できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

いろいろ言いたいことがあるのですが(7)

2011-08-19 22:37:20 | ニュース

今日はまず、下記の3つの新聞関西版ネット配信記事から。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201108190023.html (橋下知事、咲洲府庁舎への全面移転断念 耐震性を考慮=朝日新聞関西のネット配信記事)

http://mainichi.jp/kansai/news/20110819ddn001010004000c.html (大阪府庁:咲洲庁舎移転 橋下知事、全面移転断念 災害時拠点にならず=毎日新聞関西のネット配信記事)

http://mainichi.jp/kansai/news/20110819ddn041010013000c.html (大阪府庁:咲洲庁舎移転 全面移転断念 突然表明も橋下流、周囲が困惑=毎日新聞関西のネット配信記事)

この記事を見て思ったのですが、今後、東南海地震が起きた時のことや、先の東日本大震災発生時の津波の被害のことなどを想定したら、この咲洲庁舎への府庁移転の断念なんて「当然のことだろ」というしかないものですよね。また、本来であれば府知事としてもっと早く決断することだってできたことですよね。だから私としては、やはり、3つめの毎日新聞関西ネット配信記事のとおり、橋下知事サイドは「大阪市長・大阪府知事ダブル選挙を前にして、自分の側にマイナスになる材料をつぶしにかかっている」というのが実情ではないかと思います。しかも、防災対策の専門家たちはかなり前から咲洲庁舎移転案の問題点を指摘してきたわけですから、「専門家もそういってることだし・・・・」ということで、橋下知事サイドは自分たちの側の判断の甘さを隠そうとすることもできます。

その一方で、この2日ほどのあいだに、橋下知事、あるいは大阪維新の会に関しては、こんな提案についても新聞関西版ネット配信記事でながれています。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201108180043.html (維新の会、2条例案を提出方針 橋下氏「お役所変える」=朝日新聞関西のネット配信記事)

http://mainichi.jp/kansai/hashimoto/archive/news/2011/08/20110817ddn001010003000c.html

(大阪維新の会:条例案に「愛国心」を明記 教育基本法より踏み込む=毎日新聞関西のネット配信記事)

http://mainichi.jp/kansai/hashimoto/archive/news/2011/08/20110817ddf041010016000c.html

(橋下・大阪府知事:公務員制度改革、ダブル選争点に=毎日新聞関西のネット配信記事)

これも教育行政や教育法などの専門家からはさまざまな異論・反論、批判や疑問がなげかけられているプランなのですが、橋下知事あるいは大阪維新の会サイドは、こっちについては専門家の意見は無視するつもりですね。専門家の意見というのは、このように、行政サイドや時の地方議会多数派によって都合よく利用されるという側面を持っている、ということでしょうか。

ただ、それにしても、他者に対しても郷土に対しても国家に対しても、人間は「~を愛しなさい」と誰かに命令されて、愛情なんてわくんでしょうか? 本当にこの大阪という地域、日本という国が、誰にとっても暮らしやすいところであれば、おのずから愛着もわいてくるだろうし、そこが大事だという感情や態度も育ってくるのではないでしょうか。

むしろ、そういう愛着や感情、態度がわきおごってくるような環境をことごとく破壊しておいて、条例などで「~を愛しなさい」という目的を定め、それに反する行為を行った人を罰していく。そんなやり方では「面従腹背」的な態度や感情を育てていくだけ。本物の国や郷土を愛する心なんて育ちやしないだろう・・・・と、私などは素直に思うのですが。

私としては、ほんとうに国や郷土を愛する心を育てたいと思うのなら、そういうことを教育の目的を定めた条例(さらには基本法)などには書かずに、「それぞれの人の自由に任せる」ことにする。そのうえで、別のところで、この国・この地域を暮らしやすくするための施策を、ちがった形で訴えていくほうが得策ではないかと思います。

ここでいう「お役所を変える」というのにしてもそうで、分限や懲戒などの規定を明確にすることは、単に公立学校教職員を含む公務員のリストラをしやすくするだけではないかと思ってしまいます。職員の数を減らすことは「コスト・カッター」としての橋下知事には意味あることかもしれませんが、数少ない職員でさまざまな仕事を回すことによって、かえって今までよりも劣悪な行政サービスが展開されるのであれば、そんな改革には「財政上の帳尻合わせ」以上の意味はないでしょう。

あるいは、こうした条例の制定は、一般職や教育職のヒラ公務員に対する府知事を含む管理職層の「パワハラ」まがいの高圧的な対応を、こうした規定によって正当化するだけにしかつながらないのではないでしょうか。だとしたら、余計な反発や警戒、あるいは表面的には指示などに従いつつ、別のところでサボタージュするような、そんな態度をこのような条例の制定によってかえって助長しかねません。そんな風通しの悪い職場をつくって、どうするんですかね?

いずれにせよ、こうした条例案の制定というのは、大阪府知事や府議会、府庁幹部に対する「面従腹背」的な態度を、公立学校職員を含む府の公務員内に生むだけであって、かえって府政改革の妨げにしかならないのではないかと私などは思います。

本当に橋下知事や大阪維新の会サイドが出す提案に「おもしろい」とか、「これで確実に府政はよくなる」という要素が感じられるのであれば、もっと公立学校教職員を含む府の公務員側も乗ってくると思うんですけどね。しかし、どうもそういう方向にはいきそうにないようです。

ついでに、ここ最近ずっと書いてますが、こうした橋下知事や大阪維新の会の動きに対して、今後、大阪の人権教育の関係者は、どんな形でつきあっていくんですかね? 少なくとも私は「おかしいことは、おかしいという」というスタンスですけど。

と同時に、「人権教育」って、こういう地方政界の動きが今ある公立学校やそこでの教育のあり方をかえって窮屈なものにしかねないとき、「それって、おかしいだろう?」と批判や疑問の声をあげられるような、そんな市民を育てていくためのものじゃないんですかね?

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