聴覚障がい者を描いたテレビドラマが盛んです。民放の「silent」が評判になりましたが、目立つのはNHKです。BSで好評だった「しずかちゃんとパパ」(吉岡里帆主演、写真左)の地上波放送が先日終了しました。冬には「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」(草彅剛主演)が始まります。
ドラマが聴覚障がい者への理解を深める契機になればいいことです。「しずかちゃん―」は秀作で感動しました。
しかし、ブームともいえるこの傾向を、手放しで歓迎することができません。2つ気になることがあります。
1つは、日本の手話の重要な歴史が捨象されていることです。それは、国家が国民を戦争へ動員するため「国語」の普及が図られ、「国語」ではない手話が禁止された歴史です。
日本に最初のろう学校(京都)ができたのは1878年。以来、全国のろう学校で手話による職業教育が行われてきました。しかし1933年(「満州事変」の2年後)、文部大臣は手話を禁じ、「口話」を教えるよう指示しました。
全日本ろうあ連盟の久松三二(みつじ)事務局長は、「当時は手話を使うと手をたたかれる体罰もあった。手話は、ろうの親子や子どもたちの間でひっそりと受け継がれていった」と振り返ります。そしてこう指摘します。
「日本語を「国語」と呼ぶことで、多言語、多文化、多民族への理解に壁をつくってしまった。日本では欧米と比べても「国語」以外の言語へのアレルギーが強く、アイヌや琉球の言葉が保護されてこなかったように、手話も長らく言語だと思われてこなかった」
ろう者が手話を公に取り戻したのは90年代になってからです。(以上の歴史は2021年10月31日付朝日新聞デジタルより)
「しずかちゃん―」の中でも、「パパ」が小さいころ「手話が禁止されていた」という回想場面がありました(総合8月22日放送)。しかし、それが国家権力による戦争遂行政策の一環であったことは触れられませんでした。
もう1つの問題は、聴覚障がい者ドラマのブームが、皇族がさかんに手話を使い、そのニュースが頻繁に流されている中で起こっていることです。
秋篠宮の次女・佳子氏が聴覚障がい者のイベントに出席して手話であいさつする場面は頻繁に報道されています(写真中)。佳子氏だけでなく、母親の紀子氏も先日のベトナム訪問の中、障がい者施設で手話を使っている様子が紹介されました(写真右)。
彼女らは“個人的”な関心・善意で行っているつもりかもしれませんが、それはれっきとした皇族としての公的活動です。それをNHKはじめメディアに報道させているのは政府・宮内庁です。
皇族が障がい者に寄り添っている姿を強調し報道させることは、天皇制維持・強化の常套手段です。典型的な例として想起されるのは、大正天皇(嘉仁)の妻・貞明皇后(節子=さだこ、裕仁の母)がハンセン病対策の象徴とされた(されている)ことです(2022年7月8日のブログ参照)。
たんに皇族のイメージアップを図るだけではありません。前述の手話禁止は天皇制政府による侵略戦争遂行策の一環として行われたものであり、その最大の責任者が佳子氏の曽祖父・裕仁であったことは言うまでもありません。
曾祖父による手話禁止を、ひ孫が払拭しようとし、メディアがそれに手を貸している、とさえ思える状況です。しかし、裕仁の戦争責任、天皇制政府による手話禁止・弾圧の歴史を消し去ることはできません。