tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

謡曲「鉢の木」の舞台を訪ねて

2011-04-03 18:36:23 | 徒然日記
今日も諸般の事情でお祭りが中止となり一日が空きました。
3月27日の「謡曲の舞台を訪ねる」で出かけて行った「佐野の渡し」の近くに、謡曲「鉢の木」の舞台となった佐野源左衛門常世の屋敷跡があります。現在「常世神社」として、地域の人々により大切に守られております。



謡曲「鉢の木」どんな物語なのでしょうか。少し長くなりますが紹介しておきます。

ある大雪の日、諸国遍歴の旅の僧が上野国の佐野の渡しで夕暮れになってしまい、路端の貧しげな民家に一夜の宿を求めました。しかし、家の主人は貧しさのため、家はみすぼらしく、旅人をもてなそうにも何もしてやることはできないため断るが、雪の中で難儀しているのを見捨てることもできず、結局、泊めることにしました。

主人はなけなしの粟飯を炊き心ばかりのもてなしをしますが、暖をとる薪さえなくなってしまい、主人はやむなく大事に育てていた秘蔵の盆栽「梅」「松」「桜」の鉢の木を切って囲炉裏にくべ、火を焚いて旅の僧をもてなしました。



僧は篤い志に感動し、主人を由緒ある人と察し、強いてその素性を訊ねたところ、 佐野源左衛門常世のなれの果てである事を明かし、一族の者に所領をことごとく 押領されて、かくの如き身となってしまった事を切々と話した。そして、物語では、あの名台詞が語られるのです。「落ちぶれたりといえどもこの源左衛門、鎌倉殿の御家人として、もし幕府に一大事がおこれば、千切れたりとも具足を着け、錆びたりとも薙刀を持ち、痩せたりとも あの馬に乗り、一番に鎌倉に馳せ参じ、一命を投げ打つ所存でござる」とその覚悟のほどを述べました。

やがて春になり、幕府から緊急の動員令が下され、御家人たちは先を争って駆けつけ、その中には当然、あの佐野源左衛門常世の姿もありました。召出された常世は千切れた具足に錆びた薙刀のみすぼらしい姿をあざけり笑う武者達の前を悪びれることなく進みます。そこで待っていたのは、あの時の旅の僧でした。「わしはいつぞやの大雪の日、一夜の宿をそちの家でやっかいになった旅の僧である」実は旅の僧こそ、前執権 (しっけん)で鎌倉幕府の最高実力者北条時頼その人であリました。時頼は常世の言葉に偽りがなかったことを賞し、先日の約束を果たし、その志に報いるため、


奪われた佐野庄三十余郷を常世に返し与えただけでなく、薪にされた盆栽の梅・桜・松にちなんで加賀国梅田庄、越中国桜井庄、上野国松井田庄の三つの庄園を 新たに恩賞として与えました。

「駒とめて 袖うち払う陰もなし 佐野の渡りの 冬の夕暮れ」という古歌が下敷になっており、太平記から素材を得ているといわれております。作者は観阿弥とも世阿弥ともいわれておりますが、不詳ということです。

群馬県高崎市の 「献上銘菓処 鉢の木七冨久」さんは、この物語がそのまま店の屋号になっております。
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