The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

公序良俗に反する行為は憲法が定めた自由の範囲ではない

2015-02-09 06:39:17 | Weblog
メディア、有識者、政治家と昨今の言動には、公序良俗という認識がないようだ。テロ組織への情報提供となるような言動ですら、平然としている社会は、まさにテロが目指す攻撃対象には最適だ。つまり手rの目的とは、目標の社会の政治および社会秩序の崩壊。そうなれば、賛同者が増えるのだから、それだけでも十分に効果はある。

何故、今頃になって人質交渉だとか、関与する国、組織などの情報を公表するのか。こういった状況で危険に瀕する人も出てくる。また、今後の対策にも影響が出る。しかs、日本のメディアやジャーナリストはあちこちから情報をかき集め、日本がどういった動きをしたのかを丸裸にして、テロ組織に知らせたいようだ。政府はこういった情報を管理できないようで、ひたすら垂れ流す状況を放置している。法的に制御できないのなら、制御するための法律を作らないと、今後のテロ組織による被害がでたらどうするつもりなのか。いったい、何のための機密保護で、NSCだったのか。こういった反省をできるだけ非公開で委員会なりのレベルで議論し、改善するのが先だろう。

悪いが過去はよい。むしろ、今後の起こるべき事象に対して、どういった動きを日本ができるかが重要だ。未だに公安から漏えいした情報提供者情報の犯人は不明だ。どうもこういった危機感がないようで、政権交代したにも関わらず、調査されてないのか、調査中なのかも不明だ。日本国民が不安に感じるのは、人質になって政府が身代金を払わないことではない。過去の日本に存在した世界的なテロリストがまだ逮捕されてない事実がある。拷問はいけないとか、強制自白はいけなとか、ばかり騒ぐが、こういったテロリストが新たに現代のテロ組織に関与してる可能性を考えるのなら、時効を無効にしても捜査するのが当然だろう。テロに時効はなくす。せめて、法改正で実現してほしい。

メディア統制は、メディアによる公序良俗に反する過度な記事にしたいしては、制限できるのも必要だ。
たぶん、表現の自由は、公序良俗に反さない範囲での憲法が保証となる点を誰もが忘れている。
議論をするのなら、どういった態度が公序良俗に反するのか、それこそ訴訟しても争う価値はある。
渡航制限の地域への出国に関して、本人の生命が危険なため、国が旅券を没収する、というのは外国でもある。逆に本人がテロリストに協力する可能性が残されているのなら、なおさら出国を阻止しないと、日本はテロ支援国になってしまう。こちらの方が危険度は格段にあがる。

ひとつには、メディアが過度に人質になった人について、取り上げすぎる。法律に反した行動をした、つまり公序良俗に反する行為を犯した人を英雄にしてはいけない。過去の実績は評価されてもよいが、直接の原因となった危険地帯への侵入については、決してほめてはいけない。そうしないと、マネする人が出てくるからだ。逆に法律やルールを冒してまで得た成果であるなら、それを評価するには慎重にならなければいけない。命をかけたから価値がある情報というのは、誰もが命を捨てないと、いけないような土壌を産む出すからだ。

ふたつめは、どんな理由があろうが、テロ組織と直接交渉する担当者は個人や私的組織の範囲ではコンタクトしてはいけない。日本にはこういった法律はないのだろうか。テロ組織との交渉には金もかかるし、武力部隊の背景も必須だ。これがなくて、話し合いだけで済むようなテロ組織や集団などない。
みっつめは、関連情報は事件が収まるまでは情報を公開を凍結する。

これぐらいやらないと、テロとの戦いに勝てるとは思えない。ネット情報の情報についても、日本の警察で対処できるのか、という不安もある。だからこそ、安全保障上の同盟国とは、こういった情報交換、技術熟練のために相互協力を頻繁にやる必要はある。ハッカーでなくても、情報操作による社会不安は簡単でコストもかからない。せめて、これぐらいは即対応して頂きたい。
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