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できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

毎日、アクセス解析を見ています。

2006-09-27 06:18:10 | ネット上でのバッシング考

前にも書きましたが、私はこのブログと、もうひとつの日記帳ブログについては、毎日、アクセス解析を見ています。それを見ていて、昨日から今朝にかけて、「なぜ?」と思うようなアクセスがあることに気づきました。

とりあえず、一番気になるのは、例えばグーグルやヤフーなどの検索で「○○(地名、大阪市だけとは限らない)、」と入れ、そこから私のブログのどちらかを見つけてアクセスしてくるケースの存在。

これはいったい、なんなのでしょうか? ネット上で、どこがかつての被差別なのかを探し出そうとしているのでしょうか? それを知って、いったい、どうするのか? こういうアクセスをする人の意図が知りたいところです。できれば、そこに「差別」的な意図が含まれていないことを願います。

ちなみに、この新ブログを開設するきっかけになったあるサイト(ブログ?)は、その運営者が忙しくなったことと、在阪の各テレビ局などがこの問題を取り上げはじめたことなどが理由で、最近の大阪市政や解放運動のことなどをバッシングしていた部分だけ「閉鎖」したようです(ということは、そのサイトには、在日外国人に対する偏見が述べられている部分もあるので、そこは放置されているままなのか?)。先日、ある人から、そのことを教わりました。

しかし、まず今頃、「在阪テレビ局が取り上げたから」ということくらいで閉鎖するなら、もっと前にこのサイト(ブログ)は閉鎖しているべきだったはず。在阪テレビ局が飛鳥会事件関係で、大阪市内の被差別のことなどを取材していたのは、もっと前の話ですからね。また、「忙しくなった」というのであれば、今まで執拗に大阪市政や解放運動に関するネット上の諸記事を追い続けていたのはなんなのか、と問いたくなります。そう問うていくと、あとで引用する文章のように、誰かをネット上で誹謗中傷することで、自分に注目を集める「快感」を得ていたのか、とすら思ってしまいます。

そして、もしもそうだとすると、このサイト(ブログ)を閉鎖していても、どこか別のところで同じことを繰り返す危険性もあるので、もう一度、先日の斎藤貴男『安心のファシズム』(岩波新書)からの引用部分を、ここで掲載しておきます。これは、「○○(地名)、」というキーワードで私のブログにアクセスしている人にも、ぜひこの部分だけ読んでくれたら、と思います。

「リアリティがないんですよ。たとえばの者にひどい目にあったから憎んでいるといったような、差別に至る実体験の裏づけがまるで感じられない。ただ世の中には被差別なるものが存在しているという“情報”を何かで知って、そこには解放同盟という悪い奴らがおるぞと、これも頭のなかだけで“情報”として理解した。それで、そのバーチャルな情報をもとにこんなことを繰り返しているのではないかな。

 だから、相手がどう傷ついたかということには、あまり関心もない。自らの行為そのもの、また社会的に騒がれることに快感を覚えている。そんな人間を想像します。(後略)」

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