への愛を込めた作品だった。

 

 

 

「ワイルドライフ」(18・米)75点

2019-12-16 12:40:04 | 2016~(平成28~)


 ・ 静謐な映像で自身の心情を投影したP・ダノ初監督作品の家族ドラマ。


 90年に発表したリチャード・フォードの同名小説をポール・ダノがパートナーでもあるゾーイ・カザンとともに脚本化して監督デビューした。

 60年代のモンタナを舞台に父親の失業をキッカケに、幸せな一家が崩壊して行くさまを14歳の一人息子の視点で描いた家族の物語。

 個性派俳優として「リトル・ミス・サンシャイン」を始め様々な役柄を演じてきたP・ダノ。35歳にして自身の体験を投影するような原作に惚れ込み映画化に挑戦した。

 元教師で働けるのに60年代の主婦像である専業主婦を務めながらも経済的不安から夫についていくジレンマが爆発、心の隙間を埋めるような行動に走る母・ジャネット(チャーリー・マリガン)。

 一家を支えるためプライドを貫こうとしながらも何をやってもうまく行かず、山火事を食い止める危険な仕事場に出稼ぎに出ることで現実逃避してしまう父・ジェリー(ジェイク・ギレンホール)。

 両親を愛していながらバラバラになっていく様をどうしようもなく、戸惑いながらも少しずつ成長していく息子・ジョー(エド・オクセンボールド)。

 なかでもC・マリガンが決して共感を得られそうもない生身の女性に扮し、オードリーの再来といわれたデビュー当時とは一皮むけた演技で目を惹いた。今とは違って当時の30代半ばは中年で、若かった時代を懐かしく焦りが生じる頃。夫が若かったころとは違い頼りない男だと思ったとき、全てを捨て再スタートしようとする変貌ぶりが哀しく痛々しい。

 J・ギレンホールは若手演技派俳優として大活躍中で、本作では理想的な父親を目指しながら挫折、プライドだけは失いたくないという男を演じている。
 今まで普通の男に扮したのをあまり観たことがなく、途中登場しないときでも再登場したらまるっきり違う風貌でいつ本性を現すのだろうか?と不安を抱きながら観ていた。妻の浮気を知ったときその片鱗が窺えたが、思ったよりまともでほっとする。

 ジョーに扮したE・オクセンボールドは事実上本作の主演。大人を向こうに回して一歩もひけを取らない好演で、将来が楽しみ。

 脇役では、車のディーラーでジャネットの浮気相手に扮したビル・キャンプが、金の力を誇示する如何にも女好きな初老の男を演じて存在感を示していた。

 何と言っても将来大監督となる期待充分なP・ダノの妥協のない監督ぶりが印象的。壮大で美しいがときに寒々しい原野風景や、それぞれの心情に沿った静謐な映像で一連のハリウッド作品とは一線を画した丁寧さに好感を持った。

「洗骨」(18・日)70点

2019-12-04 12:31:11 | 2016~(平成28~)

・ 沖縄の離島に残る因習から家族と自分を見つめるヒューマン・ドラマ。


 沖縄出身のガレッジセール・ゴリこと照屋年之の脚本・監督による長編二作目。「洗骨」という古い風習が残る沖縄の離島・粟国島を舞台に、離れかけていた家族としての心情を取り戻していく様子をときにはユーモラスにそして厳粛に描いている。
 妻を亡くした夫に奥田瑛二、長男・剛に筒井道隆、長女・優子に水崎綾女が扮している。

 葬儀をテーマにした邦画は、伊丹十三監督作品「お葬式」やオスカー外国語映画賞受賞作品「おみおくり」があるが、本作はそれをミックスした作品だろうか?

 日本では火葬が全てという認識があったが、この島では風葬があって4年後死者の骨を荒い個人への感謝を表すという「洗骨」の儀式が残っているという。

 プロローグは亡くなった女性の棺を真俯瞰で捉えた厳粛なシーン。女性は信綱(奥田瑛二)の妻・恵美子(筒井真理子)だった。東京の大企業に勤める剛一家と名古屋で美容師として働く優子(水崎綾女)が帰郷していた。悲しみに暮れるなかユーモラスなオチでカットとなる。

 そして4年後信綱は酒に溺れ引き籠もり状態、剛は一人で帰郷、優子は大きなお腹で戻ってきた・・・。

 沖縄ならではの青い海と空、三線の音が流れるなか大らかな人情溢れる村の暮らしで繰り広げられる、離ればなれになった家族再生をユーモアを随所に交えながら描いていく。

 お笑いタレントの監督らしく暗くなりがちなシーンにも必ず笑いを取ろうとする姿勢はときには行き過ぎ感はあるものの、「洗骨」という因習を丁寧に描くことでバランスの良いドラマに仕上がっている。

 自制心を失い酒に溺れる父を演じた奥田が受けの演技で好演し、その姉に扮した大島蓉子が仕切り役として本作をリードしていてまるで地元民のよう。

 中盤登場した美容院店長役の鈴木Q太郎が、如何にもコメディリリーフ的な笑いで違和感があったが、知らない土地の文化に触れた戸惑いを観客目線で補完する役割りを担ったものだろう。

 情けない男たちと逞しい女たちが登場する本作だが、監督はスクー網魚のシーンで男たちに救いの手を差し伸べる。意地悪だった地元民も終盤でフォローするなど思いやりも欠かさない。

