ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

セリーグの開幕強硬意見は 読売新聞渡邊オーナーの政府いじめの一環

2011年03月23日 | 時事問題
asahi.com 2011年3月22日20時35分
セの29日開幕、蓮舫担当相ら難色 24日に再協議へ
 東日本大震災を受け、プロ野球セ・リーグが公式戦開幕を4日だけ延期して29日と決めたことについて蓮舫・節電啓発担当相は22日、「(パ・リーグと同じ4月12日を求める)選手会の考えをくみ取っていない」と再考を求めた。セは24日の臨時理事会で対応を協議する。26日には12球団オーナー会議を開いて事態収拾にあたることになった。

asahi.com 2011年3月22日20時36分
「開幕はお上が決めることじゃない」巨人滝鼻オーナー
 蓮舫担当相がセ・リーグの29日開幕の見直しを求めたことについて、巨人の滝鼻卓雄オーナーは22日、「開幕はお上(政府)が決めることじゃない。節電に協力しろということでしょう」と不快感を示した。

とかく政局に顔を出したがる渡邊オーナーの、自民党の意向を受けた菅政権揺さぶりと見るべきでしょうね。国民の苦しみをよそに、一人よがりな主張は自民党の墓穴を掘るようなものです。石原都知事、渡邊といった自民党保守派の頑固爺めら早くくたばれ!

23日午前8時の茨城県の空間線量率データー(平常値は30-50nGy/h)

東海村石神    530nGy/h   風北東  3.4m/s
水戸市吉沢    278      北北東  2.1
今朝は雨がやんで線量値はだいぶ下がってきました。

読書ノート ぺートル・ベックマン著 「πの歴史」 ちくま学芸文庫

2011年03月23日 | 書評
円周率πの歴史から数学の幅広い展開へ 第9回

2)円周率に偉大な足跡を残した人々
2.3) アルキメデスの多角形法

シラクサのアルキメデス(BC287-212)は浮力で比重を計り金の合金を判定したというエピソードで知られている、アレクサンドリアのユークリッドに学んだといわれる科学的な物理学者の父であった。彼の科学的知識は戦争機械の技術的問題を解決し大いにローマ軍を悩ましたといわれる。最も重要な著書は1906年に発見された「方法」(近代科学を開いたデカルトの「方法論序説」に匹敵する)である。限りなく近づけるという意味で微分・積分法のすぐそばまで来ていた。彼は望みの精度でπを計算する方法「内接する正n角形の周囲の長さは円周より長く、外接する正n角形の周囲の長さは円周より短い」という事実に基づき、nを十分大きくとることで、両者は円周に限りなく近づくだろう。アルキメデスは正96角形に到達した。それによりπの小数点以下の精度は2桁を得た。アルキメデスの方法は極めて簡単でこれが長い間πを求める出発点となった。17世紀中頃にはホイエンスの円弧法にとって替わられた。後の人がやったことは、3角関数の計算に無限級数を用いて収束を速め、数値計算を可能にする公式を工夫したことである。
(つづく)

文藝散歩 坪内稔典著 「正岡子規ー言葉と生きる」 岩波新書

2011年03月23日 | 書評
言葉に生きた明治の群像 子規評伝 第11回

5)仰臥時代(明治35年まで) (2)

 病気がいよいよ進展してくると、子規は自殺の誘惑に駆られた。「仰臥漫録」には食事拒否、小刀と錐をじっと見つめる子規には鬼気迫るものがある。34年11月6日ロンドンの漱石に宛てた手紙には「僕はモーダメニアンッテシマッタ、毎日訳モナク号泣シテイルヨウナ次第ダ・・・実ハ僕ハ生キテイルノガ苦シイノダ。」と書いた。この頃はモルヒネで痛みをこらえていた。明治35年5月から新聞「日本」に「病床六尺」を連載した。これには虚子が口述筆記した。「仰臥漫録」の時以来もう自分では筆も持てないのであった。「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広すぎるのである。・・・甚だしいときは苦痛に苦しめられて五分も1寸も体の動けないことがある。・・・苦痛、煩悶、号泣、麻酔、僅かに一條の活路を死路に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ・・・」このあたりは想像を絶する。そして一転して話が土佐の水産学校の校長の徳育に飛ぶのである。いかにも子規らしい躍動する話しぶりである。子規は宮沢賢治のように「そういう人に自分はなりたい」と思うのである。35年8月6日の「病床六尺」に「草花の一枝を枕元において、それを正直に写生していると、造化の秘密が段々分ってくるような気がする」という。このころにはモルヒネを飲んでから写生をやるのが、何よりの楽しみとなっていた。そして「草花帖」を残した。漱石は、子規は拙がない男で才ばかりが目立ったが、草花の絵には拙があるという。ただ絵が淋しいと付け加えた。「病床六尺」は死の2日前まで新聞に出た。「9月14日の朝」は虚子が口述筆記したのだが、殆ど病状を感じないまで体力はなくなっていたが、それでも文章をつづりたくて虚子に頼む。「糸瓜の葉がひらひらと動く。秋の涼しさは膚に浸み込むように心地よい。」、「女郎花が咲き、鶏頭は5,6本散らばっている。秋海棠は尚衰えず梢を見せている。余は病気になって以来今朝ほど安らかな頭を持って静かにこの庭を眺めたことはない」 明治35年9月19日午前1時ごろ、子規はひっそりと息を引き取った。亡くなる前日の18日午前11時ごろ病床に仰向けに寝て痩せた手で色紙を取り、書き付けた三句の俳句がある。これを「正岡子規の絶筆」という。
「糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな」
「痰一斗糸瓜の水も間にあわず」
「おとといのへちまの水も取らざりき」
母のかけた言葉は「さあ、もう一遍痛いというておみ」であった。痛いといえるはずもなく、痛々しい姿のままの子規が横たわっていた。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「国 難」

2011年03月23日 | 漢詩・自由詩
津波壊家水東流     津波は家を壊し 水は東流す

混乱首都関八州     混乱す首都 関八州

畏慄余震何太苦     余震に畏慄し 何ぞ太だ苦しむ
 
原炉爆発已難留     原炉爆発し 已に留め難し


○○●●●○◎
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(韻:十一尤 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)

CD 今日の一枚 ラフマニノフ 「ピアノ協奏曲 第1番、2番」

2011年03月23日 | 音楽
ラフマニノフ 「ピアノ協奏曲 第1番、2番」 作品1、18
ピアノ:ゾルタン・コチッシュ
エド・デ・ワールト指揮 サンフランシスコ交響楽団
DDD 1984 PHILIPS

切れのいいピアノ協奏曲というと、このラフマニノフかチャイコフスキーの曲に止めを刺す。ゾルタン・コチッシュはハンガリーの生まれ、リスト音楽院卒業の若手を代表していた。いまや壮年期。