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できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

「過去」をふりかえる作業の大事さ

2008-03-10 16:57:16 | 学問

またしばらく更新が途切れました。ほんとうはこの春休み期間中、毎日でも更新しようかと思ってました。でも、今後もたぶん、こんな調子になると思うので、あまり「毎日書かねばならない・・・・」ということにこだわるのは、やめておこうと思います。

今、一応、本業の大学での仕事は春休みだといえども、新学期まで授業をしないだけで、いろんな研究面での仕事が多々あるのと、学内業務もいろいろあるので、そっちへの対応にいろいろ追われています。となると、なかなかブログ更新にまでエネルギーがまわせないような、そんな状態にあります。いろいろ、このブログからの情報発信に期待されている方もいるのかと思いますが、事情をお察しください。たいへん、申し訳なく思っています。

ただそれでも、このところ思っているのは、こんなことです。

ここ1~2年、ある研究団体の例会で、過去の解放教育(同和教育)の実践記録、あるいは実践論の文献を読む作業をしています。時期的には、主に1960年代末頃~70年代初めの文献です。

こういった文献を毎回1冊ずつ、あるいは2~3回かけて1冊とりあげ、中身を検討していきます。具体的には、20代の現役大学生・大学院生と、私たちの世代の研究者、私たちよりもう少し年長の研究者・現場の教員、保育士などと、隔月~3ヶ月に1回くらい集まって、レジュメを誰かが作ってきて内容紹介してもらい、ていねいに議論をしていくのです。

その一方で、上の例会メンバーは参加者はほとんど重なっているのですが、いまのいわゆる人権教育関係の入門書や理論書を、同じように隔月~3ヶ月に1回くらいのペースで取り上げ、内容を検討する研究会もやっています。

このような作業をしていくと、おのずから、私などのように両方に参加していると、「1960~70年代の解放教育(同和教育)の実践論のなかから、最近の人権教育論は何を引き継ぎ、何を脇に置いたのか?」ということが、だんだん、見えてくるように感じています。また、20代のメンバーにしてみると、「過去の議論や実践の延長線上にいまがある」ということも、続けて参加するなかで、少しずつ見えてくるようになります。そして、「いま、Aみたいなことが論じられてるけど、昔、そのAについてはBのような位置付け方がされていたはず。いつ頃から、なぜBのような位置付けになったのか?」というような見方が、20代のメンバーにもできるようになってきます。

その一方で、私らの世代よりも年長の研究者や現場での実践者も、20代のメンバーにいろいろ語りながら気づくことがあります。たとえば、「あれ? この最近の文献って、どうして60年代や70年代のCの話に触れないのかな?」とか、「過去のDの話をいまの若い世代に理解してもらうためには、たとえばEやFの話までしないと伝わらないんだなぁ・・・・」ということだとか。

そういう作業のなかで気づいたのは、やはり、たとえば解放教育(同和教育)のこの何十年かの歴史の検証、つまり「過去のふりかえり作業」の重要性です。その作業のなかで、私もまだ30代なのですが、私よりももっと若い世代に、過去の取り組みのなかの何を成果として伝え、課題として何を指摘することができるのか。逆に若い世代の側からも、過去の取組みから何を今後に活かすべきものとして受け継ぎ、何を「相続してはならない負の遺産」として整理するのか。こういったことができるのではないかと思っています。

いまはまだ、具体的な作業の成果をここで明らかにするつもりはありませんし、今後もこのブログで書くかどうかわかりません。ですが、こうした地道に古い文献を読み、過去と向き合う作業は、何らかの形で継続していきたいな、と思います。

ちなみに、こうした作業は「古本屋めぐり」や「古い文献集め」にかかる経費くらいはかかりますが、あとはみんなで定期的に集まる場所と時間さえ確保でき、誰かが地道にこつこつとメンバーをつなぐ努力さえすれば、わりと、簡単にできます。

ただ、むずかしいのは、「誰かが地道にこつこつとメンバーをつなぐ努力」の部分ですね。これをやりつづけるのが、けっこう、たいへんです。そのためにも、「できるだけ組織や集まりを大きくすることを意識せず、最初は4~5人くらい、場合によれば3人くらいからはじめるようにする」ことと、「毎回の例会に出てこなくても、その例会案内の手紙やメールを送って、読んでくれているだけでも集まりに関わってくれていると思うこと」、「しんどいときには手伝って~とか、交代して~とか言える仲間を作る」ということ、「どうしても忙しいときは、ちょっと休憩の時期をおくのもアリにする」ということですかね。

そして、「あんまりこうした作業は、金銭的にも労力的にも持ち出しばかりで、自分の得にはなかなかならない。だけど、一銭の得にもならないところで磨かれるものが、別のところで私たちを豊かにする」と思えるかどうか。ここも、かなり大事なことかなぁ、って思いますね。

まぁ、私たちといっしょに、古い解放教育(同和教育)関係の文献を読み、そのなかで、これからのあり方を考えたいと思う人は、一度、連絡をください。

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