できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

あらゆる機会を通じての憲法学習の充実を

2007-05-14 19:55:20 | 受験・学校

◎下記の内容はもうひとつのブログにも書いたことですが、とても重要な話なので、あえて転載しておきます。また、下記の内容は、これからの大阪市の社会教育・生涯学習のあり方や、学校内外での人権教育・啓発のあり方、さらには青少年施策のあり方にも深くかかわる論点を含んでいると思っています。そのつもりで読んでください。

今日はちょっと、政治的な問題と教育の問題を関連させて論じます。といっても、例の「教育再生会議」に直接関係するわけではありませんが、あの会議が忘れている大事な論点について書くつもりです。

このブログを見ているみなさんもテレビのニュース等でご存知のとおり、国会のすったもんだの審議を経て、「国民投票法」案が可決しました。ということは、いくつかの付帯決議のついた部分についての修正があるにせよ、今後、何年か先には国会で現行憲法改正の発議を行い、国民投票を行うための手続きが、一応、なんだかんだといいつつ整ったことになります。

で、ここからが問題。一応、日本という国家は国民主権と代議制民主主義、立憲主義の建前をとる国ですから、今後、新憲法制定や憲法改正に関する国民投票に際しては、有権者が現行憲法の内容とその問題点、新憲法や憲法改正案などの内容とその問題点について、よく熟知して投票に臨むことができる体制の整備が急務、ということになります。

つまり、まず子どもたちについては、たとえば「憲法とは何か」という次元からはじまり、今の日本国憲法の内容やこれに関する重要な論点、各政党から出される改正案の内容と問題点などについて、きちんと知識的に理解を深め、自らの選択を決めることができるようになるための、「ほんものの公民教育」や「主権者教育」が重要になってきます。

あるいは、すでに有権者であるおとな世代についても、同様の点について、「ほんものの主権者になるための学習」機会の整備ということが必要になってきます。

しかしながら、これは「公民科教育法」といううちの大学の教職課程の授業で語っていますが、最低限「現代社会」2単位を履修すればOKというような、そんな今の高校学習指導要領の内容で、はたしてこういった「主権者教育」あるいは「ほんものの公民教育」ができるのでしょうか。あるいは、高校に行かない人々のことを考えると、小学校・中学校段階の義務教育だけで、こういった「主権者教育」ができるのでしょうか。さらに、社会教育・生涯学習施設の多くを財政難などを理由に統廃合をすすめたり、次々に民間委託などを行っている状況で、はたしておとなたちが「ほんものの主権者になるための学習」機会の整備など、できていくのでしょうか。

本気でこの国のあり方を考え、憲法改正という重要な問題について、ひとりひとりの主権者の意思決定を大事にしたいと思うのであれば、今、真っ先に行うべき教育改革は、教育再生会議のいうような「親学」でも「徳育」でもなく、「公民教育」あるいは「主権者になるための学習」の充実ではないでしょうか。まったくもって、今、すすめられようとしている教育改革の方向性は、こうした国政レベルでの大きな課題に対して、ちぐはぐであると言うしかありません。

と同時に、このままではおそらく、子どもたちだけでなく、おとなたちもまた、現行憲法の内容や問題点、改正案の内容や問題点などについてよく知らないまま、憲法改正に向けての国民投票の場に立つことにもなりかねません。そこで私としては、「ありとあらゆる機会を通じての憲法学習の充実」ということを、この場を借りてあらためて提案したいと思います。


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行政・民間の役割分担の枠組みは?

2007-05-14 10:46:24 | 国際・政治

これは前にもこのブログで書いたことかもしれませんが、今の大阪市の行財政改革が進んでいった「その先」に何が出てくるかを考えると、私はちょっと、不安感を抱きます。

たとえば、今、大阪市役所や市教委が持っているさまざまな公的施設の運営状況を問題にして、その施設のなかで不効率・不採算なものを民間に売却していく。あるいは、公的施設のなかでも運営状況の良好なものについては、さらなる効率的な運営を追求して民間委託などをすすめる。公的サービスについても、公務員がやらなくてもこのほうが効率がよいという観点から、NPOや企業などに委託する。地下鉄などの公営企業部門も、そのほうが財政赤字の再建につながるからということで、民間企業に売りに出す・・・・、などなど。

こういったことを続けていけば、大阪市役所や市教委には、どんな機能が残るのでしょうか。私が見たところ、そこに残るのは「企画立案部門と、民間委託などを行った仕事についての監督機能を持つ部門だけ」ということになります。

しかし、実際に対住民サービスの現場で何が行われているのか、民間企業やNPOなどの場で何が今求められているのかなど、「現場の実情」をまるでわからない行政当局に、はたしてどこまで市政運営に関する企画立案や民間企業・NPO等の監督ができるのでしょうか。おそらく、その監督もきわめて形式的なことに限定されるでしょうし、企画立案もある種の「イメージ操作」的なものが中心になっていくでしょう。

こうなると、今までもよかったかどうかはわかりませんが、大阪市役所や市教委が創り出す施策の量だけでなく、質もまた、ますます「劣化」していきかねません。また、その質の「劣化」が起これば、それとの対比で、ますます民間企業・NPOなどの実力が高まっていくように思われます。そして、その質の「劣化」を補う意味で、大阪市役所や市教委の側から、ますます民間企業やNPOなどへの事業などの委託をすすめようという議論が起こってきます。

「いいじゃないか、それで」と思う人もいるかもしれませんが、こういうことが年々くりかえされていけば、大阪市役所や市教委といった地方自治体の行政機構は、事実上「あってなきがごとし」に近づいていきます。

と同時に、多様な領域にノウハウをもつ民間企業やNPOなどの民間セクターが公的サービスなどに従事するといっても、こういった団体とて、万能ではありません。そこには事業運営の失敗などが当然、つきまといます。しかし、こういった民間セクターが今までの行政に変わって公的なサービスなどを担ったとき、その失敗のツケを整理していくシステムがなければ、その公的サービスを頼りにして生活している住民層の暮らしが脅かされる、ということにもなりかねません。

そう考えると、実際に公的サービスを利用して生活している人々の側からすると、「行政は最低限ここまでは責任を持つし、民間セクターの失敗に対してはこう処理をする」という枠と、「ここから先は民間セクターの側にゆだねる」という枠、この両方の枠組みをつくり、その枠組みへの信頼性を高める努力をしていかないと、民営化や委託が進んだからといって住民生活がよくなるとは限らない、と思うわけです。

そして、今の大阪市の改革を見ている限り、市政のそれぞれの分野でこの「行政・民間、双方の役割分担の枠組みづくり」がどうなっているのかが見えないので、とても不安感を抱くわけです。


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