ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

東北・関東大震災と医療問題 茨城県日立市からの報告

2011年03月19日 | 時事問題
医療に関する提言・レポートfrom MRIC by 医療ガバナンス学会(2011年3月18日) 「地震の後で」 千勝紀生 日立総合病院 血液内科 より

 日立市は震災の被害は少なかったようでテレビにも現れませんが、診療の現場では意外と深刻な状況にあります。日立総合病院の建物の古いものが破損し、大幅な減床を余儀なくされている。MRIなどの機械も破損した。14日までの停電・携帯電話不通で医師は外出できなくなり、断水により人工透析・生化学検査もままならず、あと2日で検査不能となってしまう。食糧とガソリン不足で職員は帰れず、職員バスを仕立てて対応している。交通は常磐線は不通、常磐自動車道路も通行止めが続いている。そのため日立総合病院では今週一杯は休診、外来停止、化学療法の延期を決めている。

19日の茨城県の放射線量率
3月19日午前8時20分 (nGy/h=nSv/h) 
東海村石神 494nGy/h 風 西北西 2.3m/s
水戸市吉沢 140nGy/h   北  0.9

福島第1原発上空18日午後 3.5mSv/h
一般人の年間被爆線量限界は1mSv、原発従事者や医療関係者の年間被爆線量限界は50mSvで5年間が限界である


asahi.com 2011年3月19日2時30分
福島第一原発の作業員、100ミリシーベルト超え始める 
福島第一原発には、18日朝の段階で東電や協力企業の作業員ら279人がいる。「100ミリシーベルト近くになる作業員が増えてしまい、一部で超えるケースが出始めた」という。
厚生労働省と経済産業省は15日、福島第一原発で緊急作業にあたる作業員の被曝線量の上限を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げている。


読書ノート ぺートル・ベックマン著 田尾陽一訳「πの歴史」 ちくま学芸文庫

2011年03月19日 | 書評
円周率πの歴史から数学の幅広い展開へ 第5回

1)円周率πの狩人達の記録(年代、人名、方法、πの範囲または小数点以下の有効桁数) 

① 紀元前5世紀  ギリシャ アルキメデス  内接・外接正多角形漸化式 96角形で 223/71<π<22/7 3.14084<π<3.14286 2桁
② 1世紀 ローマ ウィトルウィウス(建築家)  π=25/9=3.125 1桁
③ 2世紀 プトレマイオス π=377/120=3.1417 3桁
④ 2世紀 後漢 張衡 外接正方形 π=√10=3.162 1桁
⑤ 3世紀 魏 劉微 正多角形3072角 π=3.1416 3桁
⑥ 5世紀 隋 祖沖之 内接24576角形 3.1415926<π<3.1415927 6桁
⑦ 6世紀 インド アリアバータ 内接384角形 √9.8684=3.1414 3桁
⑧ 1220年 イタリア フィボナッチ 正96角形 平方根の近似値 π=814/275=3.141818 3桁
⑨ 1579年 ブルターニュ フランソワ・ヴィエト 内接外接正393216角形 無限乗積解 3.1415926535<π<3.1415926537 9桁
⑩ 1585年 オランダ アドリアン・アンソニス 333/106<π<377/120 π=3.14159292  6桁 
⑪ 1610年 ドイツ ルドルフ・ファン・コイレン 正32212254720角形 35桁
⑫ 1621年 オランダ スネリウス 内接・外接6角形 3.14022<π<3.14160 のちにホイエンスにより改良され 3.1415926533<π<3.1415926538 9桁
⑬ 1655年 イギリス ウォリス 円の解析幾何学で積分をフェルマー・パスカルの公式で展開 有理数の無限乗積解 計算できないほど級数の収束が悪い
⑭ 1671年 スコットランド グレゴリー グレゴリー(ライプニッツ)級数arctangentでπの無限級数を得る
⑮ 1699年 イギリス シャープ グレゴリー・ライプニッツ級数にX=1/√3を入れた  72桁
⑯ 1706年 イギリス マチン πをarctangentで表すマチンの公式 100桁
⑰ 1761年 フランス トーマス・ラグニー   シャープの方法   127桁
⑱ 1722年 日本 建部賢弘 正1024角形法  42桁
⑲ 1731年 オイラー πの公式π=20arctangent(1/7)+8arctangent(3/79)  オイラーはπの数値計算公式に終止符を打った 20桁
⑳ 1789年 スロベニア ユリ-・ベガ  マチンの公式  137桁
21) 1852年 イギリス ラザーフォード マチンの公式 441桁
22) 1945年 ファーガソン 540桁 これよりπのp計算は計算機の時代になる
23) 1849年 ライトウィーズナー ENIACによりマチンの公式を計算 2037桁
24) 1958年 ニコルソンとジェニューイ IBM704  1万桁
25) 1961年 レンチとシャンクス IBM7090  10万桁
26) 1973年 ギュ-とブイエ CDC7600  100万桁
27) 1985年 ゴスパー シュリニヴァーサ・ラマヌジャン公式を用い 1752万6200桁
28) 1989年 グレゴリー・チュドノフスキー 4億8000万桁  金田康生 5億3687万桁、そして10億桁
29) 1994年 チュドノフスキー兄弟によって新たな無限級数が発見された
30) 1997年 金田ら HITACHISR2201を用いて 515億3960万桁
31) 1999年 金田ら HITACHISR8000を用いて 2061億5843万桁
32) 2002年 金田ら 高野の公式 分割有理数化法 1兆2411億桁
33) 2009年7月 筑波大学 2兆5769億8037万桁
34) 2009年12月 フランス ファブリ・ベラール チュドノフスキーの級数法  2兆6999億9999万桁
(つづく)

