ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

農業王国茨城県の酪農・野菜農家 被災と風評被害でピンチ

2011年03月22日 | 時事問題
asahi.com 2011年3月22日8時1分
搾りたて生乳6トン、無念の廃棄処分 被災で出荷滞る
 震災の影響で茨城県内の酪農家が搾った生乳を出荷できず、廃棄処分を余儀なくされている。牛乳メーカーの工場や貯蔵施設が被災して集乳が滞っているためだ。21日までに主なメーカーの半数が操業を再開。県内の酪農組合も農家からの集乳を始めつつあるが、通常の生産量にはほど遠い。放射能汚染の風評被害への不安も広がっている。

22日午前8時 茨城県空間線量率データー
東海村石神      709nGy/h  風 北北東 1.5 m/s
ひたちなか市堀口   1076       北  2.1  
水戸市吉沢       326        北  1.4

読書ノート ぺートル・ベックマン著 「πの歴史」 ちくま学芸文庫

2011年03月22日 | 書評
円周率πの歴史から数学の幅広い展開へ 第8回

2) 円周率に偉大な足跡を残した人々
2.2) ユークリッド「幾何学原論」


 国際的貿易港で学問の都アレクサンドリアの偉人ユークリッドの前に、3角関数表を完成したエラストネス(BC273-192)を挙げなければならない。円周率の公式は殆ど3角関数の級数展開で成り立っており、3角関数なしではπは考えられない。彼は5% 以内の誤差で地球の周を求めたことで有名である。「幾何学原論」の偉人ユークリッドは、直線、円、直角、平行の自明の公準からユークリッド幾何学というピラミッドを構築した。彼は与えられた長方形の面積に等しい正方形を作図することを考えた。ユークリッド幾何学の公理では円を正方形にする作図は取り扱えないのだ。
(つづく)

文藝散歩 坪内稔典著 「正岡子規ー言葉と生きる」 岩波新書

2011年03月22日 | 書評
言葉に生きた明治の群像 子規評伝 第10回

5)仰臥時代(明治35年まで) (1)

 子規が「墨汁一滴」を書き始めたのは明治34年1月からである。野球と同じで、遊戯にはルールがなければ面白くない。文章にもある種の制約(例えば短いという)があって面白くなるのだという理屈である。筆に墨を含ませて、それで書ける長さの文章が「墨汁一滴」である。線香1本分の座禅と同じ趣旨である。長くて20行以下の文章に過ぎないが、そこに精神を籠めるのである。冗長な文は書けない。さらっと書いて本質を垣間見るのだ。これは文章の形式である。病気を楽しむというきわめて個人的な事情に発する文であるが、読者が面白いというものでなければならない。「余は痛みをこらえながら病床からつくづくと金魚鉢を見ている。痛いことも痛いが綺麗なことも綺麗じゃ」という。「不平十ヶ条」、寝られない夜の時間の経過と物音、短歌、俳句なども書かれている。「痛みの激しいときはうめくか、叫ぶか、泣くか、こらえるか。こらえるのが一番苦しい」というふうに自分を客観化して、目を転ずると気が楽になるときもある。中江兆民の「1年有余」を読んで子規は「命のあまり」を書いた。兆民は喉頭がんで余名1年余と告げられ堺で養生していた。この時期の兆民の文を評して、子規はまだまだの覚悟という。諦観の情念はあるものの楽しむという積極面がないという。子規は自分の覚悟は一枚上だという。いつもの子規風の断定である。これを坪内稔典氏は「憂さ晴らし」という。自分を権威化せず、自己を他者へ絶えず開く、そのような場が気晴らしという言葉である。「墨汁一滴」で子規は「うまいものを食うことは小生唯一の療養法だ」という。子規は毎日の食べ物を「仰臥漫録」に書き綴っている。とても病人とは思えないほどの食欲である。「仰臥漫録」には看病に努める妹の律を「無情の木石女」と口汚く罵っている。批難する事はできないはずだが、肉親の甘えか憂さ晴らしか一種のスポーツ気分で叱っているのである。あるいは書くことで気分が収まり、妹の介護をありがたく思う気持ちが客観的に見えてくるのであろう。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「新鬼不逢春」

2011年03月22日 | 漢詩・自由詩
無情大地雪如塵     無情の大地に 雪塵の如く

瓦礫空遺哭故人     瓦礫空しく遺って 故人を哭す

三月季還花似旧     三月季還り 花旧に似たり
 
被災新鬼不逢春     被災新鬼 春に逢わず


○○●●●○◎
●●○○●●◎
○●●○○●●
●○○●●○◎
(韻:五微 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)