goo blog サービス終了のお知らせ 

tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

戸塚宿から藤沢宿まで

2015-09-14 17:33:56 | 東海道五十三次の旅
9月14日(月)
朝から青空が広がっておりました。
月曜日はストレッチですので行って来ました。

昨日の東海道五十三次散歩で疲れてしまい、午前中は休むつもりでおりましたが、時間になったら出かける用意をしておりましたので、行って良い汗を流して来ました。
良い習慣になっております。

   

   戸塚宿

今回も備忘録的ブログになってしまいますが、早起きをして「東海道五十三次散歩」に行って来ました。
今回は、第5回目で、「戸塚宿から藤沢宿」まで11,5キロを歩いて来ました。自宅を出かけてから帰るまでに28.500歩、歩いたことになります。

東戸塚駅9時集合して、前回の解散場所に移動してスタートです。

   

   品濃坂

前回は権太坂から境木延命地蔵尊に出てゴール地点に向うため東海道から外れてしまいましたので、今回はその東海街道に戻って歩き始めとなりました。
権太坂を頂点に下り坂が続きます。

国道1号線の開設ですっかり忘れ去られたような寂しい東海道がありました。

    

    旧東海道

   


   自宅に立てた

車もほとんど通らず静かな東海道ですが、自宅の垣根越しに看板が立てられております。
道は国道と合流して車の騒音の中をひたすら歩き、不動坂になりました。

この不動坂を歩き切るとやっと戸塚宿に入りました。

      

   江戸方見附跡

ここからが戸塚宿になり、宿の入り口に作られたのが見附と云う見張りの役所です。
日本橋から10里半(約42キロ)の距離がありますが、最初の宿を戸塚宿でとる人が多かったと云われております。

ここ戸塚宿は、鎌倉街道と大山参詣の道の分岐点でもあったため大変な賑わいを見せていたと云われております。

   

   吉田大橋

浮世絵に描かれた橋として有名になっておりますが、今はその面影は全くなく、橋の欄干にその絵をはめ込んでいるのが精いっぱいのようです。

   

   マンホール

戸塚は駅伝の中継地でもありますので、街中の至る所にこのマンホールがあります。
そして、戸塚宿には、昔の建物など全く見渡らず「これから近代的に変貌した戸塚宿を歩きます」言う、ウオーキング・リーダーの言葉が印象的でした。

本陣跡、脇本陣跡、見附跡などたくさんありましたが、何処も所在を示す立て看板が建っているだけのものでした。
出発前の「今日は見るべきところはありません。ただひたすらゴールを目指して歩きます。」

そんなあいさつで始まった東海道五十三次散歩でした。

   

   狛犬

そんな中で唯一印象に残った狛犬がありました。
神社の伝承によりますと、富塚八幡宮は社殿後方の古墳を富塚と呼んでいたそうで、それが戸塚の地名になったと云われております。
ここにあった狛犬は親子連れで、珍しいものだそうです。

   

   遊行寺

今回のゴール地点です。
遊行寺の正式名称は、「藤澤山無量光院清浄光寺」で、時宗の総本山です。
遊行上人のお寺という事で遊行寺と呼ばれいるそうです。

時宗の開祖の一遍は、踊念仏を広めた事で有名ですが、このお寺を創建したのは4代呑海上人で、江戸時代になってから時宗の総本山になった。
藤沢宿は、このお寺の門前町として栄えた。

   
  
   遊行寺本堂

今回このお寺がゴールでしたので、総門から四十八段あるなだらかな階段を上って到着いたしました。
ここで軽い体操をして解散となりました。

今回は良く歩きました。見るところも無く只々歩くだけと云うのは気分的に疲れてしまします。
やっと藤沢までです。