文藝散歩 坪内稔典著 「正岡子規ー言葉と生きる」 岩波新書

2011年03月19日 | 書評
言葉に生きた明治の群像 子規評伝 第7回

4)病床時代(明治33年まで) (2)

 柿というと子規ということになる。それまでは柿は俳句の季語ではなかったが、子規は奈良と柿に新たな組み合わせを生み出した。「松羅玉液」に「冷腸熱血」とは柿の形容であると云う。「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」という句は子規の代表句のようにいわれるが、当時この句は誰からも評されず、彼自身も顧みることはなかった。それがにわかに有名になったの大正5年法隆寺境内にこの句碑が立ってからである。法隆寺観光のキャッチコピーとして法隆寺側が利用したようである。カリエスは日夜彼を苛む。「松羅玉液」に「日毎夜毎毎日おりおりには忽ち風、忽ち雨、忽ち獅子吼え、忽ち魑魅泣く」と訴える。この時同郷の河東碧梧桐と高浜虚子が交代で看護に当たる。子規はこの二人の手によって支えられ、碧梧桐の特色として「写生的絵画の小幅」と評し、虚子に対しては「時間的俳句」が特色と評した。「明治29年の俳句界」の新聞日本の連載で俳人たちを一言で評している。例えば、鳴雪を「高華」、牛伴を「精緻」、碧梧桐を「洗練」、虚子を「縦横」、鼠骨を「敏捷」、漱石を「活動」という類である。明治30年より子規は新聞日本に「俳人蕪村」を連載した。蕪村を芭蕉に匹敵する存在として発見した。「百年空しく瓦礫とともに埋められて光彩を放つを得ざりし者を蕪村とす」といった。そして蕪村の俳画に雅致を見出した。明治30年の「病床手記」には漱石の渡欧出発に贈る歌や「薬餌」が書かれている。よく食い薬を飲んでいるが、このごろ背中から膿が出て足が引きつけるというそんな日々であった。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「震災春回」

2011年03月19日 | 漢詩・自由詩
断水食貧多苦辛     水断たれ食貧しく 苦辛多く

被災家屋総為塵     被災家屋 総て塵と為る

茫然自失皆凋落     茫然自失 皆な凋落
 
鳥来陽回暗暗春     鳥来り陽回るも 暗暗の春


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(韻:十一真 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)