The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

日本国再生に向けての第一歩

2010-01-17 08:00:10 | Weblog
政治と金問題は、今こそ、断絶するために政党や役職など関係なく疑惑議員については徹底追求していく。時間が立てば、澱も溜まる。掃除が必要だろう。
思想だけで生きている訳じゃなく、宗教だろうが思想だろうが、必ずそこには金が

土台を支えている。それを不公平なく金が儲かるように定めているのが法。
宗教法人についての課税を進めるのも神社、仏閣のような組織ではなく、宗教法人という形態を保ちながら儲けているような団体の監視の意味だ。
また、外国人団体についても組織として大量な金が集まるなら監視が必要となる。
その監視方法として税がある。
世の中、金次第とは、金があれば人も組織も操れるという意味だ。

日本が誰もが平等という社会を目指すなら、移民政策においても在日朝鮮韓国人への待遇を一般永住許可を持つ外国人と同等にする。また、違法滞在者については、その時々において判断を違えないように法的処分を優先する。
反面、難民受け入れには積極的な策として、例えば言語や日本の習慣を教育し、自立するまでを期間限定とし、生活を保障するなど、しっかりを計画する。
永住許可との違いは、永住許可は、ポイント制にするなら、そのポイントを明確にする。例えば、日本語能力検定にしても国家として基準になる試験がないに等しい。義務教育終了レベルの国語というが、実際にその能力だけで生活、かつ仕事で使えるレベルなのか? 
高等教育にしても、特定国だけ優遇するのもやめて欲しいね。どの国、どの言語であろうが、基準は同じにしない限り、日本国にとって役立つ人材が育つ訳じゃない。別な言い方をすれば他国に役立つ人材を育てる義理は日本国にない。もし、他国のために人材を育てるというなら、外国人への支援金として予算にODAも含めて計上すればいいだけだ。金をばら撒いたところで本当の支援にならない。

リーダシップとは、口だけではなく、実際に行動しているかどうかで判断する。
民主党のように国税で給与をもらいながら、自党のために選挙運動しかしない国会議員を国民は許してはいけないと思う。選挙とは別に日常の国会議員の監視として、審議や委員会の出欠、活動記録のような成果がわかるような仕組みは必須だろう。そうでなければ単に数だけで存在している議員ばかりになっていく。
だから、一部の議員に操作されるような現象が発生する。政党というカテゴリーを分けたグループもいいが、その所属グループで目指す方向性が疎外されるなら、政党政治が最適かどうか、問われる時期だろう。
そういった意味では民主主義の欠陥ともいえる数の理論が問題化しただけだと思う。選択する側は、何を基準で政党を選択しているのか。

義務教育で日本の政治なんてまじめに教えてないからなぁ。せいぜい、仕組みで終わってしまう。本来なら既存政党とその掲げる方針ぐらい学んで欲しいけどね。政党の違いを明確に説明できる日本国民はどれだけいるんだろうか?
自分ですら、よくわからない点がたくさんある。だから選挙時の政策だけで選択したところで基本的な方針が違えば、未来への道だって違ってくるはずなんだけどね。例えば社会保障にしても適用範囲を広げるのはいいが、原資はどうするのか、そこから考えていくのに「技術開発費」を削減して、当面は社会保障を重視するのか。経済が安定したら増税で国債の借金を返済するのか。これは地方行政も同じだろう。そうなると日本国という国益を考えた上で地方行政だって予算編成が必須になる。長期ビジョンを持たない考え方では、借金すらできない。
借金をするってことは、返済が必須。そうなれば、いつ、どうやって返済を完了させるのか、そういった長期に渡る計画が作成できなければ駄目ってことあ。
勿論、その間に緊急出費はあるだろう。そういったリスクをどうれだけ見積もれるか。戦争だって金がなければできない。また災害も同じ。さて、こういった点を考えると自分の国に責任を持てない人が自分たちの生活のためという理由だけで政治に参加できると言い切れないだろう。外国人に取って、日本国とはどういった価値を持つ存在なのか? もし、生活を改善するため、外国人の権利を守るために意見を反映させたいなら、別に政治の選挙でなくてもいいはず。
日本国が特定国のために貢献する必要はまったくない。外交上必要なら、それは政治で決めるものであり、日本国民の一部がいくら望んでも日本国の国益にならないなら実施する意味はない。そもそも外国人参選権という定義が明確じゃない。在日朝鮮韓国人のための選挙権と言い直して欲しいね。そういった差別的な権利は大反対だ。だから名称も勘違いしやすいよう言い方をする。

他国の文化を日本国内で紹介したり、自分たちで懐かしむのはいい。しかし、それによって日本国を非難できる環境ってどれだけ自由で平等か認識して欲しい。
本来これも改めるべきな内容なんだけどね。共生とはお互いに敬意を持つのが前提であり、一方的にどちらかが非難されたり卑下される関係では成立できない。
日本が外国人や移民を受け入れるなら、外国人や移民側としても日本国や日本国民に対して敬意を持てないならうまくいく訳もない。立場が違うって認識して欲しいね。これは差別ではなく、背負う組織や責任が違うのだから、これを平等にするためには帰化してもらうしかない。地球上で無国籍なままで生活できる地域はない。この事実を認識してないから、外国人も移民も日本国民も平等って簡単に言い切れるんだろう。日本国民が日本国を失えば、無国籍になる。
かつてイスラエルが土地を失い、さまよった。それでも民族と宗教で土地を得るまで維持してきた。日本国民も同じようにさ迷うとして、一体何が日本というアイデンティティーを支えてくれるんだろうか? 言語か? すでに民族としても混血状態だしなぁ。

日本沈没というSF小説がテーマとしたのが日本人というアイデンティティ。
続編でも他国で生活する元日本人とか、SFと笑えないぐらい現実に近づいているような恐怖がある。米国や豪州は開拓という目的のために人種が違ってもまとまることができる。しかし、日本のように開拓する場所も産業もないとなれば、一体移民国を目指した場合、何を目的としてまとまれるんだろうか?
経済成長か? そうなると安い労働力で製品を世界に売るとうい従来の方法しかない。今回経済危機にあって、この方法がいかに強くないか実感したよな。
また、価格競争のために安い、品質も劣化した製品を作っていくことが本当に技術を売るという目的を支えていけるんだろうか?
大量消費から環境保護へシフトしていく今、従来の製品サイクルでは駄目だ。
そういった意味では産業界の開発人材も斬新するしかない。

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