アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「盗骨の京大」にみる日本の大学の危機

2023年09月25日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義
   

 94年前の1929年、京都帝国大学(現京都大学)医学部の金関丈夫助教授、三宅宗悦講師が「研究のため」と称して、約150柱の琉球人の遺骨を、「百按司(むむじゃな)墓」(今帰仁村、写真中)から持ち去りました。盗骨です。今でも京大はそのうち26柱を所持しています。

 遺族と支援者らが京大に何度も返還を要求しましたが、京大はまともに面会もせず、拒絶してきました。やむなく遺族らは遺骨返還を求めて京都地裁に提訴(2018年12月4日)しました(2019年3月23日のブログ参照)。

 1審京都地裁判決は、原告の訴えを棄却(22年4月21日)。原告は直ちに控訴。その控訴審判決が、22日大阪高裁でありました。

 判決は、原告らを「沖縄地方の先住民族である琉球民族」と認定し、「付言」で「持ち出された先住民の遺骨は、ふるさとに帰すべき」と指摘するなど、画期的な内容を含んでいます。

 しかし、基本的に1審判決を支持し、原告の控訴を棄却しました。京大は「主張が認められたものと理解している」とのコメントを出しました。

 この問題でもっとも問われなければならないのは、持ち出しから今日に至るまでの京大の理不尽で不誠実な言動です。

「この訴訟の最大の問題点であり、不可解としか言いようがないのは、京大がなぜ遺骨を返還しないのか、という点だ。…京大当局の原告らに対する対応はあまりにもつっけんどんである。…問われているのは数多くの人骨を保管する京大の今後の対応だ」(23日付沖縄タイムス社説)

 京大は原告側と真摯に向き合い、直ちに遺骨を返還しなければなりません。

 さらに深刻なのは、京大の反民主性は遺骨返還問題だけではないことです。

 朝日新聞デジタルは最近、「京大のゆくえ」と題した連載をおこないました。その中で、京大教職員組合中央執行委員の駒込武教授がこう述べています。

「(かつては)自由の体現が京大の特徴だったと思います。…しかし、現実には色々と不自由が増えて、パブリックな空間が狭まっています。その象徴がタテカン(立て看板)の撤去です」(17日付朝日新聞デジタル)(写真右は現在かろうじて残っている吉田寮前のタテカン)

 京都大学新聞を発行している現役学生の1人(20)からも次のような声が上がっています。

「トップダウン型で決めるばかりではなく、もう少し末端の学生や一般の教員の意見を聞くなど、ボトムアップの取り組みをしてもらいたい」(同)

 これはほんの一端です。そして、こうした民主主義への逆行は京大だけではありません。
 とりわけ国立大が指定法人化されて(京大は2004年)以降、そして大学を軍事研究の場にする政府の戦略が強まってから、国家による大学の統制と大学側の自己崩壊が進んでいます。

 これは現在日本と世界が直面している課題にとっても、さらに今後の日本社会にとってもきわめて由々しい問題です。遺骨返還をめぐる京大の理不尽な対応も、こうした流れと無関係ではありません。

 前掲・駒込教授は、「大学はどうあるべきか。学生のみならず市民とも一緒に考えていく場を持ちたい」と述べています。ぜひ実現する必要があります。
 京大に限らず、日本の大学はどうあるべきか、どうすべきか。すべての市民が考えるべき喫緊の重要課題です。

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