アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記268・「SEALDsの挫折」を招いたものは?

2023年09月24日 | 日記・エッセイ・コラム
  「若者たちはどのようにして政治に参加するのか―2015年安保、SEALDsが示したもの―」と題したシンポジウムが23日、京都市内であった。

 パネラーは、小峰ひずみ氏(ライター・れいわ新選組公認豊中市議事務局)、塩野谷恭輔氏(雑誌「情況」編集長)。一般参加していた白井聡氏(京都精華大准教授)が途中から加わった。

 小峰、塩野谷両氏の主張には大きな違和感があったが、ここでは触れない。ただ、シンポの副題にもなっている「SEALDs」については書かざるをえない。

 ちょうど8年前の2015年9月19日未明、安倍晋三政権は戦争法制(安保法制)を強行採決し成立させた。その反対運動の中心となった若者たちのグループがSEALDsだ(写真。2016年8月15日解散)。

 小峰、塩野谷両氏ともSEALDsに批判的だ。それは両氏の政治思想によるものだが、気になったのは、両氏の話から、SEALDsの元メンバーの多くが挫折感に陥っているらしいことだ。

 そういえば、雑誌「世界」の最新号(10月号)にSEALDsに関する論稿があったのを思い出した。読んでいなかったので帰って読んだ。SEALDsの集会にも参加したことがある同世代の大瀧哲彰氏(朝日新聞記者)の「SEALDs、それから」だ。

 大瀧氏は小峰、塩野谷両氏のように批判的には捉えていない。「あの時に彼ら彼女らがまいた種は、形を変えて育っている」という言葉で結んでいる。

 しかしその大瀧氏の論稿でも、「もう疲れました」といって「解散後、市民運動から距離を置いた」女性や、「脱力感と倦怠感が身を包んだ」という男性など、SEALDsのメンバーだったという「過去を隠したい」と言う人が多いとリポートされている。

 大瀧氏によれば、安倍政権の強行採決によって法案が通ってしまったという「敗北感」に加え、ネットによる誹謗中傷、友人らに「過激」と思われたくない、という思いが彼ら彼女らを追いこんでいるという。

 15年当時、私はSEALDsに注目はしていたが、それほど強い関心を持っていたわけではない。ましてこの日のシンポの主催者グループのように、「60年安保、70年安保闘争に匹敵する」などという評価はしていなかったし、今もしていない。だからSEALDsの「それから」にも関心はなかった。

 しかし、この日のシンポと大瀧氏の論稿で、関心が湧いてきた。元メンバーの多くが「挫折感」「脱力感」「倦怠感」に襲われ、市民運動から距離を置いているとすれば、それはいったい誰のせいなのか。何がそうさせたのか。

 戦争法を強行した安倍政権はもちろん元凶だ。ネットの中傷も許せない。しかし、「敵の攻撃」では挫折はしない。主要な責任は別にあると思う。

 それは「民主的」と自認する政治家、政党、学者、文化人、そして市民だ。
 SEALDsの若者たちの熱情を理論的、政策的に確固としたものにすべくアドバイスするのが「民主的学者・識者」の任務だったのではないか。市民(大人)が全国津々浦々で声を上げていれば、若者たちを孤立させ「過激」という中傷におびえることもなかったのではないか。

 「SEALDsの挫折」はこの国の「平和・民主勢力」の非力・衰退の表れに他ならない。もちろん、私もその中の1人だ。

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