The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

違法ダウンロードばかりではなく公共にアップロードするコンテンツの制限をすればいい

2012-06-19 20:23:13 | Weblog
音質にこだわらないレベルの音楽、つまり見ないとつまらないような音楽なら誰もCDなど購入しない。サビだけ聞いていればいい、というなら別に高いCDや合法なダウンロードで楽曲は購入しない。しかし、音を楽しめる価値があるなら合法ダウンロードでももっと音質がよいコンテンツを売ればいい。
たった一曲のためにCDを買わなければいけない理不尽さは消費者を嘗めている。
こういった議論もなくただ違法ダウンロードには実刑ってのは、消費税増税と同じで誰かしら利益を得るために必死としか思えない。

動画も質を求めるなら、コンテンツだけではなく再生でバイスにも金がかかる。それだけ金を投じても鑑賞したいと思わせるコンテンツがないから誰も買わないだけだ。日本のラジオがくだらない会話ばかりだから誰聞かなくなった。海外のように会話はほとんどなく、音楽を何時間もぶっとうし放送するぐらいなら、きっと誰もがラジオで新しい曲や既存でも自分が聞いたことがない曲に触れる機会が増える。ところがドラマ、CMでしか耳にしないような曲のためにどうしてCDという難局も収録したメディアを購入しなければいけないのか。

cloudを使ったairのようにいろんな曲にコストがかからないで耳にできる機会を増やすことは、音楽家がたくさん出て来れる土壌を作る。目で楽しむのは音楽ではなく芸能だ。むしろそういったコンテンツにはvideoDVDとかCDとかしか競争力はないと思う。しかし、MTVのように大量な海外のコンテンツと肩を並べるだけの目でも楽しめるコンテンツが日本にどれだけ存在するんだろうか。
著作権は必要だが、小さい楽団や劇団が演奏するだけで膨大な著作料をふんだくる仕組みに疑問を持たないのがおかしい。かつてクラッシックの演奏にまで金を払えと著作権団体はわめいた。賛美歌のようにクリスマスを含めた行事に演奏する楽曲にまで金がかかるってのはどこかおかしい。
厳密に言えば、鼻歌を歌うだけで著作料が発生するのだからだ。

演劇などの芸能に著作料を主張したら、本当に日本文化の芸能が保護されるんだろうか。

例えば、音楽はモノラルしかネット上ではアップロードできないとすれば、音質が良いCDが売れるだけのコンテンツがどれだけあるんだろうか。
画質が携帯プレイヤーで見れるレベルだとして、BDやDVDを購入するだけの価値があるコンテンツがどれだけあるんだろうか。
むしろ、著作料を財源として、日本の古典文化を保護するというならまだ筋も通りそうだが、結果として演奏者や演じる人の収入が上がる訳でもない。
ならば一体誰が利益を得るんだろうか。これを既得権益と言わないでなんと言う。

こんなことよりもっと日本古来からの文化である芸能や楽曲を広めようって考えない役所は駄目だと思う。
コメント
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