長いお別れ 中島京子(著)2015年5月発行
なんとも後味のいい小説♪
認知症の家長と家族の話、らしいので、多少覚悟して読み始めたのですが、
娘達の心情に共感したり、一生懸命介護する母親に尊敬の念を抱いたり、
ユーモラスな場面や会話にクスッと笑ったり、、、
途中、病状の悪化でシリアスな状況もあるのですが、
決して暗くなったり重くなりすぎず、
清々しい気分のまま読み終える事ができました。
表現方法が決して派手ではなく地味に絶妙で上手いんですね~。
ともすると、陰鬱になりがちなテーマを、こんな風に読ませるとは、、、
素敵です。
登場人物は、中学の校長を退職した夫、三人の娘を育て家庭を守ってきた妻、
今は結婚し家を離れ子育てに奮闘中の長女と次女、自活し仕事に多忙な三女。
ある日、同窓会に出かけたはずの夫が、会場に辿り着けず自宅に戻ってくる。
夫の行動に不安を抱いた妻のすすめで、「ものわすれ外来」を受診したところ、
アルツハイマー型認知症と診断され、それから夫の病状が徐々に悪化していき、
夫を支えようと介護する妻の奮闘、父と母の介護をめぐり姉妹の葛藤の日々が
きめ細やかに、それぞれの環境と心情とともに描かれている。
個人的に、父の最期の数年間を思い出させられ、その時の自分の行動や家族の
対応を振り返ったりしながら読みました。
また、高齢の実母のこれからを考えたり想定したりも。
認知症への対応は、家族にとって、なかなか難しく大変なこと。
でも、最期の方で、妻が認知症の夫についての思いを描いた箇所には
長年連れ添った夫婦の真実を感じその絆に感動。
―
夫がわたしのことを忘れるですって?
ええ。ええ、忘れてますとも。わたしが誰だかなんてまっさきに忘れてしまいましたよ。
その「忘れる」という言葉には、どんな意味がこめられているのだろう。
夫は妻の名前を忘れた。結婚記念日も、三人の娘をいっしょに育てたこともどうやら
忘れた。二十年前に二人が初めて買い、それ以来暮らし続けている住所も、それが
自分の家であることも忘れた。妻という言葉も、家族、という言葉も忘れてしまった。
それでも夫は妻が近くにいないと不安そうに探す。不愉快なことがあれば、目で訴えてくる。
何が変わってしまったというのだろう。言葉は失われた。記憶も。知性の大部分も。
けれど、長い結婚生活の中で二人の間に常に、あるときは強く、あるときはさほど強くも
なかったかもしれないけども、たしかに存在した何かと同じものでもって、夫と妻は
コミュニケーションを保っているのだ。
幸いだったのは、夫の感情を司る脳の機能が、記憶や言語を使うための機能に比べて、
損なわれなかったことだろう。ときおり、意のままいならないことにいら立って、
人を突き飛ばしたり大きな声を出したりすることはあるけれど、そこにはいつも何らか
の理由があるし、笑顔が消え失せたわけではない。この人が何かを忘れてしまったから
といって、この人以外の何者かに変わってしまったわけではない。
ええ、夫はわたしのことを忘れてしまいましたとも。で、それが何か?
―
著者の作品は、以前に『かたづの!』を読んだのみで、
それも時代背景と特にテーマがユニークで、とても面白かったのですが、
本書はそれとは全く違う現代を背景にリアルな今のテーマをもとに、
じっくり読ませてくれる小説です。
誰が読んでも、それぞれが共感する部分に出会える小説ではないか、
と思うのですが。
これもまたお薦めしたい一冊。
わがまま母