 ナレーションで洗骨のコンセプトを伝えるなど至れり尽くせりなのが気になったが、エンディングに流れる「童神」がこの作品のオリジナル曲にように余韻を醸し出す良作だった。

「長いお別れ」(19・日)75点

2019-11-28 16:19:05 | 2016~(平成28~)

・ 認知症の父とその家族の7年間を描いたヒューマン・ドラマ。


 中島京子の同名小説を、家族をモチーフにしたドラマに定評があり「湯を沸かすほどの熱い愛」(16)でブレイクした中野量太監督が大野俊哉との共同脚本で演出。
父を山﨑努、長女・竹内結子、次女・蒼井優、母・松原智恵子という豪華キャストによる家族構成で繰り広げられる7年間をエピソードを交えて描いている。

 遊園地で幼い姉妹が回転木馬に乗れず困っているところへ、傘を持った老人が現れタイトルとなるプロローグ。タイトルは認知症のことをアメリカでは「Long Goodbye」と言われることで、現れた老人は東昇平(山﨑努)だった。

 ’07年、郊外の瀟洒な住まいで昇平の妻・曜子(松原智恵子)が夫の転勤でカリフォルニアにいる長女・麻里と惣菜店に勤める芙美に父の誕生祝いに戻って欲しいと電話するシーンから始まる。
 父の70歳の誕生日は認知症を発症していることを告げる日となった。

 物語は09年夏、11年夏、13年の秋・冬の4構成で、ゆっくりと記憶を失っていく父とふたりの娘の悩み多き歩みを丁寧に描いて行く。それぞれの世代が我がことのように思えるリアルな設定だが、もし我が身になってみると現実はこんなきれい事ではスマナイと思うのでは?

 監督はそれを承知の上、だからこそときに笑いを誘うシーンをエピソードごとに入れ、帰る場所のある家族の大切さを気づかせてくれる物語として作り上げている。

 併せて我が家にいても「帰る」という父を、家族を愛おしく思うというプロローグの回収により人間の尊厳について訴えているようだ。

 名優・山﨑努の成り切り演技は勿論のこと、俳優陣は宛て書きではないかと思うほど見事なキャスティング。なかでも松原智恵子はチャーミングな年の取り方で真面目で厳格な夫を支える育ちの良い専業主婦を好演。<ごきげんよう>の挨拶が似合う女優は八千草薫亡き後彼女が唯一無二の存在だ。

 残された人間がそれぞれどう生きるか?がテーマでもある本作は、アメリカで引き籠もりの崇(杉田雷麟)の人生にも少なからず引き継がれることを願いたい。
 

 

「芳華 ーyouthー」(17・中)70点

2019-11-24 13:08:14 | 2016~(平成28~)

 ・激動の70年代、中国文芸工作団で青春時代を過ごした若者たちの近代史。


 毛沢東時代の中国で、歌や踊りで兵士たちを慰労・鼓舞する歌劇団・文工団で過ごした若者たちを描いた青春群像。文工団に所属していた名匠フォン・シャオカン監督が同じく団員だったゲリン・ヤンの原作・脚本により念願の映画化。<4000万人が涙した>というキャッチフレーズのとおり本国で大ヒットした。

 物語はゲリン・ヤンがモデルと思われるシャオ・スイツの追想による語りで進行していく。

 1976年、17歳のホウ・シャオピン(ミャオ・ミャオ)が踊りの才能を見込まれ文工団に入団する。シャワーを毎日浴びることができる喜びを味わう貧しい家の可憐な少女は、先輩たちのイジメもアリながら親身になってくれる舞台制作係のリュウ・フォン(ホアン・シュアン)に密かに憧れていた。
 毛沢東の死、文化革命の終焉という時代が大きく変わろうとする中、若い団員たちも多大な影響を被ることに・・・。

 前半はシャオピンとフォンの愛の物語を軸に、踊りの花形スイツ、歌姫ディンディン、寮長で司会とアコーディオンのシューウェンの女性たち、それに幹部の息子でトランペットのツァンらの青春の日々が描かれる。
 シャオカン監督は、リアル感を大切にしながら懐かしさと映画としての美しさを優先し、同時代を過ごした観客に郷愁を誘う作りに徹している。

 筆者にはチャンツイイを彷彿させる三つ編みのシャオピン以外識別がつきにくい状態でありながら、どんな環境であっても若い頃はみな同じだなという気持ちで観ていた。

 ところが、79年に起きた中越戦争となった途端、6分間ノーカットの戦闘や野戦病院の生々しいシーンとなり趣きが一変する。わずか一ヶ月の戦いは何故起きどのような結果だったかは描かれないのが残念だが、フォンとシャオピンが不幸な結果となることで、如何に理不尽な戦争だったかは充分伝わってくる。
解団公演で戦争の英雄となったシャオピンが月明かりで踊るシーンが秀逸だ。
 
 その後<’91>青年期となったリウ・フォンとシューエン、スイツの再会で境遇の違いを知り涙を誘う再会があって、その4年後に本作のエンディングを迎える。

 中国の名監督といえばチャン・イーモウだが、「戦場のレクイエム」(07)、「唐山大地震」(10)とヒット作を生んだシャオカン監督。
カットされたシーンもあったのでは?と思わせる制約の多いこの国で、もどかしいこともアリながら許される極限までの表現に挑戦したことで、中国映画史に残る監督として名を残すことになるだろう。