上野千鶴子氏(東京大名誉教授・社会学)が17日付京都新聞(1面リレーコラム「天眼」)に、「ジャニーズ報道への違和感」と題して寄稿しています。
上野氏は、ジャニー喜多川氏性加害問題について「メディアの姿勢が熱い。…この熱さはどこから来るのだろう?」として、4点挙げています。
①性虐待の規模の大きさと継続した時間の長さ。
②芸能界という特異な業界。アイドルにはファンがつき、知名度があった。
③男性が被害者であること。
④メディアの共犯性。
そしてこう続けます。「以上あげた四つの理由のひとつひとつに、「もし」を考えたくなる」(以下、抜粋)
①もしそれがたったひとりの被害者だったら?事実、伊藤詩織さんが山口敬之氏の性暴力被害を訴えたとき、どれだけのメディアが注目しただろうか。
②もし、これが学校や民間企業や福祉施設であったら?これほどメディアが「発情」することはなかっただろう。
③もしこれが男性から女性への加害であったら?性被害を受けた男性アイドルたちに多くの女性ファンは同情的だと聞くが、これがもし女性アイドルの男性ファンなら、自己責任を問い、被害者を責めることはないだろうか。
④もしこれがメディアの利害がからまない問題であったら、メディアはもっとすっきり「以後、ジャニーズ事務所との契約は一切断つ」と宣言できただろう。
そしてこう結んでいます。
「この問題が浮上した背景には性暴力を問題化してきた女性たちの長い闘いがあったことを忘れてほしくない」
上野氏は「報道への違和感」として論述していますが、①②③はこの問題についての市民・社会の受け止め方に対する警鐘でもあるでしょう。
たとえば、ジャニーズ事務所の会見(7日)以降、大手企業のジャニーズ事務所との契約見直し・解消が相次いでいます(写真右)。
私はこれに「違和感」があります。池に落ちた犬を叩くことによって、大手企業は自社は性加害に厳しい企業だと言う「正義」を示そうとしているように見えます。しかし、そういう企業の中にセクハラはないのでしょうか?被害者が少数(1人~)であったり、女性従業員である場合、各社はジャニーズ事務所にみせているような毅然とした対処を自社内で行っているでしょうか?
上野氏が指摘する①②③の「もし」はこれらの大手企業にも突き付けられているといえるでしょう。
そしてその「もし」は、私たちが「ジャニーズ問題」をどういう視点で捉えるべきかの問題提起でもあります。