ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

三流官庁 環境省の道徳規制

2011年03月03日 | 時事問題
asahi.com 2011年3月3日4時52分
犬猫の深夜販売規制へ 環境省「健康に悪影響の可能性」
 犬や猫の深夜販売は健康に悪影響を及ぼす可能性があるとして、環境省は2日、規制に乗り出す方針を固めた。店頭に並べる時間を制限する方向で、午後8時までにすることも検討する。来年の通常国会での動物愛護法改正も視野に、4月にも結論をまとめたいとしている。

犬猫の健康って?悪者魚類退治で馬鹿馬鹿しい国粋主義(従来種の保存)を発揮して、生態学者のお笑い物になった環境省。地球温暖化対策では節約生活やサマータイムなど道徳指導に乗り出した最もいやな官僚的官庁。やはり環境省は自立出来る官庁ではない。経産省か厚生省の一部門にしておけば、余計な仕事もせずにすむものを。

前田耕作著 「玄奘三蔵、シルクロードを行く」 岩波新書

2011年03月03日 | 書評
仏教の原義を求めて、長安からガンダーラへの旅 第11回

4) 仏教文化の聖地バーミアン
 バーミヤンは玄奘が「雪山の中にある」と記したように、北は大雪山、南は雪山に挟まれた東西に細長く伸びる渓谷が梵衍那国(バーミヤーン)である。629年玄奘は王に迎えられて、少し長く滞在した。伽藍は数十箇所、僧徒は数千人で、「小乗説出世部」を学んでいた。小乗の「有部」の宗派に属する。小乗が上座部と大衆部の分裂した時の大衆部からでた宗派である。法相学の「摩訶僧祇部」に精通した二人の学僧と討論したことが玄奘の理解を深めた。玄奘は「上は三宝から下は百神に至るまで真心をいたさないものはない」と言っているように、信仰心の厚い土地柄であった。文字は覩貨邏国と同じだが(ブラーフーミー文字、クシャーナ文字、グプタ文字などが用いられていた)、話す言語は少し違うと記されている。インドヨーロッパ語族に属する「トハラ語」であろう。バーミヤンには西大仏と東大仏という50メートルくらいの巨大な摩崖石像がある。礫岩を荒げ削りして全身が彫り出され、その上に土の上塗りをしてひだの紋などをだし、石膏で表面を滑らかに、最後に彩色したものであり、玄奘は「金色晃耀」という金色をしていたと記録した。大仏の頭の上に「天神」の絵がかかれていたという。インドでは大仏の頭上には太陽神スーリアが描かれるが、バーミヤンではミスラ神が旅人の旅の安全と商売繁盛を守っていた。東大仏は2001年春アフガニスタンのタリバンによってダイナマイトで「異教の神」が爆破されたことは記憶に新しい。玄奘は城の東に千余尺(約300メートル)の「仏涅槃像」を入れた伽藍があったと記録している。観仏三昧に明け暮れた玄奘のバーミヤンの記録は「釈迦涅槃像」で終る。バーミヤンの近代における調査はアフガニスタンを緩衝地帯とするイギリスとロシアの野望によって19世紀に始まる。1824年ムーアクラフトが、1832年バーンズが、1835年マッソンが、1839年ドイツの地理学者リッターが、1885年イギリスのダルボットらが玄奘の書いた「大唐西域記」(ポール・ベリオが詳訳を作った)道しるべにしてやって来た。1922年独占的考古学調査権をえたフランス隊から仏教学者のフーシャらが本格的調査の魁となった。多くの仏典写本の断片が発見され、なかでも「スコイエン・コレクション」が仏教写本の解読整理を行なった。
(つづく)

文藝散歩 森鴎外著 「渋江抽斎」 中公文庫

2011年03月03日 | 書評
伝記文学の傑作 森鴎外晩年の淡々とした筆はこび 第20回

抽斎没後、五百を中心とした渋江氏の物語(9)
*抽斎没後15年は明治6年(1872年)である。
五百は裁縫の賃をえて、何とか相生町に一家の借家を借りることが出来た。五百、保、水木、山田脩が同居した。この年矢嶋優は工部省に転じ鉱山事務係りとなった。姉陸は矢川と離婚し、砂糖屋もたたんで本所亀沢町で杵屋勝久の看板を掲げて長唄の師匠となった。矢嶋周禎の一族も東京に移り、息子周策は師範学校に入学した。
*抽斎没後16年は明治7年(1873年)である。
水木(22歳)は深川洋品店兵庫屋藤次郎に嫁した。感応寺で抽斎の法要がおこなわれた。
*抽斎没後17年は明治8年(1874年)である。
師範学校を卒業した保は浜松の師範学校の教頭に赴任し母五百も同行した。矢嶋優は三池炭鉱にいたが、工部省を辞め新聞記者に変身した。山田脩も新聞記者になった。森枳園は文部省の官吏として医学校に勤める傍ら、新聞に寄稿した。
*抽斎没後18年は明治9年(1875年)である。
保は母五百の還暦の祝を行なった。五百の姉長尾安は62歳で没した。比良野貞固も65歳で没した。小野富穀も70歳で没した。多紀安琢も53歳で没した。喜田村栲窓も73歳で没した。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「春寒老翁獨吟」

2011年03月03日 | 漢詩・自由詩
今年何急二毛侵     今年何ぞ急に 二毛侵し

節浅凄凄抱膝吟     節浅く凄凄と 膝を抱えて吟ず

飛雪嬉遊児子気     飛雪嬉遊す 児子の気
  
憂囚家計老婆心     家計を憂囚す 老婆の心


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(韻:十二侵 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)

CD 今日の一枚 ショスタコーヴィチ 「24のプレリュードとフーガ」

2011年03月03日 | 音楽
ショスタコーヴィチ 「24のプレリュードとフーガ」作品87 (CD2枚組)
ピアノ:キース・ジャレット
DDD 1991 EGM

24すべての調性(キー)を使って、前奏曲とフーガを組みたてる、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」に倣ったピアノ独奏作品は、ショパン、ドピュッシー、スクりゃーピン、ラフマニノフらが試みた。ショスタコーヴィチは1950年24歳でこれにチャレンジした。多少重苦しいところがある。ピアニストキース・ジャレットはご存知の方も多いが、ジャズ出身であるが、クラシックの造詣も深い両棲類である。さて出来はどうかな?